南海トラフ巨大地震の新想定公表(令和7年3月31日)

当研究室では,防災・減災に資する社会的実践にも力を入れており,その一環として,教員が政府の専門委員会等に参画し,政策形成過程に貢献しています.

南海トラフ巨大地震に関する政府委員会での役割

私(奥村)は,南海トラフ巨大地震に備えた防災政策の見直しを目的とする以下の政府委員会に委員として参画しました.

・南海トラフ巨大地震モデル・被害想定手法検討会(令和5年2月〜令和7年3月,全10回)
・南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ(令和5年4月〜令和7年3月,全29回)

これらの委員会では,想定手法の検討,対策の進捗状況の確認,新たな被害想定の実施,新たな防災対策の検討などが行われました.私は,主に以下のテーマに関して検討に携わりました:

1.最大クラスの災害との向き合い方
2.津波避難
3.災害関連死

▼報告書はこちらからご覧いただけます:

モデル・想定手法検討会 報告書(内閣府 防災情報のページ)
対策検討ワーキンググループ 報告書(内閣府 防災情報のページ)

報告書公表に伴うメディアでの発信

令和7年3月31日の報告書の公表を受け,さまざまなメディアにて,出演やコメント提供を行いました.防災政策の社会的理解を深める契機として,積極的に個人的見解を発信し続けています.

R07.03.18:産経新聞「日本の防災は転換期に 南海トラフ地震の新たな被害想定公表へ」夕刊,関大 社会安全学部リレーコラム.
R07.03.31:日経新聞「国難災害が突く人口減の急所 南海トラフ対策の転換点」 電子版.WEB記事
R07.04.01:日経新聞「南海トラフ地震、災害関連死は最大5万人に 政府初推計」 朝刊43面.WEB記事
R07.04.01:毎日新聞「クローズアップ:減災、行政主導に限界 南海トラフ被害想定」 朝刊3面.WEB記事

NHKでの出演・コメント提供:
R07.04.01:NHK「【Q&A】南海トラフ巨大地震「新被害想定」専門家に聞く」,WEB記事
R07.04.01:NHK[関西]「ほっと関西『南海トラフ新想定 「災害関連死」を初試算 近畿1.7万人か』」18:10〜19:00.WEB記事
R07.04.02:NHK[関西]「ほっと関西『南海トラフ巨大地震 津波の犠牲者 早期避難で9割減に』」18:10〜19:00.WEB記事
R07.04.05:NHK[総合]「ニュース7『南海トラフ巨大地震『津波避難ビル』指定進むも認知が課題に』」19:00〜19:30.WEB記事

よくある質問と見解

ここでは,よく寄せられる質問とそれに対する私の見解を紹介します(あくまで個人の立場としての発言です).

新たな被害想定に対する受け止め

Q.今回の新たな被害想定をどう評価しますか。
A.
詳細な地形データの利用などで,従来は評価しきれなかった津波浸水リスクを,しっかり評価できた点はよかった.また,前回はできなかった「災害関連死」による死者数を試算し,具体的な数字を示したことも対策を進める上で,大きな一歩になった.一方で,ハード対策の効果を十分に評価できなかった点は課題.例えば,1000年に1度の津波でも簡単には壊れない粘り強い海岸堤防の整備が進められ,住民の避難時間を稼ぐ効果が期待されているが,こうした点は犠牲者を算出する際には考慮されていない.

津波避難

Q.犠牲者数が前回とあまり変わらなかったのはなぜ?
A.
南海トラフ巨大地震による最大クラスの津波を構造物だけで防ぐのは不可能.犠牲者の数を決めるのは「人々の避難行動」.前回の想定では,早期に津波避難する人の割合を20%として計算しているが,今回もこの割合に変化がないという条件で計算したため,大きな差が無いという結果になった.

検討の中では,内閣府の意向調査で「早期避難の意識を持つ人が53%」という結果を使って試算することも議論になった.ただ,これはあくまでも「意向」であって,本当に避難できると約束されたものではない点や,意向調査の結果をうのみにして大幅に減少した死者数を示し,「もう大丈夫だ」と楽観視されてしまうとかえって危険だという議論もあり,今回のような形になった.

早期避難の意識を持つ人が増えたということは,助かる人の数も確実に増えているはず.今後は,そのような意識の醸成を図ることに加えて,意向通りに行動した際に,避難できるようにする取り組みに目を向けなければならない.たとえば,誰もがとっさに逃げられるまちづくりを進めることなどが重要になってくると考えている.この10年余り,避難対策に取り組んできた人や地域にとっては,数字があまり変わらず落胆するかもしれないが,想定に一喜一憂して防災対策が後退するようなことは避けるべきだ.

災害関連死

Q.災害関連死に関する推計にどのような意義がありますか?
A.
あくまで過去の災害から想定した数字であり,単純に規模を増やしても南海トラフ地震の関連死が予想できるものではない.そもそも精度よく関連死の数を予測することに意味はない.これまで,津波避難や建物倒壊などの「直接死」に比べて,発災後の対応が災害関連死とどう結びつくかという議論は曖昧だった.今回初めて関連死の規模が示されたことで,どういった対策を打てるのか,広く考えるきっかけになればと思う.

