こんにちは!奥村ゼミ3回生の内海太陽です。
私は9月3日から10日まで、インドネシアのバンダアチェで「KiDS」メンバーの一員として活動に参加しました。現地では、防災教育の実践に加え、津波被災地の復興状況や防災の現状についての調査も行いました。
このブログでは、子どもたちとの交流の様子や現地での学びについて書いています。笑いあり、学びありの1週間を少しでも感じていただけたら嬉しいです。
まずは、KiDSについて簡単にご紹介します。
KiDSとは
KiDS(Kyoto University Disaster Prevention School: 京都大学防災教育の会)は、2004年のインド洋大津波をきっかけに、京都大学の学生と清野純史先生(当時京都大学助教授、現名誉教授)によって設立された、インドネシアで防災教育に取り組む学生団体です。活動は、被害が最も大きかったインドネシア・バンダアチェで始まり、最初の3年間は同地で継続して実施されました。その後はインドネシア各地に活動の場を広げ、昨年で設立から20年を迎えました。
本年は、原点であるバンダアチェで再び活動が行われました。また今回から、関西大学の奥村与志弘教授の協力を得て、KiDS(Kyoto & Kansai University Disaster Prevention School: 京都大学・関西大学防災教育の会)として関西大学の学生も加わりました。
KiDSは、インドネシアの子どもたちと共に学び合い、その学びを地域社会へと広げることで防災意識を高めることを目指しています。当初は日本の防災知識を伝えることが中心でしたが、現在は現地の文化や生活に根ざした知恵や経験から学ぶことも重視し、双方向的な交流を通じてお互いに防災のあり方を考える活動へと発展しています。

9月3日(水) 関西国際空港出発し、シンガポール・チャンギ国際空港へ
ついに迎えた初めての海外。ドキドキとワクワクを胸に、関西空港から旅が始まりました。
出発は予定より1時間ほど遅れ、離陸は18時半頃に。思いがけないアクシデントに少し疲れも出ましたが、待ち時間のあいだに奥村教授とゆっくりお話ができたことは、この遅延に感謝です。普段のゼミ生活ではなかなかないことです。緊張がほぐれ、旅の始まりにふさわしい穏やかな時間になりました。
飛行機が飛び立った瞬間、窓から見えた空の景色は忘れられないほど美しく、「これから新しい世界に行くんだ」という実感が一気に湧いてきました。
ところが、数時間後に思わぬハプニングが。前の席の方がシートを倒した拍子に手元の飲み物が盛大にこぼれ、慌てて拭いたものの匂いは完全には消えず、苦笑いするしかありませんでした。初海外の高揚感が台無しになってしまいましたが、これも含めて「初めての海外体験」だと前向きに受け止めることにしました。
深夜にシンガポール・チャンギ国際空港へ到着。翌朝早いフライトのため空港泊ということで、冷房が効きすぎて寒さに震えながら半袖半ズボンという格好で、床の上に眠ることになりました。忘れられない初日の締めくくりになりました。

9月4日(木) インドネシア・ジャカルタを経由してバンダアチェへ
早朝、シンガポールを出発し、インドネシアのジャカルタを経由して、夕方16時半にバンダアチェに到着。着陸時に機体が激しく揺れ「このまま終わるんじゃないか」と思うほどでしたが、無事に地上に降り立った瞬間に、安堵と同時に「やっとここまで来た!」という実感が湧いてきました。
スルタン・イスカンダルムダ空港では、私たちの活動を支えてくださったウィナさんやメックスさん、現地の大学生の皆さんが横断幕を持って出迎えてくれました。温かい歓迎に不安も少し和らぎました。宿泊先の家は日本とは大きく異なり、独特な雰囲気。シャワーも水しか出ず、最初は戸惑いました。それでも、「この環境もいい体験だ」と気持ちを切り替えることで、少しずつインドネシアでの生活に馴染むことができました。
初めての海外は想像以上にハプニングの連続。けれど、フライトの遅延があったから奥村教授と話す時間が持てたり、予想外の出来事も「忘れられない思い出」になりました。ワクワクと不安が入り混じりながらも、確かに「ここでしか味わえない体験」が始まりました。これからどんな出来事が待っているのか、胸が高鳴りました。


9月5日(金) アチェを歩き、防災を学ぶ
この日は、翌日の防災教育の本番に向けて、最終確認と練習からスタートしました。現地の大学生の皆さんに指導していただきながら、インドネシア語の発音やブレスのタイミングなどを丁寧に練習しました。
練習の後は、アチェに残る伝統家屋を見学しました。かつてアチェでは家の所有者は女性で、男性はモスクで寝泊まりすることもあったそうです。結婚すると、男性が女性の持ち家に移り住むのが一般的だったと聞き、文化の違いを強く感じました。近くにあった大きな鐘には、「悪いことが起きると勝手に鳴る」という伝説があることも教えていただき、昔のアチェの人々の災害観に思いをはせました。
さらに、現地の学生が現在の警報の仕組みについても教えてくれました。今はモスクやテレビから警報が流れるようになっているそうですが、日本と違い、スマートフォンには配信されないとのことでした。音をどう使い、どう伝えるかという仕組みも日本とは大きく異なり、けたたましくスマホが鳴る日本の緊急地震速報を思い出しながら、文化の違いが警報の形にも現れることに深い関心を抱きました。


