7月の第1週に、ラバトで国際社会学会(ISA)のフォーラムと呼ばれる学会に参加しました。ISAはフォーラムという少し小規模な学会と、コングレスと呼ばれる大規模な学会を2年ごとに交互に行っています。フォーラムは大抵大学を会場に行い、コングレスは、ビジネスの会合や見本市なども開けるようなコンベンションセンターで行うことが多いですが、私は外国の大学を訪れるのが好きなので、フォーラムにより惹かれます。これまでヨーロッパやアジア(2014年に横浜で開催されたのがアジア発でした。再来年は韓国の光州が予定されています)が開催地になることはあったのですが、アフリカ大陸での開催は発でした。
今回は、ラウンドテーブルでの発表と、自分で企画したセッションの2つに参加する予定でISAに来ていた。ラウンドテーブルというのは、文字通り大きめのテーブルの周りに関連する人が座って、自分たちの研究について順番に報告するというスタイルで、前回メルボルンでやったのでなんとなくイメージはつかめていたけれど、研究発表というより情報交換みたいな雰囲気ではありました。しかし、アイデアレベルの話にコメントをもらえたのはありがたかったです。
セッションの方は、最近研究をはじめた移民博物館に関する研究報告を募集して、6名の応募者に発表してもらうことになっていました。私は2022年頃から、様々な地域の移民博物館を見学したり、研究を調べたりはしています。その内容はこのWebサイトでも細々公開していますが、まだ論文化したことも、研究報告をしたこともないので、その自分がセッションを立ち上げ手もいいのか悩む部分もありました。しかし、まだよくわからないからこそ、他の国の人がどう考えているのか知りたい!という思いからセッションを企画したのでした。発表者の中には、最近神戸にオープンした「神戸在日コリアンことばとくらしのミュージアム(ナドゥリミュージアム)」に長く関わっている摂南大学の落合先生もいらっしゃいました。これは私から、ご自身の経験もふまえて現在の日本の移民博物館について発信してほしいと依頼してのことでした。
しかし、セッションの発表者を確保するのは、思った以上に大変でした。昔国際移動とジェンダーをテーマにセッションを行ったときには、アクセプトした方が全員普通に発表してくださったのですが、今回はスムーズに生きませんでした。ISAの手順では、50ほどあるテーマごとのグループであるリサーチコミッティ(RC)が、セッションの提案を審査して、開催されるセッションを決定して、公表します。発表を検討する人は、そのセッションのリストを見て、300ワードの要約を提出し、セッションのオーガナイザーがそれを見て、報告を決めます。セッションは2時間なので、最大6件の報告が組まれることになります。私の場合今回は6件報告の申し込みがあったため、全ての人にアクセプトの連絡をしました。しかし、実際セッションに参加するには、開催の3ヵ月ほど前までにかなり高額な学会参加費用を支払っう必要があり、今回はこの時点で、2つの報告が脱落しました。そのためプログラムには4つの報告が掲載されています。私としては2時間に6つの報告があると、それぞれ15分を厳格に守ってもらって、ようやく少し全体討論の時間が取れるという程度になることもあり、少し減った方がゆとりがあってよいのではないか、と余裕の構えでした。しかし、もうモロッコにつき、セッションの3日ほど前になって、1人の報告者から「家族の予測できない出来事が起こり、参加できなくなってしまいました」というメールが到着。さらに当日の朝「ごめーん、スケジュール間違ってて、そのセッションに出ると帰りの飛行機に間に合わないから出られません」(意訳)というメールが来て、報告は2つになってしまったのでした。
なんていいかげんなんだ!と腹を立てたり、私のセッションに魅力がないからこんなことに、と落ち込んだり、気持ちが追いつかない感じだったのでしたが、自分も最終日になると思っていなくて、飛行機の予定を後から変更したりしているので、あまり偉そうなことは言えないなと反省。実際、変更した飛行機の搭乗時間もかなりギリギリだったので、スーツケースも荷物も全部持ち、セッションが終わったら空港へ直行する体制で会場に向かいました。
