ブログ(教員)

能登地震の災害関連死を防ぐには

元旦に発生した能登半島地震から10日以上が経過しました.石川県によると,現在までに確認された災害関連死は10人(12日現在)です.この人数は,今回の規模の災害(最大避難者5万人)としては非常に多いといえます.犠牲者の親族が役場に申告する余裕がないケースなどもあるため,今後申告が進めば,さらに多くの災害関連死が明らかになってくるでしょう.そして東日本大震災といった過去の災害を踏まえれば,今後も災害関連死は避けられません.これをいかに減らしていけるか,今まさに正念場です.

まず大前提として,被災者を取り巻く環境の深刻さは,連続的に変化するものではないことを理解する必要があります.そして今,見極めが重要になっている不連続点があります.それは,外部から支援を投入して死亡率を下げられるレベルの深刻さと,被災者に被災地外に一時的に退避してもらわなければ死亡率を下げられないレベルの深刻さとの間です.

後者の段階にある地域に対して,どれだけ前者の地域に有効な対策を充実させても死亡率は下がりません.前述したように,今回の関連死の多さを踏まえれば,一部地域で後者のような状況に陥っている可能性があります.住み慣れた土地を離れることには不安が伴います.離れても故郷の状況や生活再建に向けた情報が伝わること,復興に向けた住民同士の話し合いに参加できること,さらにどの程度の期間で戻れるのか見通しを示すことなどが求められます.

他方で,外部から支援を充実させて死亡率を下げられるレベルの地域に関しては,被災者を取り巻く環境を改善するためにあらゆる手立てを講じる必要があります.災害関連死は,呼吸器系や循環器系の疾患などさまざまな要因がありますが,それらを事前に知ることはできません.また,死亡に至るプロセスも非常に複雑です.しかしながらトイレ環境の改善,温かい食事の提供,寒さ対策など高度な医療技術がなくてもできることがたくさんあります.

避難所や自宅,高齢者施設など被災者のあらゆる生活拠点で,それらの対策を充実させなければなりません.

(産経新聞夕刊令和6年1月15日掲載)

珍しい津波が発生することは珍しくない?

また珍しいタイプの津波が発生しました.10月9日早朝に鳥島近海で発生したとされる津波です.連休最終日の静かで穏やかな朝の雰囲気とは対照的な,テレビニュースのアナウンサーの緊張感漂う雰囲気に驚かれた読者も多かったのではないでしょうか.

伊豆諸島や四国,九州などで20〜60㌢の津波が観測されました.津波注意報も発表されました.ビーチや港などでは生死に関わる大変危険な津波で,注意報という言葉に油断されていた方はこれを機会に認識を改めていただけたらと思います.

震度1以上の地震は観測されておらず,気象庁は緊急記者会見で「原因不明」との認識を明らかにしました.今回の津波が珍しいタイプであることは間違いありませんが,冒頭に「また」と記した通り,私たちの意表を突くような珍しい津波が発生することは珍しくありません.

例えば,昨年1月に南太平洋の島国トンガで発生した津波は日本にも来襲しましたが,これは火山活動に伴う大気波動が原因の非常に珍しいタイプの津波でした.東日本大震災の津波も数千年に一度と言われるような規模の地震が原因の極めて珍しいタイプ.他にも1993年北海道南西沖地震津波や,1960年チリ津波,1896年明治三陸大津波なども大変個性的です.

南海トラフ沿いで繰り返し発生してきた過去の津波にもそれぞれに強い個性があります.昭和東南海地震と昭和南海地震は2年の間を空けて発生し,1854年に発生した安政東海地震と安政南海地震は30時間の間隔で起きました.また,1707年の宝永地震はプレート境界の東部と西部が同時に動き,巨大な津波を発生させました.さらに,1605年の慶長地震は地震に伴う揺れが小さいにも関わらず巨大津波が発生した可能性があると指摘されています.

このように見ていくと珍しくない津波とは何なのかが良く分からなくなってきます.きっと次の南海トラフ沿いで発生する津波も珍しいタイプのものになることでしょう.つまり,過去のどのタイプの津波とも異なる特徴を持っていて,また政府が想定しているような津波とも異なる顔を持っているはずです.

しかし,どのような個性を持っていようとも動揺する必要はありません.揺れ有無に関係なく津波予警報が発表されれば避難をすること,津波予警報が発表されなくても長い揺れを感じたら避難をすれば良いのです.

(産経新聞夕刊令和5年10月16日掲載)

巨大災害と災害関連死 どう備える?

巨大災害に備えるとはどういうことなのか.中小規模の災害に備えることと比較して,一体何がどう違うのか.防災に関心が高い読者の皆様の中には,このような疑問を持ったことのある方もおられるのではないだろうか.冒頭で,この問いについて考えてみたい.

地震を例に考える.まずは,大きな揺れから身を守ることへの備えはどうか.揺れに伴い発生する,家屋倒壊,家具・家電の転倒,ブロック塀の倒壊や急傾斜地の崩壊などにどのように備えるべきなのかは,一人ひとりに想定される揺れの大きさによって決めれば良い.数千人の被災者が出る地震なのか,数十万人の被災者が出る地震なのかは問題にはならない.つまり,巨大災害だからといって何か特別な備えが必要になるわけではない.

次に,厳しい避難生活から身を守ることへの備えはどうか.電気,ガス,水道などの停止,スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどの営業停止,介護サービスや医療サービスの停止などにどのように備えるべきなのかは,想定する災害の規模によって大きく異なる.数千人の被災者が出る地震よりも,数十万人の被災者が出る地震の方が,社会機能を回復させるまでにはるかに多くの時間を要するからである.なお,これは自宅を失い避難所生活を余儀なくされる場合でも,自宅で避難生活を余儀なくされる場合でも変わらない.この問題に関する最悪の結末が災害関連死である.つまり,巨大災害に備えるとは,長期化する厳しい避難生活にどう備えるかであり,いかに災害関連死から命を守るかである,と言っても過言ではない.

