私のこと

森部豊(MORIBE, Yutaka)

小学校の時の夢は、中国で本場の〔肉まん〕を食べることでした。すでに、中国に興味津々。中学校の頃は、〔人民公社〕で働いて、中国武術を学ぶことを夢見ていました。別にコミュニストではありませんが。高校の時に、中国史の研究者となろうと考え、その結果、地元にあった愛知大学に進学します。

愛知大学は、1980年代の当時としては中国との交流が盛んで、〔中国学〕のメッカと言われていました。 1987年、2年次の夏休みに8週間の語学留学へ行きました。北京語言学院です。はじめて行った中国では、二度と行きたくない、と思うほどの衝撃をうけました。しかし、帰国すると、不思議なことに、再び中国に行きたくなるようになるではありませんか!その結果、3年次の春休みに7~8週間、ふたたび北京語言学院へ短期留学し、そして4年次の9月からついに1年間、交換留学生として天津の南開大学へ赴き、中国ライフを満喫してしまいました。

大学卒業後は、迷わず大学院へ。中国留学にも寛容な雰囲気があった筑波大学大学院を選択。唐代史研究・中国都市史研究の第一人者・妹尾達彦先生(現・中央大学教授)に師事しました。そこで、〔昭義節度使〕をテーマとした中間評価論文(修士論文に相当)を執筆し、その後、1994年から北京大学歴史系へ留学します。霞山会からの派遣留学でした。 北京大学での留学生活は刺激的なもので、かつ私の研究方向を大きく転換させるものでした。もともと、唐代の藩鎮(軍閥みたいなもの)の研究をしていたのですが、私の師事した唐代史・東西交渉史研究の第一人者である栄新江教授の助言で、藩鎮の中にいるソグド人を追跡してみることになったのです。1995年のことでした。ソグド人は、高校の世界史の教科書にも載っていて、隋唐時代の国際商人のイメージが強いと思います。ところが、実際には、商業活動だけでなく、政治・外交・軍事にも大きくかかわっていて、むしろ隋唐時代から五代・宋初にかけての中国の歴史をソグド人が動かしていたような形跡すらあります。こうして、中国の歴史を漢族の歴史として見るのではなく、様々な民族が作り上げたものとして見ようという研究姿勢ができあがり、今日にいたっています。

略歴

  • 1967年、愛知県岡崎市生まれ。
  • 1986年、愛知大学文学部入学。
  • 1989年、中国天津の南開大学へ漢語進修生として交換留学(1990年まで)。
  • 1991年、愛知大学文学部卒業。
  • 1991年、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科入学。
  • 1994年、北京大学歴史系へ高級進修生として霞山会より派遣留学(1996年まで)。
  • 2000年、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得のうえ退学。
  • 2001年、筑波大学文部科学技官(2004年まで)。
  • 2004年、「唐五代時期の華北における北方系諸族と河北藩鎮」により,博士(文学)(筑波大学)取得。
  • 2005年、関西大学文学部着任。現在にいたる。