「子ども新聞プロジェクト2023」に参加!

執筆者:木俣 青波(3回生)

こんにちは!奥村ゼミ3回生の木俣です.

先日,私は朝日新聞社様と日本赤十字社様が協働で実施されている「子ども新聞プロジェクト」に参加させていただきました.このプロジェクトでは,小学5,6年生の子ども記者たちが防災・減災に関する新聞を作成し,東海地域に40万部配布されます.

奥村先生によると,このプロジェクトが始まったきっかけは,2011年5月,朝日新聞社の記者さんが東日本大震災の被災地で偶然見かけた奥村先生に声をかけ,2人で被災地調査をされたことだったそうです.奥村先生は,南海トラフ巨大地震の脅威を抱えている西日本こそ,この被災地の空気を肌で感じ,災害に強い社会を作っていこうという強い思いを持った人が必要になると感じられたのだそうです.

さて,今回,私は4回生の百々さん,辻さん,同期の平田さんと共に,2023年6月17日,24日,25日の3日間,取材と記事づくりのお手伝いをさせていただきました.今回はそのことについて書かせていただきます!

これを読んでいる方の中には,「え,今さら6月のことを書いているの?」と思われる方もいるでしょう.実は,当初はブログ記事を書こうと思っていなかったのですが,後になって今回の貴重な経験を文字に残したいと思い始め,奥村先生に相談しました.そして,今,つまり2023年10月某日,この記事を書いています.

それでは,ここからは時系列に沿って今回の経験を紹介していきます.

6月17日

さあ1日目です.この日は朝10時から始まりました.場所は名古屋市にある朝日新聞社のビルでした.愛知県と岐阜県から9名の子ども記者たちが集まっていました.初めにプログラムの説明やプロの記者による記事の書き方レクチャー,子ども記者同士の自己紹介がありました.初対面とは思えない,明るく元気な自己紹介でした.みんなで弁当を食べた後は,奥村先生からの地震・津波に関する講義がありました.みんな真剣に話を聞いていて,とてもいい雰囲気でした.

そして,いよいよ次は取材です!この日の取材はリモートでした.気仙沼市役所の小野寺憲一さんと,気仙沼漁業協同組合の臼井靖さんへの取材でした.

小野寺さんは,「市民に復興したと感じてもらえるには,どうすれば良いのかを考え,挑戦し続けてきた12年だった.」などと震災後の活動を振り返ってくださいました.臼井さんは,被災後3ヶ月で魚市場を再開させたことを振り返って,「なんとしてもかつおの水揚げに間に合わせたかった.初めは不可能だと思われたが,この目標を達成するために何をすべきか,一人ひとりが考え,努力したからこそ成し遂げることができた.この経験があるから,どんなことでも仲間と力を合わせてやれると思える.」とお話しくださいました.お二人から目標にむけて努力する大切さなど多くのことを学びました.

初めての取材なのでみんな緊張気味でしたが,子どもたちから質問が尽きることはありませんでした.普通は流通しない,地元でしか食べられない食べ物の話題も飛び出したりして,盛り上がりました(笑).

取材後は編集会議です.ワークショップ形式で聞いた内容を皆で振り返っていきます.私たち学生がファシリテーターを務めました.印象に残ったことを付箋に書き出すのですが,ここで重要なのは「事実」と「自分の考え」をしっかり分けること.プロの記者から教わったことです.そして,内容ごとに付箋を整理し,記事にしたいことも皆で決めました.

これで1日目の活動は終了!子ども記者たちは,いつもとは違う頭の使い方をして本当に疲れたと思うのですが,最後まで元気よく頑張ってくれていました.私たちもヘトヘトになりました.私たちは帰りに名古屋名物「ひつまぶし」をいただき完全回復.初めてお店で食べました.とても美味しかったです!

奥村先生による講義の様子
小野寺さんと臼井さんに取材する子ども記者たち
話し合いによりまとめられた付箋
名古屋で食べたひつまぶし

6月24日

2日目の取材先は静岡県でした.朝,名古屋駅に集合し,バスで移動しました.最初の取材先は静岡市内にある静岡県地震防災センターでした.

地球に存在するすべてのプレートが描かれた壁があったり,地震の揺れを体験できる装置があったりと,普段目にしない展示や装置に子ども記者たちも私たち学生も夢中で見学しました.施設の職員さんによる解説もとても分かりやすく,避難所運営についての説明もあり,内容の充実度にも驚きました.

職員さんへの取材では,災害に関することだけではなく,職員さんがなぜこの仕事をしておられるのか,どのようなことに喜びを感じるかなどといった,職員さんに関する質問も出ました.職員さんは「子どもたちは大人よりも帰ってくるリアクションが大きいので,説明する私たちも嬉しいです.」と話してくださいました.

次の取材先は浜松市内にある一条工務店さんの浜松工場でした.同社は1978年に浜松で創業した住宅メーカーで,防災・減災に関する取り組みを大切にされている会社です.

 同社は実寸大の建物を使って行う「実大実験」にこだわっておられ,“耐震住宅”と“免震住宅”の違いや,使うネジの長さによって建物の頑丈さが変わることなどを実際に体験させてくださいました.

耐震住宅に続いて,“耐水害住宅”も実大実験を行ってくださいました.この住宅は水密性の高いパッキンや,逆流弁がついた排水パイプ,水圧にも耐えられる強化ガラスなどを備えており,周りが浸水しても屋内には一滴の水も侵入させません.浮力で建物が壊れないように,一定の水位に達すると建物が浮くようにもなっています.実験では実際に浮かぶ建物を屋内から観察し,子ども記者たちからは「うわー!浮いてる!」と驚きつつも楽しそうな声が上がっていました.