さて,南海トラフ巨大地震に目を向けたい.これは言うまでもなく,現在,私たちが備えるべき最大規模の巨大災害である.政府の被害想定によると,死者数は最大で32万3千人とされている.ここに災害関連死は含まれていない.定性的な評価にとどまっているためだ.これでは同災害における災害関連死の社会的インパクトを把握することは難しい.

そこで過去の災害における災害関連死のデータに基づいて,南海トラフ巨大地震の災害関連死の数を試算した.データの蓄積が少なく,精度に課題がある点にご留意いただきたい.南海トラフ巨大地震が発生した場合の被災地の生活環境が,東日本大震災と同程度に厳しくなると仮定すると,その数は7万6千人と試算された.原発事故に伴い関連死が突出して多かった福島県の影響を除いて試算しても,その数は3万5千人となった.

さらに付け加えておかなければならない.南海トラフ巨大地震の最大避難者数は在宅避難者を含めて950万人と想定されている.これは東日本大震災の最大避難者数(47万人)の20倍である.被災者を取り巻く生活環境は確実に東日本大震災よりも厳しくなる.これは,災害関連死に伴う死者数は上述の試算結果よりも多くなる可能性が高い,ということを意味している.すなわち,災害関連死による死者は,津波による死者に次いで多くなる可能性がある.

最後に,巨大災害への備えとして,災害関連死にどう備えれば良いかについて述べる.災害関連死は避難所よりも自宅や介護施設で多く発生している.巨大災害が発生しても,これらの生活環境への影響をできるだけ小さくすることが重要である.それが困難な場合には,被災地外へ避難することも重要な選択肢になるだろう.

さらに,長期的には,私たち一人ひとりが消費者として,さまざまな民間企業が生み出す防災価値に関心を持つことが重要である.自宅や高齢者施設はライフラインの途絶に弱いが,電気自動車やハイブリッド車の中には,災害時に非常用電源として利用できるものが増えてきた.自動車が有する防災機能を私たち消費者が高く評価することで,メーカーによる開発は加速する.これは,携帯電話や家電製品などあらゆる商品やサービスにも当てはまることである.私たち消費者が企業を変え,企業が私たちの暮らし変える,これが巨大災害に備えるということだと考える.

(週刊「兵庫ジャーナル」 令和5年8月21日掲載)

とっさに津波から逃げられるまち

最大で死者32万3千人という未曾有の被害が想定されている南海トラフ巨大地震.平成26年3月に,政府は今後10年で死者を8割減少させる減災目標を掲げ,防災対策を推進してきました.今年度末にその10年の節目が迫る中,現在,政府はこれまでの対策の進捗状況を確認し,被害想定の見直し,新たな対策に向けた検討を進めています.

最も多くの被害が見込まれているのは津波による死者で23万人.この被害を小さくしなければ,目標達成は不可能です.東日本大震災では堤防をはるかに越える高さの津波が市街地に氾濫し,被害を拡大させました.特にハザードマップで浸水が想定されていなかった地域での避難は極めて困難でした.

そこで将来の南海トラフ巨大地震に備え,科学的に想定しうる最大規模の津波を想定した津波ハザードマップが用意されました.これまでに津波の到来が想像もされていなかった地域で,津波防災が議論されるようになっています.1日250万人が行き交う西日本最大のターミナルである,JR大阪駅周辺の梅田エリアもその1つです.

大阪駅周辺は6つの地下街・地下道と54のビルが連結した複雑で大きな活動空間を形成しています.さらに大阪市内の各所と地下で連結され,5つの地下駅から乗り入れ可能となっています.新型コロナウイルス禍で減少していた外国人観光客や日本人観光客も戻りつつあります.また,通勤・通学で利用する京阪神エリアの市民,さらには地域住民が常に数万人規模で行き交っています.そこを津波が襲うと数千人単位で死者が増大する可能性があります.

揺れの恐怖から屋外退避を試みる外国人観光客,改札口に向かう帰宅困難者,津波避難のために建物上階を目指す人々という3つの異なる動きをする群衆同士がぶつかり合って,結果的にどの群衆も思うように身動きが取れない事態に陥る可能性があります.

このような事態を回避するためには,人々の移動を最小限に止めなければなりません.偶然,そこに居合わせた人びとが,津波避難の必要性を察知したら,瞬時に周辺の建物の上階に避難できるようなまちづくりを進めることが有効だと考えられます.地上を行き交う観光客やビジネス客が気軽に入ることができる商業施設をビルの地上1階に増やしていければ,誰でもとっさに避難しやすいまちになるのではないでしょうか.

(産経新聞夕刊令和5年5月8日掲載)
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誰もが選択できる防災を

トルコ・シリア大地震は発生から10日以上が経過し,両国当局はこれまでに4万人以上が死亡したと発表しています(17日現在).そして,必死の捜索,救助活動はまだまだ続けられています.一日でも早くすべての行方不明者が見つけ出されることを願わずにはいられません.

さて,地震災害による死者を減らすためには建物倒壊による犠牲を減らすことが最も重要です.平成7(1995)年阪神・淡路大震災では犠牲者の8割以上が地震発生直後に亡くなったとされています.そして,その死因のほとんどが建物倒壊に伴う窒息や圧死です.

日本では昭和56(1981)年に導入された耐震基準によって,それ以前の建物と比べて飛躍的に耐震性が高まりました.例えば,震度6強の揺れの場合,1970年代に建てられた木造家屋であれば最大で50%の建物が全壊するのに対して,80年代の木造家屋になると15%程度にまで低下します.さらに年代が進めば,この割合は5%を切るまでに改善します.

