インドネシアのスラウェシ島パルに調査に行ってきました!!

執筆者:久世真侑子(3回生)

こんにちは!奥村ゼミ3回生の久世真侑子です.11/1~7にインドネシアのパルに調査に行ってきました.2018年パル津波での避難行動を明らかにする調査でした.この調査で学生は,篠原さん(4回生)と私(3回生)の2名に加え,バンドン工科大学のKarina先生のゼミからも2名が参加しました.Karina先生は奥村ゼミの卒業生で,私たちはAlinと読んでいます.

【1,2日目(移動)】

1日目,2日目は移動日でした.関西国際空港を出発して,シンガポール,インドネシアのジャカルタ,マカッサルを経由してパルに行きました.私にとって,長時間フライト,飛行機の乗り継ぎが初めてだったので,どんな感じになるかなと思っていましたが,2フライト目からはいつの間にか爆睡していました笑.

機内食も初めてだったのですが,カビアレルギーで発酵食品(パン,チーズなど)が食べられない私にとっては困難の連続です.英語が聞き取れたという理由で頼んだ機内食,運ばれてきて確認するとチーズがどっぷりかかっていました.後からわかったのですが,もう一つの選択肢はお粥だったようで,英語では「porridge」というそうです.

11/2の夕方には無事にパルに到着し,現地のご飯を食べました.ここでも発酵食品が入っているかどうかを確認しないといけません.奥村先生に少し助けていただき,発酵食品(fermented food)が入っていないか,お店の人やインドネシア側の先生方に確認しました.この調査の期間中,「fermented food」というワードは何回も使うことになりました.

ホテルは,インドネシアのバンドン工科大学の学部4回生の方と相部屋でした.私は全然英語が話せないのでとても不安でしたが,その方は優しい方で,私でも理解できるような英語で話してくれました.英語で誰かとコミュニケーションをとることを避けてきた私ですが,実際に話してみると意外と楽しいものだなと感じました.

ホテルの屋上から見たパルの景色

【3日目(調査1日目)】

3日目午前,海岸沿いの被災地を訪問しました.被災者へのヒアリング調査はインドネシア語です.私は,記録用の動画を撮影していました.どんなやりとりが行われているのかリアルタイムではわかりませんが,合間にAlin先生が英語で通訳をしてくださったので,大まかな内容を知ることができました.ある住民の話では,揺れを感じた段階では津波が来ると考えてなくて,周りの人たちが叫んでいるのを聞いて危機感を感じたということでした.今回の調査は,災害発生から5年が経過しており,被災者の中で記憶が塗り替えられているかもしれないということを念頭において調査することが大事であると奥村先生に教えていただきました.

また,被災地を見渡していると,パルの海岸沿いは土地に高低差がなく,周りに高い建物もないことに気づきました.そのため,津波から避難するのは難しそうだなと感じました.海沿いには,防潮堤が作られており,津波へのハード面での対策も進められていることを知ることができました.

調査地で撮影した調査団の集合写真

【4日目(調査2日目)】

4日目の午前は,被災後に高台に移転した集落を訪れました.この集落の皆さんは津波で壊滅的な被害を受けたそうです.地元政府は住宅再建の補助金を用意しており,彼らはその資金を活用して「自分たちで」家を再建していました.「自分たちで」というのはまさに自分で自分の家を建てるという意味です.お手本の建物が一棟建てられていました.インドネシアの建築学会の指導を受けて,住民の皆さんは建築方法を学び,自宅の再建を果たしたのだそうです.家はコンクリートブロックをボルトで固定して作られていました.授業でブロック塀は危ないと聞いている私にとっては驚きでした.しかし,限られた資金で自分たちが住む場所を確保する必要があるという面では,ブロック塀はすごく有効なものなのだろうなと感じました.ちなみに,一棟あたりの建築費用は一般的には100万円程度なのだそうですが,ここでは自分たちで建築することで50万円程度にまで費用を抑えることができたそうです.

