誰かの役に立てたならば 〜2年間の旅路を振り返って〜

奥村ゼミ6期生 辻琴音

「三食食べていける。人生、それだけでも幸せだけれど、誰かの役に立てたと感じられたとき、これ程幸せなことはない。」―奥村先生より

卒業式を迎えた日に,奥村先生が私たちに贈ってくださった言葉です.

社会人になり,社会の荒波に揉まれつつも,先生の言葉を糧に三食のご飯を忘れない私ですが,奥村ゼミでの日々を振り返るならば,まさに誰かの役に立てるには?と試行錯誤を重ねられた時間だったと実感しています.

例えば,日々の研究の中で避難行動や被災後の生活について考えます.そうした経験がいざという時に誰かの命を救えるかもしれません.また,ゼミ室から飛び出して,調査で地域の避難訓練に参加することや,ボランティアに参加することもあります(最近では,能登半島地震の被災地でボランティア活動を行っている後輩たちがいるそうです).それらの経験はすぐに誰かの役に立てています.日常的なゼミ室でのゼミ生同士の会話や飲み会での楽しい会話の中では,研究,就活,恋愛など色々な話をしますが,何気ない友人の一言に助けられることもあります.

一方で,人の役に立つと思ってとった行動が空回りすることもあります.私にとっては役に立てているつもりでも,相手はそのように受け止めてくれていないこともありました.ゼミ生活を通じて,「役立つ」ために行動することの難しさも実感しました.

防災は災害時という非日常時にしか役立たないことが多いために,「日常時だとこんなんいらんやん!」と思われてしまいがちです.しかし,それならば日常時から役立ち,災害時にも人の命を守ることができる防災にすれば良いのではないか.簡単に諦めずにそのようなことを考えられるようになったことも,ゼミ生活の一つ一つの経験を通じて得ることができたことの一つです.

ゼミ生活の2年間,日々研究に励み,ゼミ生への気配りも忘れない奥村先生をはじめ,ゼミ生に数えきれない程助けられました.対して,私は皆さんに対してどこまでのことができたのか...正直,力量不足を感じていました.そんな私にも皆さんの役に立てる機会を得ていたのは,奥村先生をはじめ,先輩や同級生,後輩の皆さんが作ってくれた「つながり」があったからだと,今振り返って,そのように思っています.(ここ奥村ゼミの魅力です.)

誰かの役に立つために考え,行動することは奥村ゼミに入らなくてもできたことかもしれません.しかし,奥村ゼミに所属して,地域の防災に参加したり,ゼミ室で研究をしつつ,ゼミ生と語り合ったりしたからこそ,誰かの役に立つとはどういうことなのか,それまでの私にはなかった考え方をもつことができたのだと思っています.

奥村ゼミでの2年間は長い人生の中では一瞬に過ぎないかもしれません.ですが,忘れられない経験がぎっしり詰まった時間になりました.今後も奥村ゼミで学んだ「役に立つ」ための極意を忘れず,頑張っていきたいです.最後になりましたが,奥村ゼミの皆さん,本当にありがとうございました!

とある日のゼミ終わりの一枚。