Q.災害関連死の推計(2.6万~5.2万人)は多すぎませんか?
A.
高齢化が進む中で,津波の次に大きな課題になるのが災害関連死だ.今回の想定は,過去の災害を参考にして災害関連死の人数を試算したが,予期せぬことが起きれば被害は想定より大きくなる.南海トラフ巨大地震は,東日本大震災と比べてもさらに広域の災害となって,被害を受ける人の数は多くなり,被災者を取り巻く環境はより深刻になるはずだ.

ただ,どこまで深刻になるかは経験がなく,評価ができないので,東日本大震災と同じような発生率だと仮定して試算を示すにとどめた.個人的には,南海トラフ巨大地震による災害関連死は,もっと多くなる可能性があると思っている.

Q.災害関連死の死者数が最大2万6千~5万2千人と幅がある理由は?
A.
南海トラフ巨大地震では,約650万人の避難者が想定されている.今回の推計では,まず過去最大規模の避難者を出した東日本大震災(岩手・宮城)における避難環境と同程度の水準に収まった場合の関連死者数を見積もった.もっとも,東日本大震災の避難者数は南海トラフの想定の10分の1以下にとどまり,その影響を単純に当てはめることには限界がある.しかし,他に有効な手立てがなく,現時点で採り得る方法としてやむを得なかった.さらに,推計作業の途中で発生した能登半島地震では,これまでの傾向では説明がつかないほど多くの関連死が認定されており(しかもまだ確定値ではない),将来の災害でも過去を上回る深刻な事態が生じる可能性がある.こうした拡大リスクを一定程度織り込んだ結果,推計には幅を持たせる形となった.本推計は,現時点で利用可能な知見に基づき,最善と考えられる方法を用いたものである.

Q.熊本地震,能登半島地震では直接死を上回る関連死が認定されているが,推計の結果をどう捉えるべきか.さらに増える場合の要因としては何が考えられるか.
A.
直接死と関連死には明確な相関はなく,両者は独立して考える必要がある.関連死の増加要因として,例えば,避難生活の長期化や生活拠点の転々とした移動が挙げられる.東日本大震災における福島県の事例が代表的であり,同様の状況が南海トラフ巨大地震において広範に生じた場合,関連死は13.6万人に達する可能性があることも参考値として示した.

Q.発災後の状況で死に至る可能性がある「要対処人口」の推計が出されているが,この推計の捉え方は?
A.
今回の推計は,過去の災害で確認されていない状況は考慮していない.「要対処人口」は,災害によって命を落とすリスクのある人々の存在と規模を明らかにするものであり,将来起こりうる未経験の事態を意識するうえで有効な視座となる.今回はその一部を例示したにすぎず,今後さらなる検討が必要である.

Q.災害関連死を減らすにはどのような対策が必要ですか?
A.
災害関連死は多くの要因が複雑に絡み合って起きる.「これをすれば解決する」というものはなく,被災者を取り巻く環境を見ても,食の問題,風呂の問題,住まいの問題,薬をどう届けるかの問題など,改善できる点がまだたくさんある.行政だけが対応すれば解決するものではなく,いろいろな立場の人が関わり「何か役立つことはないか」と考えることが何よりも大切だと思う.

最大クラスの災害との向き合い方

Q.いつ,どのような経緯で,私たちは“最大クラスの災害”に向き合い始めたのか?
A.
東日本大震災から14年.日本社会は「二度とこのようなことを繰り返してはならない」という思いのもと,走り続けてきた.ここでいう「このようなこと」とは,それまで経験したことのなかった“数千年に一度”という確率で発生する最大クラスの災害により,甚大な人命を失うという事態である.

大阪梅田では,津波浸水リスクへの認知が進み,観光客を除く関係者の8割が「津波から逃げる」という意識を持つまでになった.しかし,これはあくまで“意識”にすぎない.実際に逃げるのか,そもそも逃げられるのか――それが,次の10年の大きな課題である.

Q.次の10年,私たちは最大クラスの災害とどう向き合えが良いのか?
A.
これまでの取り組みでは,主にこれまでの経験に基づいて被害を算出し,その上で対策を検討してきたと受け止めている.災害関連死の検討などは,その好例だ.その上で,今後,特に重要だと考えているのは,次の3点である.
一つ目は,「最大クラスの災害との向き合い方」.日常を壊さずに,どう備えていくのか.生活と備えをどう両立させるかが問われている.二つ目は,「過去の延長で予測できないような深刻な事態をあぶり出し,そのようなことが起きないように手を打っていく」という視点である.そして,三つ目は,「こうなってはいけない」という恐怖からだけではなく,「こうありたい」という未来を描きながら取り組むということである.

Q.防災は,これからの社会にとってどのような意味を持つのか?
A.
「防災」と聞くと,どうしても“備えるべきこと”,“備えておかねばならないこと”というイメージが先行する.しかし,それだけでは人の心は動かない.「こうありたい」「こう生きたい」という未来を語りながら取り組めば,共に歩む仲間も増えていくはずである.防災や減災が,閉じた議論ではなく,むしろ社会の可能性を広げていく前向きなテーマとして語られる時代にしていきたい.