ゼミ日帰り研修

12月01日、ゼミの日帰り研修で兵庫県の豊岡市を訪れた。

お目当ては東井義雄記念館。東井は「日本のペスタロッチー」と呼ばれた小学校教師で、記念館ではビデオ視聴、館長のお話を聞いた後、東井義雄直筆の週録や児童との交換日記を拝見させていただいた。

校長になっても児童や教職員との交換日記を続けた東井義雄。彼の丁寧なやりとりの生々しい記録に、きっと学生たちも多くのことを感じたに違いない。記録は、東井の並々ならぬ情熱と子どもや教職員を思う気持ち、そして教育とは非常に手間のかかる根気強い仕事なのだということを雄弁に語っていた。

一方、現代の教員養成課程を担う教員としては、次のような学生のリアリティにも目を向けなければならない。「こんなことをしていて、定時に帰ることはできるのですか?」

東井義雄なら、このような学生の問いかけにどのように応えるだろう。

備忘録的に、いくつか気になったことも書いておきたい。東井は同じ兵庫県、それも豊岡から一つ市を挟んだだけの丹波出身の綴方教師、芦田恵之助についてどのように考えていたのだろう。東井の著作は2~3冊読んだだけなので分からず、館長に尋ねてみたが不明とのことだった。『村を育てる学力』の紹介文を国分一太郎が書いているが、国分は手厳しく芦田を批判したことで知られている。芦田に全く言及しないのも不自然であるので、東井も芦田に対しては良く思っていなかったのかもしれない。両者の(年齢が離れているので直接ではないだろうが、思想的な)関係については単なる私の勉強不足で、綴方研究者にはよく知られていることなのかもしれない。

 もう一点、東井義雄の親鸞思想についてもやはり気になる。「置かれた場所で咲きなさい」といったような考えも散見されれば、戦時中でも「物を言う児童を育てたい」という。前者の考えは、仏教が陥りがちとされる現状維持、場合によっては差別をも肯定してしまうような危うさを孕んでいるが、綴方教師としての自負や後者の考えは、環境に積極的に働きかけて環境を変えうる働きを有している。一見矛盾するようなこれらの思想は、東井のなかにどのように位置づいていたのだろう。

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いずれにせよ、コロナの影響で宿泊は叶わなかったものの、学生たちとこうして共に教育に関わって何事かを考え、語り合えたのは貴重な経験であり嬉しかった。「卒業」の二文字がはっきりと見えてくるこの時期、多くの学生が急速に成長する。彼らの成長に少しでも引っ張られながら、私も先に進みたい。