しかし,新しい耐震基準を導入したからといって,その恩恵が即座に日本に住むすべての人々に行き渡るわけではありません.平成7年の地震発生当時は,新耐震基準が導入されて14年しか経過しておらず,多くの住民が旧耐震基準の建物に住んでいました.40年以上経過した現在でもまだ旧耐震基準の建物が700万棟近く残っており,そのような木造家屋にお住まいの方も多くおられます.

政府は令和12(2030)年までにこれをゼロにする目標を掲げています.しかし,地震は私たちの都合に合わせて待ってはくれません.70歳,80歳になって,住んでいる家屋を耐震化したり,新築家屋を購入したりできる人は限られています.

高齢になってから住み慣れた住まいを離れることは容易ではありませんが,買い物のしやすさや通院のしやすさ,子供世帯との近接した暮らしを念頭に引っ越すことを検討している人びとはいるはずです.そのような人々を支援する仕組みを充実させるなど,私たちは今こそ知恵を出し合い,少しでも多くの人々が選択できる支援やサービスを充実させるべきではないでしょうか.

こうして生まれた成功事例は国内のみならず,世界中の地震多発国で歓迎されるものであり,国際社会において日本が果たすべき役割だと思います.

(産経新聞夕刊令和5年2月20日掲載)

災害に強く生まれ変わる

私たちの体の細胞は常に少しずつ入れ替わっています.完全に入れ替わるのに要する日数は体の部位によって大きく異なり,表皮は1ヶ月,血液は4ヶ月,骨は2年なのだそうです.胃腸や心臓は早く入れ替わるそうで,それぞれ1週間,3週間というのはそれだけ酷使されている部位であるということでしょうか.

私は防災学者です.どのような話であっても防災・減災の問題に寄せて捉えようとしてしまうのは一種の職業病かもしれません.この体細胞の話も防災の問題と重ねて考え込んでしまいました.

私たちが生きている社会を構成するものも,体細胞と同じように,日々,少しずつ入れ替わっています.完全に入れ替わるのに要する時間は私たちの買い替えサイクルや構造物のライフサイクルなどによって大きく異なります.個人差もあるでしょうが,たとえば,シャンプーや歯磨き粉であれば数週間,下着や靴下であれば数ヶ月,スマートフォンであれば2年,テレビやエアコンなどの家電,また自動車であれば10年といったところでしょうか.一般的な木造家屋や高速道路などの土木構造物は50年から100年という歳月をかけて入れ替わります.

私たちの社会も体細胞と同じように,完全に入れ替わるのに要する日数はものによって大きく異なります.他方で,社会を構成するものは以前よりも良いものに入れ替えることができるのに対して,体細胞は老化に伴い少しずつ劣化した細胞に入れ替えをせざるを得ないのは生き物の宿命です.

耐震基準の改正によって昭和56(1981)年以降は揺れに強い建物が建ち始めましたが,そのような建物に完全に入れ替わるには50年近くかかります.つまり,令和12(2030)年頃ということです.他方で,災害時に非常用電源として活用できる電気自動車や災害時に有用な機能を備えたスマホなどはもっと短期間で完全に置き換えることができます.

ちょうど今から4年前,大阪府北部地震と西日本豪雨が発生しました.どれだけのものが災害時に有用なものに入れ替わり,以前よりも災害に強い社会へと生まれ変わっているのでしょうか.生物である私たちの体ではできない,社会の強みが活かしきれていないように思えてなりません.

(産経新聞夕刊令和4年6月20日掲載)

SDGsと防災・減災

立春を過ぎ,暦の上では春に入りましたが,まだまだ寒い日が続いています.一昨年の12月に本欄で「真夏の長期停電は命に関わる問題」だと指摘しましたが,それは真冬の長期停電でも同じことです.大規模地震災害が発生し,雪がちらつく寒さが続く中で停電が長びくと,たとえ自宅の建物に地震の揺れによる被害がなくても,空調が使えず寒さのあまり体調を崩して命を落とす方がでてくるでしょう.

また自家発電装置が設置されている医療施設でも,長期停電発生時に平常時と同じように空調を稼働させるだけの電力を確保することは困難です.入院患者を別の医療施設に移送せざるを得ないケースも出てくるでしょう.しかし,それは患者への負担が大きく,東日本大震災では災害関連死の主な原因の一つでした.このように,真冬の大規模地震災害で停電が長期化すると,災害関連死による死者が大きく増える要因になります.

令和元年に政府が公表した南海トラフ巨大地震の被害想定によると,死者・行方不明者の総数は23万1千人.過去に経験したことのない犠牲の数ですが,実はこの数に災害関連死は含まれていません.

私の研究室の試算では,災害関連死による死者数は津波に次いで多く,建物倒壊による死者数を上回るとの結果が出ています.災害関連死対策は,津波避難をどうするかという問題に次いで解決しなければならない課題であり,その中でも長期停電への備えは決して避けては通れない,社会全体として取り組まなければならない重要な課題だと考えています.

現在,温室効果ガスを実質ゼロにする「カーボンニュートラル」の実現や,SDGs(持続可能な開発目標)の達成という話題の中で電気自動車(EV)が関心を集めています.一方,災害関連死対策という観点から捉えれば,EVにはいざというときの電源としての役割も期待できます.

政府は乗用車の国内車新車販売について,令和17年までにEVなどの電動化を100%にする目標を掲げていますが,防災の観点からもその効果を検討する必要があります.自動車は,人を運ぶ道具から安全・安心な暮らしを提供してくれる道具に変貌する過渡期なのかもしれません.

(産経新聞夕刊令和4年2月21日掲載)

置き換えられてはならないもの

 新型コロナウイルスの新規感染者数が減り続けています.警戒を緩めてはいけないと思いつつも,穏やかな気持ちで過ごせる日々に喜びを感ぜずにはいられません.