実験の後は,開発者である黒田さんや職員の甲斐さん,宇都宮さんに取材しました.特に,興味深かったのが,開発を始めた当初は“浮く家にする”という発想は無かったということでした.家の気密性を追い求めた先で浮力という問題に直面し,どうあがいても浮力の問題は解決できず,「いっそのこと水に浮く家にしてしまおう」という逆転の発想に至ったそうです.この話から私は短所をも長所に変えるような柔軟な考えの重要さを学びました.

この日の取材の最後には工場建屋の屋上に上がらせてもらいました.建屋は津波災害時の避難ビルになっており,職員や来客者などが外階段を使って屋上に上がれるようになっています.屋上からは海岸に沿って延々と続いている巨大な防潮堤を見ることができました.これは一条堤と呼ばれるもので,「地元浜松を南海トラフ巨大地震の津波被害から守りたい」という思いで,一条工務店さんが約300億円を寄付され2020年に完成した防潮堤です.3日目にはこの防潮堤について市役所の職員さんを取材しました.

2日目の取材がすべて終わり,ホテルに向かいました.

ホテルで夕食を食べたあとは編集会議です.一日の取材を振り返り,何を記事にすべきかを話し合います.この日は朝から多くの場所を取材したので,子ども記者たちには疲れが見られましたが,最後までよく頑張ってくれました.

静岡県地震防災センター
静岡県地震防災センターの中の様子
宇都宮さんの説明を聞く子どもたち
耐水害住宅を体験している様子
2日目の編集会議の様子

6月25日

さあ最終日です.この日も朝から取材が続きました.

最初の取材先は浜松市役所の危機管理課でした.取材前に,市役所の隣にある浜松城を散歩しました.疲れが溜まっていたので,いい気分転換になりました.

さて,取材では“一条堤”についてお話を聞きました.一条工務店だけではなく,多くの地元企業からの寄付などの協力があって完成した防潮堤であること,この防潮堤が完成したことによって沿岸部の宅地浸水面積が約8割減ったことなどを知りました.子ども記者たちによる取材では,防潮堤の建設に反対していた人々に対してどのように理解を得ていったのかといったお話も聞くことができました.

その中で特に興味深かったことは,計画に理解を示してもらえるよう努めたり,住民に迷惑が掛からないようにダンプカーは住宅街を避けて通るようにしたりと様々な工夫をされていたというお話でした.職員さんの市民を守りたいという強い想いを感じることができました.

次の取材先は,日東工業さんでした.愛知県長久手市に移動しました.長久手市は名古屋市と豊田市に挟まれたベッドタウンです.同社はブレーカや電子機器を保護するキャビネットや,ブレーカーなどを製造販売しています.

ここでは感震ブレーカーの開発秘話などをお聞きしました.感震ブレーカーとは,地震による停電から復旧した時に発生する恐れのある“通電火災”を防止するための機能がついたブレーカーです.阪神・淡路大震災直後の開発当初は,市場にさまざまな粗悪品が出回り,日東工業さんの商品もその影響を受け,販売が伸びず,一時は製造停止に陥ったとのことでした.しかし,その後,10年以上の歳月を経て,国によるガイドラインが策定されると,感震ブレーカーへの信頼が高まり,再び製造販売ができるようになったそうです.

次に,長久手市くらし文化部安心安全課の山際さんを取材しました.同市の被害想定によると,南海トラフ地震が発生した場合の全壊家屋は約70棟,死者はわずか(5人未満)とされており,比較的被害は小さいまちです.また,ベッドタウンである同市の特徴は,約7割の市民が市外へ通勤・通学しており,日中の市内人口が少ない点にあります(山際さんの肌感).

「もし南海トラフ地震が発生したら,このような長久手市ではどのようなことに困るだろう」と子ども記者たちと考えて見ることにしました.子どもたちからは「日中に災害が起きると,名古屋市内などに通勤している親が家に帰れなくなり,親が帰ってきてくれるまでの間,子どもたちだけでなんとかしなければならなくなる家庭が多くなるのではないか.とても心配だ.」という意見がでました.自分にはなかった視点だったのでとても参考になりました.

そしていよいよ最後の編集会議です.

この日に取材したことの中で印象に残ったことなどを書き出していきます.もう3回目なので子ども記者たちも慣れており,手際良く作業が進みました.この日は難しい内容が多かったのですが,自分の感じたことをしっかり言語化できていて感心しました.

解散地の名古屋駅までのバスの中では,緊張から開放されたのか何人かの子どもたちはぐっすり眠っていました.

私たち学生のお手伝いはこの日で終わりです.子どもたちはこの次の週の7月1日に記事を書き上げました.今回のプロジェクトは,子どもたちにとって未経験のことばかりで,とても疲れたはずなので「おつかれさま!」と言ってあげたいです.

名古屋駅で子どもたちと解散後,奥村先生と私たち学生は名古屋名物の味噌煮込みうどんをいただきました.とても美味しかったです!

浜松市役所での取材の様子
感震ブレーカー
3日目の振り返りの様子
味噌煮込みうどん!

プロジェクト同行を終えて

私たち学生は子ども記者たちの取材や記事づくりを支援するためにこのプロジェクトに参加しました.少しでも役に立てていたら嬉しく思います.しかし,振り返ると,私たちが学ぶことの方が多かったかもしれません.特に,子どもたちの柔軟な考え方から出てくる意見にハッとさせられることが多く,貴重な経験になりました.参加させていただけて本当に良かったです.

最後になりますが,本プロジェクトを企画してくださった朝日新聞社様,日本赤十字社愛知県支部様,取材に協力してくださった多くの方々,並びに企業様,案内してくださった奥村先生,ありがとうございました!

参考:奥村先生の寄稿文 こちら