村のある女性へのインタビューでのお話を紹介します.5年前,地震が発生したときはちょうどイスラム教のお祈り時間で,2人のお子さん達は近所のモスクにいたそうです.自宅に一緒にいた旦那さんは揺れによるモスクの倒壊を心配して,2人の子どもたちのもとに向かいました.この女性は自宅にいたもう一人の子どもと一緒に自宅の前に退避していました.そのとき,水が迫ってくるのが見えていたそうです.しかし,夫と子どもが戻ってきていないため,避難せずに待っていたそうです.「夫と子どもが戻ってきていない」ということが女性の避難開始に対する阻害要因になっていることがわかりました.

お手本として建てられた家
4日目午前に訪れた集落.住民の皆さんが迎えてくれました.

午後は別の集落を訪れました.午前中に訪れた集落よりも大きく,約1000人が住んでいるそうです.午前中に訪れた集落より,しっかりした作りの家に見えました.

ここでも津波を経験した女性にインタビュー調査を行いました.その女性が避難を開始したのは,周りの人が叫んでいたり,走っていたりしたからだそうです.

4日目午後に訪れた集落で調査をする様子

ホテルへの帰り道,5年前の津波で大きな被害が出た海岸を訪れました.防潮堤があったのですが,その上でいろんなお店が開かれていました.日本では,防潮堤の上で何かを行うことは考えられないので驚きです!カラフルな光がたくさんあって珍しいと感じますが,日本でも津波襲来の恐れがある場所で海水浴をやっていることを考えると,娯楽施設が存在していること自体は不思議ではないのかもしれません.

防潮堤が楽しそうな場所に.

【5日目(調査3日目)】

5日目は,篠原さんが卒業研究で分析しているCCTVカメラの映像に映っていたレストランに行きました.この映像には2018年パル津波で逃げ惑う人びとの様子が捉えられており,篠原さんはこの映像から人びとの移動速度の分析されていました.篠原さんのゼミ発表で見ていたあの場所です.奥村ゼミでは3回生が4回生のゼミに参加しています.だからこそ得られた感動でした.

研究に必要な地点間の距離を計測!津波は写真奥から手前に向かって来襲しました.

現地では,映像に映っていた人びとの移動速度を推計するためにポイントとなる地点間の距離を測量しました.帰国後のゼミで篠原さんが発表されていましたが,現地で測量することによって,映像のみを用いて推計していたよりも正確に移動速度を推計できたそうです.

測量後,CCTVカメラが設置されているレストランの従業員の方に当時の話をお聞きすることができました.話を聞いた女性は,地震が発生したとき,レストランの2階で働いていたそうです.地震の揺れを感じた後,建物が倒壊することを恐れて,建物の外に出ました.その後,周りの人が「tsunami!tsunami!」と叫んでいるのを聞いて,丘のある方に走っていったそうです.私が驚いたのは避難した場所です.実際の場所を案内してもらったのですが,一見して「ここを通るの?」と思うような林を突っ切って行かれたということでした.この林を突っ切る判断をせず,海岸沿いの道路を走っていった人びとは亡くなったと教えてくれました.切羽詰まった状況下での避難行動というものを知ることができました.日本でもこのような行動になるのだろうかと思いました.

この場所から左の林を抜けていったそうです
避難の時に通ったという林の様子
研究で何度も見ていた映像に写っていた場所の写真をとる先輩.感慨深げです.

【6,7日目(移動)】

6,7日目は帰りの移動です.

下の写真は,スラウェシ島のマカッサルの空港で食べたSOTOというものです.インドネシアの有名な食べ物で,牛肉や卵が入っているスープです.日本のラーメンのように,地域によっていろんな味があるそうで,とても美味しかったです.

空港で食べたSOTO
(おまけ)帰りの飛行機から見えた朝焼けが綺麗でした!

【まとめ】

周りで叫んでいる人びとや走っている人びとの様子を見聞きして,避難を開始している人びとが多く,いずれも直感的な判断で行動していることがわかりました.今回の調査で得られた成果は,今後,自分の研究にも繋げていきます.

出発する前の一番の不安材料であった英語は,時間とともに慣れてきて,コミュニケーションをとるのが楽しく思えるようになりました.今まで,実践で英語を使ったことはなかったのですが,もっといろんなところに行って,海外の方と英語でコミュニケーションをとってみたいなと思うようになりました.

貴重な経験をさせていただき,ありがとうございました!

毎朝,朝食は学生4人でいただきました!