 仕事柄,コロナ禍以前は海外出張も多かったのですが,今はすべてがオンラインです.唯一,海外を感じられるのが大学院生と毎週開催しているゼミです.インドネシア,コンゴ,モザンビーク,タイからの留学生たちと防災・減災に関する議論を重ねています.当たり前ですが,日本の常識は世界の常識ではありません.毎週,多くの気づきを与えてくれます.

 モザンビークから来ている学生は文化的な防災・減災の知識に関心を持っています.日本でそれがどのような役割を果たしているのかを知りたいのだそうです.先日,淀川氾濫のリスクがある地域で調査を実施したところ,残念ながらそのような知識に関する話をあまり聞けなかったとのことでした.

 文化的な知識は経験に基づいて誕生し,その後に繰り返される災害で有効性が確認されるなどして経験的に地域で価値が見出され,世代を超えて伝承されるものなのだと思います.そうした知識はいつでも当たり前に存在しているものであり,災害が発生するなどして,その価値が問われる度に科学的な(あるいは,文明的な)知識に置き換えられる可能性に直面しています.つまり,文化的な知識は常に置き換えられる立場にあり,その逆はないということです.

 モザンビークとは異なり,日本ではすでに多くの文化的な知識が科学的な知識に置き換わっています.しかし,本来の目的とは違う形で文化的な知識が復活する場合もあります.兵庫県南あわじ市のある地域では津波の脅威を知らせるために半鐘が使われています.これはかつて火災を知らせるための道具でした.インドネシアでも竹を使った楽器が避難を知らせるために使われているそうです.  新型コロナはもともと当たり前にあったものをたくさん別のものに置き換えてしまいました.置き換えられてはならないものはなかったか,今後検証が必要になると思います.

(産経新聞夕刊令和3年11月22日掲載)

大阪北部地震3年 家具転倒の危険なお

 大阪北部地震の発生から丸3年が経過しました.3年前の10月に本欄で「南海トラフ巨大地震などの発生に備えて,今ほどこれらの問題に社会の関心が高まることはないでしょう」という趣旨のことを申し上げました.これらの問題とは,地震発生後に残された身の回りの危険をいかに一掃するかという問題です.同地震ではブロック塀や家具が転倒するなどして5名が犠牲になられました.今回はこれらの問題のその後をご紹介します.

 ブロック塀に関しては,高槻市で大きな動きがありました.同市では,倒れたブロック塀の下敷きとなり,登校中の女児が亡くなりましたが,学校だけでなくすべての公共施設に設置されていたブロック塀の撤去が決まり,フェンスなどに取り替える工事が進められています.塀に限らず,コンクリートブロックを積み上げた構造物はすべて撤去対象になりました.さらに,今後,公共施設においてブロック塀を設置しない方針も掲げられました.高槻市は危険ブロック塀が日本で最も少ない安全なまちになったといえるでしょう.

 家具・家電に関しては,状況に大きな変化はありません.個人の生活圏における防災対策を前進させることの難しさに直面しています.これはブロック塀に関しても同じです.前述の動きも公共施設での取り組みであり,個人や民間の施設での動きではありません.

 筆者が実施した調査によると,同地震で震度6弱を観測した5市区町村で書棚の転倒率が約11%と,さまざまな家具・家電の中で最も高い割合で転倒していたことが分かりました.そして,転倒した書棚の約9割が地震前に壁などに固定されておらず,また,最大のチャンスであった転倒後も半数以上が無対策のまま元の状態に戻されていたことが分かりました.転倒していない書棚への対策となるとさらに厳しい結果になっていると予想されます.

 このように最も防災への関心が高まる条件下であっても個人の生活圏における防災対策を前進させることは容易ではありません.どうすれば無理なく私たちの身の回りに潜む危険を減らしていけるのか,大きな課題です.

(産経新聞夕刊令和3年7月19日掲載)

計れない価値をどう守るか

2度目の緊急事態宣言が解除された3月某日,ゼミ生とともに南あわじ市内にある喫茶店にいました.入りづらさを感じ,しばらく入店を躊躇したものの,意を決して店の奥に感じた気配の主である女性に声をかけ,営業中の喫茶店であることを知り安堵したのが数分前のことだとは思えないくらいに,私たちはリラックスしてコーヒーを飲み,テーブルの上にある菓子をつまんでいました.

店内には客らしい女性が二名,店主と世間話を楽しんでいました.彼女らは何も注文していない様子でした.店主によると,こういう近所の常連客たちとの時間が楽しいのだという.テーブルの上の菓子も客らが持ってきたもので,みなで自由に食べているのだそうです.まるで祖父母の家の居間でくつろいでいるような気分になりました.コロナ禍で人間関係が希薄になっています.そうした日々がこの雰囲気をいつも以上に心地よく感じさせたのでしょう.

さて,私たちはお茶をするために喫茶店に入ったのではありません.観光客の行動範囲を把握する調査のために,まちの中に点々と存在する飲食店をまわっていたのです.しかし,私はいつの間にか調査の目的を忘れ,東日本大震災の被災地で何度も聞いた「震災でぽっかりと空いた穴が塞がらない」というような住民の言葉を思い出していました.そして,その穴の正体は,前述の喫茶店のような場の喪失感なのではないかという考えが頭の中に浮かんでいました.

南海トラフ巨大地震では何百兆円もの経済被害が試算されています.この被害を少しでも小さくし,この災害を国難としないことが重要であることは論をまちません.しかし,ほとんど経済被害に影響しないようなこうした飲食店の価値をどのように計り,その損失を小さくするのかという問題にも目を向けなければなりません.こうした店舗には金銭的には計り知れない価値があるように思えてならないからです.

