2014年イラン調査

9 月 4 日から14日まで、イラン・イスラム共和国で、フレグ・ウルス時代の遺跡・文物調査を行いました。あわせてアケメネス朝・ササン朝・セルジューク朝関係の遺跡も見てきました。この調査に関する詳しい行動記録は、『関西大学東西学術研究所紀要』第48輯(2015)kiyo4823.pdf (kansai-u.ac.jp)で読むことができます。

テヘランの南40㌔のヴァラミーンにある大モスク。フレグ・ウルスの第 9 代イルハンである
アブー・サイード(在位:1316~1335)の
治世に建立された。写真は、モスク東入口のエイヴァーン(イーワーン)。
 ミールの丘(Tappe Ye Mil)に残るササン朝時代のゾロアスター教神殿の遺址。
アラー・オッディーンの塔(Borj-e Ala Oddin)。ヴァラミーンの大モスクの東。
レイの街に残るるトゥグリク・ベクの墓。
フレグ・ウルス第 8 代イ
ルハンのオルジェイトゥ
(在位:1304~1316)の墓廟。
アラムート城遺跡。セルジューク朝時代に組織されたイスラーム教シーア派の中の過激派であるイスマーイール派暗殺者教団の本拠地。
アラムート城の頂上に築かれた北城エリア。
 タフテ=ソレイマーンとその周囲の景観。ここは、標高2120m に位置するゾロアスター教の聖地。アラビア語で「シーズ」といい,タフテ=ソレイマーンは19世紀以降の綽名という。円形の城壁はササン朝時期のもの。
タフテ=ソレイマーン内のモンゴル支配期の建築群遺構。中央の屋根のかかっている建物が復元された博物館。城壁の左門がモンゴル時代のもの。右はササン朝時代の門。フレグ・ウルス第 2 代イルハンのアバガ・ハン(在位:1265-1281)の時に,この地は夏営地となり,その時にサマーパレスが建造された。
マラゲにあるる Gonbd-e Ghaffariyeh。フレグ=ウルス最後のハンであるアブー・サイード(在位:1316-1335)によってヒジュラ暦725年から728年(西暦1325~1328)の間に建造。
Gonbd-e Ghaffariyeh 正門
上部の装飾。
マラゲにあるフレグ・ウルス時代の天文台遺跡。フレグ(在位:1258-1265)の命令により、ペルシア人科学者のナーシル・アッディーン・トゥーシの設計・監督のもと,ヒジュラ暦657(西暦1259)年に建設。
円形の石の礎石と南北軸の礎石,そしてその一番南の部分にある円周の一部を切り取ったようなレール(溝)が遺構として残っている。
マラゲにあるGonbad-e Kabud。右の八角形の塔がフレグの母の墓廟と伝えられるもの。
タブリーズにある Rab-e Rashidi(ラシード区)。フレグ=ウルスのガザン・ハンの時代、タブリーズの東郊に宰相ラシード・ウッディーンによって建設された。宗教や学術施設があっ
たエリア。
タブリーズの。Arge Alishah。オルジェイトに仕えた宰相タージュ・アッディーン・アリー・シャーによって建設されたモスクの遺構。現在は、ドームが崩れ、南壁が一面のみ残る。
タブリーズ・バザール内にある、かつてのキャラバンサライ。現在は荷物置き場として利用。
イラン南部のシーラーズの金曜モスクにある「神の家」(右)。フレグ・ウルス末期の1351年の建造物。
有名なペルセポリスの遺跡
イスファハーンの金曜モスク。
 イスファハーンの金曜モスクに残る、オルジェイトゥ建立のミフラーブ。