芦田恵之助先生没後70年記念(鈴木祐治先生53回忌) 第138回 国語教壇修養会@筑波大学附属小学校(2022.07.27-28.)

 第7派が猛威を振るう中、感染症対策に留意しつつ、とても興味深い会に参加してきました(ハイフレックスで開催)。その名も「芦田恵之助先生没後70年記念(鈴木祐治先生53回忌) 第138回 国語教壇修養会」。会のテーマは「芦田教式の今日的意義」。波多野完治と同じ理由で、実践からあえて距離をとってきた私にとっては、まさにパンドラの箱を開けたような気持ちでした。

 芦田恵之助 (あしだ・えのすけ 1873-1951) は、明治六 (1873) 年に兵庫県氷上郡(現在の丹波市市島町中竹田)に生まれ、十五歳で竹田簡易小学校の授業生となり、以来主に初等教育の実践者として大正十四 (1925) 年まで教壇に立ち続けた人物です。公職を退いた後は、日本各地を巡業して講演や飛び入りの授業をおこない、それらの活動を通じて、一生涯教育を探求し続けました。彼が教育界に与えた影響は、授業研究や教材研究、教科書編纂や綴方研究、更には読方教授研究、児童読み物の創作など、多岐にわたっています。

 また芦田は、実践者たる小学校教師たちのネットワークを組織し、多大な影響を与えてきました。芦田の名を一躍世に知らしめた1913年の『綴り方教授』は、彼が東京高等師範学校附属小学校の訓導になった8年後、岡田虎二郎の下で静坐をはじめた翌年に著されました。芦田は『綴り方教授』を皮切りに多数の著作を発表し、綴方・読方に関する教授法の開発を基軸として教育の刷新を図ります。なかでも随意選題は、文章表現方法の教授を中心とした画一的な作文を批判し、初等教育のなかで人格形成を実現する方法として注目を集めました。綴方の文題を児童自らが創作する型破りな手法は、国定教科書がない綴方ゆえに生み出されえたものでした。

 この教授法は世論を二分し、随意選題論争という論争を巻き起こします。論争を機に芦田は東京高師附小を去ることになるのですが、同時に全国に多数の支持者を獲得しました。この支持者たちが、後に芦田を中心としたネットワークの創出に寄与します。その紐帯となったのは、公職を退いた芦田が全国の小学校を授業して回った「教壇行脚」と、その成果を発信した『同志同行』誌です。『同志同行』は一時期発行部数一万部を超え、購読の母体となった恵雨会は一種の宗派的な団体と捉えられるようになりました。この団体において芦田は「教祖的信仰の対象」 (古田 1971: 215) のように扱われるようになり、戦後は糾弾の対象になります。

 しかし、そのような時流にあって、恵雨会とは別に、「芦田恵之助先生の正風を後世に残そう」として、鈴木祐治によって結成された会が「いずみ会」です。設立は戦後まもない1948(昭和23)年でした。恵雨会との関係については、残念ながら不勉強でまだよく知りません。本来1950(昭和25)年ごろまで書かれる予定であった『恵雨自伝』の下巻も1932(昭和7)年で終わっており、書籍ではなかなか確認できません。もう少し書簡や未刊行の会報、その後の先行研究を漁ってみようと思います。

 さて、前置きが長くなりましたが、このいずみ会は芦田の教式を受け継ぐ会で、令和の現在でも小学校の国語授業において、芦田教式を用いています。芦田は「書くこと」の領域のみならず、「読むこと」の領域でも多くの成果を残してきました。特に教壇行脚を始めてからは、飛び込みの授業の特性ゆえ、作文よりも読解の授業を多く実践することになります。そのため、作文の教式もあるものの、一般には読みの七変化(しちへんか)の教式が有名ですが、いずみ会の研究会(教壇修養会)は今回でなんと138回目。結成以来70年以上、芦田の教式の真髄を極めるべく活動を続けてこられました。

 修養会は2日間にわたり、4年生、5年生、6年生のクラスを対象に3名の先生が、各2時間の計6時間授業を展開しました。興味深いのは、いわゆる授業研究とは違い指導案がなく、授業前に芦田教式を知るオリエンテーションがあり、授業後も討論ではなく、いずみ会会員による授業の解説があった点です。そして、それぞれの授業と解説ののち、初日にはシンポジウム、二日目には金田一秀保氏による記念講演が行われました。

【1日目】

「オリエンテーション」

第4学年 「一つの花」(一次指導)

第5学年 「作文(記述・批正)」(一次指導)

第6学年 「時計の時間と心の時間」(一次指導)

「本日の授業について」

シンポジウム

【2日目】

「オリエンテーション」

第4学年 「一つの花」(二次指導)

第5学年 「作文(記述・批正)」(二次指導)

第6学年 「時計の時間と心の時間」(二次指導)

「本日の授業について」

記念講演

【写真】「本の授業について」における解説。解説者の板書も見事だった。

 研修会の肝は無論授業ですが、長くなりすぎてしまうためこのブログ記事では取り扱いません。早いうちに、研究として本格的に検討してみたいと思います。しかしいずれにせよ、非常に強力な「今日的意義」を感じました。それは例えば、「修養」と言う言葉に表れているような、言ってみれば「集団的個人主義」のようなものです。

 芦田教式は、子ども同士の明示的な共同活動を行いません。そしてそのことは、たびたび教師の指導的な授業のあり方の弊害として語られてきました。しかし、例えば視写活動において子どもが高い集中力を保持できているのは、周りの子どもの集中力を「気配」として感じ取っているからです。禅の人間形成を教育の中に取り込んだ芦田の真意を読み取るならば、言語によらない集団のコミュニケーションの授業内での意義や作用を再考すべきでしょう。このことは、中内敏夫が、芦田と宮坂哲史の接続の可能性を示唆していたことにその重要性を確認することもできます。

 さらに、この集団的個人主義のあり方は、昨今喧伝される「公正に個別最適化された学習」や、かつての学習集団論のような教育のもつ課題を打破する革新性が込められているように感じています。いずれにせよ、芦田とその実践の社会性という課題に対し、今日こうして具体的な授業のレベルで応答されていることを発見でき、非常に強い興味を覚えました。何より会自体が全く閉鎖的ではなく、それぞれの先生方も大変暖かい上に、そのお声や振る舞いはまるで高度な職能技術集団のようでした。ショーンの反省的実践家モデルに注目が集まるあまり、軽視される技術的熟達者としての教師というモデルも、再考しなければならないように思います。