(産経新聞夕刊令和3年4月19日掲載)

コロナ禍に求められる力と防災

先日,災害メモリアルアクションKOBEという阪神・淡路大震災のメモリアル行事に参加してきました.この行事は阪神・淡路大震災1年の節目に第1回が開催されから毎年1月に開催されています.今年は26回目でしたが,新型コロナウイルスの感染拡大を受けて開催が危ぶまれました.しかし,対面とオンラインのハイブリッド形式で開催されました.

ちょうど1年前にコロナ問題が顕在化してから,私たちの生活はさまざまな制約を受けています.読者の皆さんもいつも通りにできないことの連続で,フラストレーションが蓄積していることでしょう.上記の行事は形を変えて開催されましたが,中止せざるを得ないこともたくさんあります.コロナ禍の暮らしとは,まさにこうした判断力が求められます.「これまでもやっていたからなんとなくやる」が許されません.そして,如何にこれまでそうした「なんとなく」が多い生活を送っていたのかと驚かされます.

いつも通りにできない場面で判断を下すときに大切になるのが,その活動の目的が何であったのか,いつもと同じタイミングで,いつもと同じ方法で実施しなければならないのか,といったことです.このプロセスの中で,より魅力的になった活動もあるでしょうし,不要な活動として実施そのものが見直された活動もあるでしょう.

話を戻しますが,災害メモリアルアクションKOBEという行事も,同じようなことを行っています.つまり,阪神・淡路大災害の教訓として取り組まれてきたこと一つひとつに注目し,その目的は何であったのか,方法は妥当なのか,効果は出ているのかを丁寧に検証しています.「なんとなく」は許されません.それではこの震災から学び次に活かすことができないからです.

阪神・淡路大震災から26年.「未災者」が大震災を知り,さらに「未災者」に伝え,つないでいく時代に求められる能力は,コロナ禍にも不可欠な能力なのです.

(産経新聞夕刊令和3年1月18日掲載)

民間の存在感 さらに大きく

今年も台風によって人命が失われました.9月の台風10号では,気象庁は「伊勢湾台風」級の規模,「特別警報」級の勢力という表現を用いて警戒を呼びかけました.死者2名,行方不明者4名という人的被害に加え,九州を中心に多くの爪痕を残しました.被災された皆様に心よりお悔やみとお見舞いを申し上げます.

さて,気象庁が例として用いた「伊勢湾台風」ですが,これは戦後最大の台風災害です.1959(昭和34)年9月26日に上陸し,5,098名の死者・行方不明者を出しました.これ以降,台風で千人を超える犠牲は出ていません.しかし,ここ数年,伊勢湾台風級の巨大台風災害の再来を彷彿とさせる事態が続いています.

こうした中で,私は「安全・安心の価値」を生み出す民間企業の存在に注目しています.例えば,西宮,尼崎,大阪で既往最高潮位(1961(昭和36)年第二室戸台風)を更新した2年前の台風21号では,J R西日本が計画運休を行いました.前日夜に事前告知があったため,出勤や登校を諦めた人も多くいたはずです.危険に身をさらす行為を制限してしまう,こうした民間企業の取り組みは非常に有効でした.

民間企業の存在感は今年の台風10号で一層大きくなりました.コンビニ大手が計画休業を初めて事前告知したほか,外食チェーンなども計画休業を実施しました.客や従業員の安全を確保する動きが,運輸業から小売業や飲食業にも拡大しました.

さらに,ホテルなどの宿泊施設も九州各地で満室になりました.行政が指定した避難所には行きたくなかったが,ホテルなので避難したという方もおられたのではないでしょうか.Go toトラベルにより宿泊料金が割安であったこともこうした動きを後押しした可能性があります.どうすれば避難へのハードルが下げられるか,多くの示唆が得られたと思います.

近い将来の巨大台風災害の発生が現実味を帯びる中で,民間企業の存在感は今後ますます大きくなっていくでしょう.

(産経新聞夕刊令和2年10月19日掲載)

「どう変わるか」ではなく「どう変えるか」

未曾有の災害を経験する度に、国民一人ひとりの中で「悲劇を繰り返さない」という思いが高まり、その力が社会を変化させてきました。今、私たちが直面している新型コロナウイルス感染症もまた、そんな過去の未曾有の災害に匹敵する惨事と言えるでしょう。

読者の皆さんもご存知の通り、このわずか3ヶ月で働き方、学び方、食べ方など、さまざまな生活様式が激変しました。「被害を拡大させない」という思いがもたらした変化です。この先、社会を変える力は次第に「悲劇を繰り返さない」という思いにシフトしながら、この流れは加速し続けるでしょう。

では、コロナ禍の先はどのような社会になっているでしょうか。それは次のようなタイプの変化に注目すれば見えてきます。すなわち、「○○しないとコロナに感染する」というネガティブな結果を回避して広がっているように見えて、実は「○○すると良いことがある」とポジティブな結果を期待して広がっている変化です。たとえば、在宅勤務、オンライン会議、オンライン学習、オンラインフードデリバリー、オンライン診療などです。

これらの変化は私たちの生活の質を高めてくれます。そして、その変化が自宅とその周辺地域の生活環境を改善し、巨大災害時の厳しい避難生活の中で生じる犠牲を減らすことにもつながるでしょう。

しかし、こうした楽観的な見通しには落とし穴があります。それは、これまで以上にIT技術や電気に依存した社会であるため、停電に対して非常に脆弱である点です。南海トラフ巨大地震が発生すると、各地で数週間以上の停電に直面するとの試算があります。東日本大震災後、非常用発電機の設置台数が増加し、高機能化も進んではいるものの、せいぜい3日程度の停電への対応が限界です。

長期停電にいかに備えるか、コロナ禍の先にある社会を大規模な災害にも強い社会とするために「どう変わるか」ではなく、「どう変えるか」を考えなければなりません。

(産経新聞夕刊令和2年6月15日掲載)

新型コロナ禍に考える避難行動

新型コロナウイルスの感染拡大と緊急対応策の影響は止まることを知りません.著者は,今朝,関空に向かう予定でしたが,インドネシア出張が取りやめになり,休校で自宅にいる子どもたちに見送られながら出勤しました.今,マスクをしながらこの原稿を執筆しています.

