突撃隣のゼミ合宿

 今日は京都で開かれたゼミ合宿に参加してきました。私のゼミではなく、『男女交際進化論』等の著作で有名な中村隆文先生のゼミです。一言でいうと、「神戸女子大学の学生はここまでできるのか!」と希望をいただいた一日でした。

 大学への就職が決まった時、私は先輩の先生に次のようなアドバイスをいただきました。「あなたは

研究者としてのアイデンティティを死守しながら、私立大学の従業員としても生き抜いていく、という経験を積んでいくことになります。それは、これまでにあなたが経験したことのない、まったく新しいルールと評価軸のもとで進んでいく、ときには驚愕や絶望をも隠せない経験になるかもしれません。私を含む諸先輩たちとのこれからの会話は、上述の課題をいかに乗り越えていくかに軸足を移していくことになるでしょう。しかし、それでも会話の最後に必ず学問の話を添えようとするのが教育哲学研究室OBOGです。私たちには、誰にも揺るがすことのできない共通の基盤があります。このありがたさが本当に分かるのも、実はこれからです。」

 今日の発表で、私は芦田の修養論について報告しました。それは端的に言えば、教師は修行すべきである、なぜなら教師の背中を見て児童は育つからだ、というものです。背中とは振る舞いのことで、これは西洋近代の知識偏重に対して、芦田が依拠した「東洋の伝統的哲学(禅)」が再度自らの立場を打ち出す根拠となる考え方でした。シュスターマンが適切に紹介しているように、 東洋の伝統的哲学では「徳と悟りは、身体的手段なしには実現されえないと理解されて」(シュスターマン 2012: vi)いるのであり、「生きる技芸における最も有効な訓練は、理論的なテクストは使わずに、教師の身体的振る舞いと優美な挙動の非言語的な力によってなされると理解されて」(同上)います。それは「教師は、教える際の言葉を補い解釈を施す人への模範例によって教育する」(同上)という具体的な行為の話です。今日でもなお有効な考え方でしょう。

 私が今日ゼミ合宿で見たのは、先生が率先して研究を行うことで、学生の学習・研究意欲を高めているという光景でした。研究について熱く討論する女子大生たちを見て、私は少なからぬ希望と感動を覚えました。