『深夜特急』と国際学会

久しぶりの国際学会、WERA(World Education Research Association)@Singaporeに参加中。

気がつけば海外渡航も30回を数え、緊張感を失ってしまっている。日々の喧騒に追われ旅の準備や下調べをしないまま渡航日前日を迎えてしまった。初めてのシンガポールなのに。

慌てて『地球の歩き方』を買ったものの、情報収集はもっぱらYouTube。旅の仕方も変わってしまった。トラベラーズチェックを用意することもなく、準備といえば現地で使えるアプリをダウンロードすることと、オフラインでも使えるようGoogleマップの当該地をダウンロードすること。これでタクシーの配車にもバスの乗降車にも困らないし、万一オフラインになっても迷うことはない。Wi-Fiルーターももはや借りない。楽天モバイルの設定を少しいじるだけ。結局なぜか現地では繋がらなかったものの、SIMカードを買って快適に様々な情報にアクセスできる。大学にはeduroamもあるし、30度に近づく暑さと湿気さえなければ、ほとんど東京へ行くのと変わらない。シンガポールでは、英語と母国語(中国語、マレー語、タミル語)のバイリンガル教育が行われており、たいてい英語が通じる。

移動中にもかかわらず色々と仕事はある。が、我慢ならず機内では沢木耕太郎の『深夜特急』を読んだ。こういう旅がしたい衝動に駆られるのだけれど、「子ども二人を抱える准教授」にもはや酔狂は許されない。もしかしたら発表をしない国際学会に半分自費で参加すること自体、もはや酔狂の類だと思われているかもしれない。

目的地たる国立教育学院(National Institute of Education (NIE), Singapore)に到着すると、証拠のために写真を撮る(勤務校では提出を求められているわけではない)。

大会のテーマは“Forging Ahead: Transforming Education in a Rapidly Changing World” コロナ禍を経て、どの地域や国でも変化が求められている。世界中の教室では変化が起きているが、それによって子どもたちは教室や家庭で孤立していないか。国立教育学院ではその名が示す通り、国、日本で言えば文部科学省と強い繋がりのもと教育研究と政策提言を行なっている。OECDの方針とも軌を一にするところが多いようだ。

サブテーマは次の通り。Assessment, Curriculum Studies, Character and Citizenship Education, Diverse and Inclusive Education, Early Childhood Education, Educational Policy Research, Emergent Technologies and Education, Leadership and Education, Post-COVID Teaching and Learning, Sustainability Education, Well-Being and Education, Teacher Education and Professional Development, Motivation and Learning.

いずれも普遍性をもったテーマと言える。それぞれの観点でイノベーションが必要なのだ。

しかし、教育においてイノベーション起こすということは、一体どういうことだろう。逸脱や拡張、目的的でない教育、どれも私自身、非常に重要なことだと考えてきたことだが、本当に「加速主義」から逃れることができるのか、急に不安になってきた。学術界も既に「加速主義」に覆われている気がするからだ。

この散文は今、リアルタイムでProfessor Gustavo Fischman(Arizona State University)のキーノートを聴きながら書いている。彼は「Publish or Perish(出版するか、滅びるか)」というかつて疑問視視されたアカデミアの問題を再度持ち出し、研究者や教員がキャリアを維持し、進展させるためには定期的に研究論文を発表する必要があるという圧力が何をもたらすかを論じている。

このフレーズの背景にあるのは以下のことである。

  1. キャリア進展の基準: 多くの大学や研究機関では、教職員の昇進、資金調達の獲得、そして職の安定性は、その人が出版した論文の数や質に大きく依存している。つまり、定期的に論文を発表しなければ、キャリアの進展が難しくなることを意味する。
  2. 研究資金の獲得: 研究資金は限られており、競争が激しい。研究者が出版した論文の数や影響力は、研究資金を獲得する上で重要な要素となる。
  3. 評判と影響力: 学術誌に論文が掲載されることは、研究者にとってその研究の重要性を示し、学界における評判を高める機会を提供する。

この「Publish or Perish」の文化は、研究者に質の高い研究を促す一方で、量に重点を置くあまり研究の質が犠牲になることや、過度のストレス、研究の多様性の欠如などの問題も引き起こしていると指摘されている。このため、学術界では研究の質と量のバランスをどのようにとるか、また研究者の健康や福祉をどのように保護するかについて、継続的な議論が行われている。しかし解決は容易ではない。私自身、この一年で2本の投稿論文がリジェクトされ、ひとつの競争的資金を取り損ねた(ひどい評価でこっそり泣いた)。リサーチマップを見れば、私は2023年に何もしていなかったように見えるだろう。妄想を逞しくすれば、テニュアを得て子をなし、研究に意欲を喪失しているようにみなされるかもしれない。しかし、決してそうではない。自分の貧しいスキルを少しでも向上させる努力と、本当に必要なことだと自分が思えることを実行することを分けて行なっているのだ。牛歩の歩みではあるが、確実に前進している。

その前進は、他人から見れば後退かもしれない。どうすれば「加速主義」のゲームから降りることができるだろうか。沢木耕太郎がインドを突然発ったのは、そうしなければならないと直感的にわかったからだ。私にもまだ、色々なアイデアや直感が降りてくる。まだ心がときめくし、知らないことを知ったときには胸が高鳴る。死ぬときに後悔しないように、34年の間に身につけてしまった分別を吟味し相対化し、時にはリスクを取りたいと思う。

・宿泊地近くの「リトル・インディア」

・YouTubeにやたら出てきたチキンライス。やはりこういうのは、人から教わったものより自分で見つけたものの方がうまい。