誰も経験したことのない事態に対する「漠然とした不安」が事態を一層悪化させています.店頭からトイレットペーパーが消えたのはその好例でしょう.当初,「トイレットペーパーが手に入らなくなるだろう」という話にまったく根拠はありませんでした.しかし,ひとたび不安が芽生えると,その感情の存在は「現実」となります.そして,その現実に突き動かされて店頭にはトイレットペーパーを買い求める人々で溢れ,根拠のなかったはずのことが「現実味」を帯びてきます.そして,その現実味がさらに人々の行動を駆り立て,このサイクルに歯止めが効かなくなった状態です.こうした現象を制御することの難しさを実感しました.

さて,東日本大震災の発生から丸9年が経過しました.津波災害は津波から逃げ切ることができれば助かる災害です.しかし,避難せずに命を落とされた方々が少なくありません.実は,この問題とトイレットペーパー売り切れ現象の問題は非常によく似ています.まだ津波が来襲していない段階で「これから津波が来襲して大変な事態になるだろう」という切迫感を醸成しなければ,私たちの多くは避難行動がとれないからです.しかし,トイレットペーパーの問題と同様に,現状ではこの現象を制御することは困難です.テレビの緊急報道や住民の取り組みのなかには,切迫感醸成を目指した取り組みが生まれつつあります.しかし,まだその対策効果の程は未知数です.今後,ますます調査研究が必要とされています.

(産経新聞夕刊令和2年3月16日掲載)

開拓すべき大きな原野

やはり令和の時代も災害を避けては通れなさそうです.9月上旬に上陸した台風15号により東電管内で最大93万軒が停電しました.残暑厳しい9月の停電によって自宅でエアコンが使えないと,建物に被害がなくても自宅で生活を続けることは困難になります.熱中症で命を落とされた事例がいくつか報道されましたが,真夏の長期停電は,命に関わる問題だと認識しなければなりません.

10月上旬の台風21号では,死者・行方不明者が101名に達しました.上陸前には東京都での大規模な氾濫を警戒する報道が目立ちましたが,宮城県,福島県,千葉県で大きな人的被害が発生しました.地下の電気設備と水道ポンプが冠水した東京都の高層マンションでは,停電,断水が起きました.大規模マンションは一棟で千人以上が生活する場合もあり,自治体はそうした住民が避難所に行くことを想定していません.つまり,それだけの住民を公的な避難所で受け入れる用意はないということです.

現在,気候が極端化する時代を迎えています.真夏や真冬には,多くのエネルギーを消費することによって,私たちはなんとかそれに適応しようとしています.しかし,一度エネルギー供給が絶たれると,建物に構造上の被害がなくても,それはもはや災害です.

今年の夏,あるハウスメーカー幹部にヒアリングしました.その際,これまで追求してきた「構造物としての価値」に加え,これからは「災害時でも平時のように安心して暮らせるという価値」を追求していきたいという話がありました.社員が被災地に泥かきなどのボランティアに行き,自分たちが売った家で何が起きているのかを目の当たりにします.その経験が商品開発に繋がっているのだそうです.

防災とは私たちの暮らしそのものです.無関係な分野など存在しません.しかし,大部分の分野で防災の視点,安全・安心の視点が欠けています.そこにまだまだ開拓すべき大きな原野が広がっているのです.

(産経新聞夕刊令和元年12月16日掲載)

安全・安心という価値を生み出す

今年,伊勢湾台風60年の節目を迎えます.1959(昭和34)年9月26日に紀伊半島先端の串本から上陸した台風は,伊勢湾の海面を通常よりも3.55mも上昇させ,堤防の決壊も相まって,死者・行方不明者5,098名という戦後最大の巨大高潮災害となりました.

巨大災害では,厳しい避難生活を強いられる住民が多くなることによって災害関連死という形で犠牲が拡大します.当時,関連死という概念がなかったため,正確なデータはありませんが,ピーク時の避難者数が32万人の阪神・淡路大震災と47万人の東日本大震災の関連死がそれぞれ919名,3,723名であることを踏まえれば,ピーク時の避難者数が50万人超とされている伊勢湾台風でも数千人規模の関連死が発生していたと考えられます.

その後,日本で高潮による巨大災害は発生していません.しかし,昨年9月4日に関西を縦断した台風21号は,私たちが南海トラフ巨大地震にばかり気をとられていてはいけないことを知らしめたと言えるでしょう.この台風は,大阪湾の海面を通常よりも3.02mも上昇させました.台風の通過が満潮時刻と重なったことも影響し,梅田に近い淀川大橋では河川の水位が堤防高を約21 cm上回りました.防潮鉄扉を閉鎖することによって浸水は免れたものの,高潮による危険性をまざまざと見せつけられました.

高潮から身を守るためには,台風が接近し,風雨が強くなる前に安全な場所に身を寄せる必要があります.台風21号では,一人ひとりが適切な行動をとるために,民間企業が大きな役割を果たしました.JR西日本による計画運休です.前もって告知されたため,通勤・通学が必要な人びとは風雨が強くなる中を活動せずに済みました.

新しい時代の安全・安心社会には「安全・安心の価値」を生み出す企業の存在が不可欠です.この価値を生み出す企業が,私たちの暮らしを変え,社会を変えていくのです.

(産経新聞夕刊令和元年8月19日掲載)

ポジティブな結果の有無に焦点を

平成の時代は「戦争」という点では元号に込められた平和が達せられたと歴史的に評価される日が来るかもしれません.しかし,「災害」という点では阪神・淡路大震災や東日本大震災など多発する災害によって多くの人命が失われるなど,大変苦しく厳しい時代でした.