次に訪れたのは、2004年インド洋大津波の後に建設された津波避難タワーでした。高さはおよそ20〜25メートル。そばに立つ石碑には日本(JICA)が建設に関わったことが記されていました。タワーの上から見下ろすと、住宅街と海との距離が一目でわかり、津波がどのように街を襲ったのか、被害の大きさを改めて実感しました。
目の前に広がる穏やかな街並みは美しくもあり、同時に過去の災害の記憶を静かに語りかけてくれるようでした。現在、このタワーはアチェで行われる避難訓練にも実際に活用されており、住民や子どもたちは日常の中で自然と避難場所を意識するそうです。
こうして日常生活の中で避難意識を高める取り組みが続けられていることを知り、防災の備えには“形だけでなく、生活に根ざした意識”こそが大切なのだと感じました。



さらに、インド洋大津波で屋根の上まで流された船も見学しました。地震が発生した当時、船長は眠っていて津波に気づかなかったそうですが、周囲の住民たちはすぐに避難し、多くの人が奇跡的に助かったと伝えられています。
目の前にそびえるその船は、ただの廃船ではなく、津波の恐ろしさと人々の勇気、そして命を守るための判断の象徴のように感じられました。その姿は、東日本大震災の映像やニュースを思い起こさせ、自然の力の前で人間がいかに無力でありながらも、助け合いや迅速な行動によって命をつなぐことができるということを改めて考えさせられました。
地元の人々がこの船を語り継ぐのは、単に災害の記録としてではなく、その中に刻まれた教訓と希望を次の世代に伝えたいという思いがあるからだと実感しました。

その後は、マングローブの植林活動に参加しました。マングローブは津波を防ぐ防潮林としての役割だけでなく、津波に巻き込まれた人が沖に流されないようにする役割もあることを学びました。
実際に手で土を掘り、苗を植え、根をしっかり固定する作業は想像以上に体力を使いましたが、その分、1本植えるごとに「自分も防災の一端を担っている」という思いが強まりました。単に楽しく取り組むだけでなく、マングローブが果たす防災の役割を体で感じる貴重な時間でした。土に触れ、苗が根付く様子を見守りながら、自然への畏敬とともに、日常の中で防災を意識することの大切さを改めて心に刻みました。


9月6日(土)いよいよ小学校で防災教育
この日は現地の小学校を訪れました。到着すると、子どもたちが私たちを歓迎する伝統の舞を披露してくれました。その独特のリズムと音楽、息の合った動きの一つひとつに文化の深みを感じ、そして何よりも楽しそうな笑顔からアチェの温かさが伝わってきました。2校目を訪れた際には、舞に加えてアチェを象徴するバッジをいただき、その精緻なデザインと鮮やかな色合いの美しさに心を打たれました。
その後、私たちKiDSによる防災劇を披露しました。子どもたちは目を輝かせながら真剣に見つめ、ときに声を上げて笑い、教室全体が明るい空気に包まれていました。その熱気に応えるように、私たちも自然と力が入りました。劇の途中や終わりには、地震や津波の仕組み、避難時の行動などについて積極的な質問が相次ぎ、防災の大切さがしっかり伝わっていることを実感しました。子どもたちの笑顔に触れながら、防災教育が文化の中に溶け込み、地域の誇りとして息づいていることに気づかされました。



午後は、2004年インド洋大津波の後に建設された津波ミュージアムを訪れました。建物は印象的な外観です。上から見下ろすと泉の形をしており、また船を思わせる造形になっています。横から眺めると壁にはアチェの伝統舞踊が描かれています。建物内部には、実際に津波に流された家具や時計などが展示されており、被害の大きさと悲惨さを直接肌で感じることができました。目の前にある一つひとつの展示物が、過去の災害の記憶を語りかけているようで、アチェの人々にとって、このミュージアムが未来へ何を伝えるべきか、その課題の重さを強く実感しました。



さらに、津波で打ち上げられた発電用ディーゼル船(PLTD)も訪れました。これはもともと海上で電力を供給するための大型船です。津波の圧倒的な力によって、多くの建物や家屋を破壊しながら数キロ内陸まで押し流されたという事実に言葉を失いました。間近で見るその巨大さと重厚感は圧倒的で、津波の破壊力を肌で感じることができました。形を保ったまま残ったPLTDは、災害の恐ろしさを物語る象徴として強く印象に残り、言葉では伝えきれない被害の規模を改めて実感しました。

その後、モスクを訪れました。内部の小さな部屋には津波被害の写真が多く飾られており、犠牲者の姿や救助活動の様子が生々しく伝わってきます。中には胸を締めつけられるような死者の写真もあり、災害の悲惨さを強く実感しました。一方で、津波に流されず残ったモスクの存在は、人々が神の力を信じる理由の一端を垣間見せてくれました。美しい建築物の中に息づく信仰の力は、災害を乗り越える人々の精神的支えになっているのだと感じました。
その日の最後には、ビーチに近いカフェでコーヒーを飲みながら、1日の活動を振り返りました。静かな時間の中で、子どもたちの笑顔やミュージアム、PLTD、モスクでの体験を思い返し、災害の記憶とそこから得られる教訓の重さを改めて感じました。1日を通して、目で見て、触れて、感じることができた経験は、私自身の防災への意識を深めるとともに、「伝えることの大切さ」を改めて心に刻む時間となりました。
さてまだまだインドネシアでの活動は前半戦!後半戦はどんな出会いと学びが待っているのか、胸を高鳴らせながら次の地へ向かいました。 後半はこちら