令和の時代は,戦争・災害の両面から平和な時代になって欲しいと切に願います.しかし,南海トラフ巨大地震や首都直下地震,スーパー台風などの巨大災害の発生が懸念されるなかを生きてゆかなければなりません.

そのため,日常生活に大きな変化を強いるような防災・減災上の課題と向き合わなければならない場面も多くなるでしょう.例えば,津波が届かない場所にまちを移す高台移転や耐震性の低い住まいから耐震性の高い住まいへ引越すことなどはその好例です.住み慣れた住まいを離れることに大きな負担を感じる高齢者も多いでしょう.

災害対策上の最善の策が私たちの暮らしの最善の策とは限りません.日常生活に大きな犠牲を強いながら無理に防災・減災対策を進めると,結果として,まちの良さが失われたり,生き生きとした暮らしが失われ体調を崩す人が現れてくる可能性があります.災害が起きても悲劇が,災害が起きなくても強引な対策な結果として悲劇が起きるという事態は避けなければなりません.

それを実現する鍵の一つは,ネガティブな結果の有無ではなく,ポジティブな結果の有無に焦点を当てて判断できるようにしていくことだと考えています.住まいを移転しなければ命を落とす,という文脈ではなく,住まいを移せば親世帯あるいは子世帯との近接した暮らしが実現できるという文脈の中で判断できるようにすることが大切なのです.

(産経新聞夕刊平成31年4月15日掲載)

防災意識に頼らぬ仕組みづくり

年末年始休暇に続く,最初の三連休が終わりました.例年とは異なり「平成最後の」という言葉が多用されていますが,今日もいつもと変わらぬ「あたり前」の日常が横たわっています.

今年の新成人にとって,阪神・淡路大震災は生まれる前の歴史上の出来事なのかもしれません.講義で震災の話に耳を傾け,ノートにペンを走らせる二十歳前後の学生たちを前に,私は,今だからこそできること,これからだからこそできるようになることがきっとあるとの強い思いを抱きます.「災」の字で締めくくられた平成の経験を踏まえ,平成の次の時代は「安」の時代としなければなりません.

社会の構造や生活様式は,この24年間で大きく変化しました.阪神・淡路大震災の教訓とはなんだったのか,そして,これから何をなすべきなのか,改めて問い直す必要があります.震災を知らない世代が今後ますます増えていきます.また,訪日外国人の数は24年前の10倍という驚異的な伸び率を示しています.教育や意識啓発だけでこうした状況に対処するのは困難でしょう.24年前よりも地震に強い社会にするためには,個人個人の意識や知識の大小に関係なく,安心・安全を享受できる余地を広げていかなければならないと考えています.

さらに,阪神・淡路大震災を経験し,地震に強い社会とすべく尽力されてきた世代と,震災後に生まれ,震災を歴史上の出来事として受け止める世代とに,世代を分けて捉えてみると,一見同じように防災活動をしているように見えても,そのモチベーションは世代によってまったく違うはずです.そのことも考慮しつつ,災害教訓が生かされる仕組みを模索していくことが大切になってきていると思います.

(産経新聞夕刊平成31年1月15日掲載)

残された危険を一掃せよ

大阪府北部地震の発生から4ヶ月が経過しました.立て続けに発生する大規模災害に,振り返る間も無く今日を迎えられた読者もおられるでしょう.しかし,最大震度6弱を観測した地震災害としては珍しく,非常に多くの示唆を与えてくれた災害でした.今一度,気象庁が1923年に観測を開始して以来,大阪府で初めて震度6弱以上の揺れを観測したこの地震を振り返ってみたいと思います.

震度6強を超える強い揺れを伴う地震災害では,家屋倒壊による死傷者に注目が集まり,家具・家電の転倒等による犠牲への関心が低くなります.本地震では,家屋倒壊により命を落とされた方はおられません.その結果,過去の巨大地震災害で見落とされがちな課題に注目が集まりました.

震度5強は家具が無固定の場合には十分に転倒する可能性がある揺れの大きさです.大阪府,京都府の23市区町村で,それ以上の揺れを観測しました.家具転倒により1名が犠牲になりましたが,それ以外にも転倒した家具は無数にあったと予想されます.また,ブロック塀の倒壊でも2名が亡くなられました.人命を奪ったのは家具とブロック塀の転倒でしたが,今回の地震で顕になった凶器はそれだけではなかったはずです.そして,問題はそれらの多くがそのまま残存している可能性がある点にあります.残存する危険の徹底した洗い出しとそれらの除去を進めなければなりません.

南海トラフ巨大地震などの発生に備えて,今ほどこれらの問題に社会の関心が高まることはないでしょうから.

(産経新聞夕刊平成30年10月16日掲載)

大地震・大津波でも奪われないもの

先日,北海道の南西沖に浮かぶ小さく美しい島「奥尻島」を訪れました. 5月末でしたが,満開の桜が迎えてくれました.訪問の目的は学会で研究成果を発表することでしたが,もう一つ大切な目的がありました.それは25年前に地震と津波によって198名の命が失われた人口2700名の小さく美しい島の「いま」を見ることでした.

じっくりと1日かけて島を巡りました.島民の皆さんは互いのことをよく知っており,見たことのない私たちが学会関係者であることは簡単に見分けておられるようでした.私は,島民の皆さんのこと,「いま」の暮らしのことに関心があったので,タクシーに乗ったり,スナックに行ったりして,島民と思われる方々にとにかく話しかけました.そして,島全体が一つの大家族のようなこの島の雰囲気に触れることができました.それは島民ではない私にとってもなんとも言えない心地のいいものでした.

25年前に地震と津波によって多くのものが失われたのは確かですが,奪われなかったこの島の宝は25年経った今でも確かに息づいているように感じました.美しい海・山・空,美味しい海の幸,穏やかな島のみなさん,そして私たちのような外から来たものには分からない,島の皆さんにしか感じることができない宝がたくさんあるのだろうと思いました.災害が起きてしまったとしても,こうした宝を育み,感じることができる環境に戻すことが復興に大切なことなのかもしれません.

奥尻島は,開発の手が入り,金太郎飴のようになってしまった観光地が損ないつつあるものを大切にしているように感じました.たくさんの観光客を受け入れられる島ではありません.しかし,それがこの島の魅力を損なわないために大切なのかもしれません.

(産経新聞夕刊平成30年7月17日掲載)

安全・安心の新時代の幕開け

東日本大震災の発生から丸7年が経過しました.この間,被災地の多くの方々と出会い,お話をさせてもらいました.当初,よそ者の私に対して発せられる言葉にはどれも「悲劇が繰り返されて欲しくない」という思いが込められていました.

ところが,3年程前から言葉に変化を感じるようになりました. 昨年8月の本欄「防災分野以外の知恵不可欠」でも紹介しましたが,一見,防災とは無関係であるような分野で活躍する人びとの話題が多くなったのです.

塩害や少子高齢化の加速などの逆境を逆手に取り,日本中どこを見渡してもやっていないような新しい挑戦をする農家,漁師,医師,水産加工会社の社員など,そこには数多くのヒーローがいました.「挑戦し続ける,変わり続ける」との強い意思には「変わり続ける力」こそが生活,産業,地域の再興に欠かせないという強い信念が込められていました.

「変わり続ける力」の源となっていたのは,震災をきっかけにして生まれた多くの出会いでした.もともといた人たちと支援のために国内外から集まった人たちは,当初,支援する/支援されるという関係でしたが,気がつけば新しい発想・挑戦を生みだすパートナーとしての関係に変化したようです.もちろん,まだまだ苦しい状況が続いているという声も非常に多くあります.しかし,「助けられる立場」から「助ける立場」になられた方々の活躍が,被災地全体の希望になると期待しています.

現在,南海トラフ巨大地震や首都直下地震などの国難災害が私たちにとって大きな脅威となっています.被災地の言葉の変化は,日本中にある多様な分野の技術やサービスが安全安心分野に応用され,「変わり続ける力」が強化される時代の幕開けを示唆するものだと確信しています.

(産経新聞夕刊平成30年3月20日掲載)

「教訓」は自らの判断が重要

11月5日は世界津波の日でした.日本が制定した9月1日の防災の日とは違い,世界津波の日は国連によって制定されました.世界中の国々が互いに津波災害の教訓を共有し,災害に強い社会を作る,そのような機運が高まりつつあります.しかし,「教訓を活かそう」とは,誰もが子供の頃から言われますが,実は簡単ではないと今更ながらに痛感しています.

私は10年以上,防災の研究をしています.しかし,教訓として書かれていることを実行に移すことが「教訓を活かす」ことだと勘違いしていたようです.さまざまな文献に記されている教訓は,それを書いた人びとが教訓だと考えたこと.将来経験するかもしれない災害にどう備えるか,それは自分の責任で自ら判断しなければなりません. たとえ書かれていた通りのことをすることになっても,です.

1854年11月5日(旧暦)に安政南海地震は発生しました.この時,和歌山県広村の浜口梧陵が,収穫された稲むら(稲束)に火をつけ,消火に集まった村人たちを大津波から救いました.この「稲むらの火」の逸話に由来して,世界津波の日は制定されました.その後の梧陵の活躍は,小学5年生用の教科書(光村図書)のなかの伝記「100年後のふるさとを守る」に書かれています.私が今,これらの文献から教訓としたいことは,防災の専門家ではない,梧陵と名もない村人たちの行動が津波から多くの命を救い,村の復興に大きな役割を果たしたということです.来年はまた違ったことを教訓としているかもしれません.教訓とはそういうものなのです.

読書の秋.世界津波の日は過ぎてしまいましたが,みなさんもこれらの文献を読み,自分だけの教訓を見つけてみられてはいかがでしょうか.

(産経新聞夕刊平成29年11月21日掲載)

防災分野以外の知恵不可欠

9月1日は防災の日です.今年はこれまでと少し違った発想で防災について考えてみませんか.

1923年9月1日に関東大震災は発生しました.今から94年前の出来事です.死者・行方不明者10万5千人は今でも我が国の災害史の中で最大の数字です.関東大震災では,色々な人びとの知恵が被災した人びとを救いました.たとえば,安く食事を提供する「大衆食堂」が増えたのは,関東大震災が契機だったそうです.それに合せて,震災以前は高級だったカレーライスが大衆食堂の代表メニューとなり,庶民の食べ物になったとも言われています.

他にも,挙式と披露宴をひとつのホテル内で行う「ホテルウェディング」.当時は,神社で挙式を行うのが一般的でしたが,震災で多くの神社が焼失したため,ホテル内に神社を設置して,結婚式を挙げられるようにしたのがホテルウェディングのはじまりとされています.これらに共通することは,防災の専門家がやったことではないということです.食事を提供するプロ,ホテルでサービスを提供するプロがやったことです.

東日本大震災でも防災の専門家ではない人びとの活躍がありました.たとえば,塩害を受けた水田を利用して,大豆や綿花を栽培し,仙大豆ブランドの菓子や複数のブランドからコットン製品が販売されています.

関東大震災を上回る国難災害も,今や現実味を帯びた脅威として認識されています.こうした時代を生き抜くためには,一見,防災とは無関係であるようなジャンルから生まれる豊富な知恵が不可欠です.南あわじ市では,地元製造の「素麺」を非常食として備蓄したり,避難路を塞ぐ危険性のあった空き家を改修し,宿泊施設として活用したりと多様な知恵が地域を活性化し,防災力を高めています.これからの新しい防災の形だと考えています.

(産経新聞夕刊平成29年8月15日掲載)