大学に到着し、会場の近くでぼんやり待っていると、もう1人の報告者がやってきた。彼女は私が昨年秋に訪れたアントワープのRed Star Line Museumの学芸員で、名前から予測していたとおりやはりモロッコ系の人でした。彼女は両親は元々もマラケシュの出身で、今はマラケシュに住んでおり、休みと合わせてモロッコに来て、子どもたちをまず両親の元に預け、自分もマラケシュで休暇を過ごす予定とのことでした。あとでメールをやりとりしたら、8月上旬まで1ヵ月くらいお休みを取っていたらしく、ヨーロッパの長い休日がうらやましくなります。彼女は自分のルーツであるモロッコで発表できるのはうれしい、この企画を立ててくれてありがとうね!と言ってくれ、ちょっと元気になりました
報告が2件になったので、あまり時間を急かすこともなく、当初は20分でお願いしていた報告も少しずつ伸びて、それでも40分ほどの議論時間を取ることができたので、結果オーライです。日本の在日コリアン博物館を報告してくれた落合さんは、在日コリアンが自分たちの歴史をアーカイブするという試み自体は1960年代から長く続いていたということ、しかしこの数年に京都、大阪、神戸でに相次いでオープンした博物館は、在日コリアンのコミュニティでの役割に加え、日本人社会に対して実際に在日コリアンが日本社会で暮らしてきたこと、日本の生活や産業に関わってきたことを知らせ、考えてもらうきっかけを作る教育的な機関としての役割を強めていることを、ミュージアムを見学したり、活動に参加した学生へのインタビューを使って報告してくれました。
アントワープから来てくれたNadiaさんは、ヨーロッパからアメリカに移民したヨーロッパ各地の人々が、健康診断や荷物・衣服の消毒などを受けるための建物を改装したこのミュージアムを、単に過去の歴史を語る場所とはせずに、今のベルギーやヨーロッパに住む移民に関わる企画をどのように行ってきたのかを報告してくれました。ベルギーはモロッコやトルコから契約労働者を受け入れてきており、その家族や2世、3世となる人たちが数多く暮らしています。しかし、移民1世の経験や記憶は、別れや悲しみ、トラウマを含むため、彼ら・彼女ら自身もあまり振り返ってこなかったり、子どもや孫に伝えてこなかったそうです。そこで、ミュージアムの場を使って、思い出の品を持ち寄ったり、ホームシックを感じる匂いやものなどを五感を使ってつくって持ち帰ってもらったり、塗り絵を用意して、移民の記憶につながるものや光景を自分が思い出すカラーで塗ってもらったり、そしてそれらをミュージアムで展示したり、ということを何年も行ってきたとのことでした。

お二方の発表は、重なるところもあるが、同時に相互補完的なものになっていました。在日コリアンのミュージアムも、当事者の人たちの記憶や歴史を掘り下げ、共有してもらう場でもあります。もともとのスタートとなったプロジェクトは、在日1世の記憶を聞き取り、映像として残すことでしたし、実際博物館では、彼ら・彼女らが語る映像資料を、訪問者が見られるように展示しています。また、アントワープの事例でも、モロッコ系ではない人たちがミュージアムにどう関っているのかという視点もありえただろうと思います。しかし、両方が少し違う視点からミュージアムの役割を話してくれたことで、議論の余地が広がったと感じました。移民1世の「トラウマ」という観点には考えさせられました。語られたことだけでなく、語られなかったことをどう共有するのかというのも、ミュージアムならではの課題かもしれません。
また、昨年ケルンの移民博物館に行ったときにも思ったけれど、ファンディングの問題を痛感しました。移民に対する差別や憎悪がマジョリティの社会から投げつけられることが当たり前にならないために、移民博物館は、学校教育や行政の手がまだ届いていない問題に変わって直面してくれていると考えています。だからこそ、市や県、さらには国から公的な資金が投入されるべきでしょう。アントワープやケルンでは市が予算を割いて、専任の研究員や運営スタッフを雇っています。この点についてはもっと訴えていくべきだ(がどうしたらいいの?)ということが今回課題として残りました。
セッションを終えて、そのまま空港へ。会場にいた学生ボランティアからは、「空港までタクシーで200ディルハムくらい」と言われ、手持ちが120くらいしかなかったので、ハラハラしていた(どうしても無理なら会場にあるATMで現金を下ろそうと思っていた)InDriveでドライバーを探したら、57ディルハムで行ってくれる人がすんなり見つかり、ボランティアの人に「InDrive? 気をつけて」と言われたのでスマホで地図を開いてドキドキ乗っていたのだが、結果的にまったく問題なく、思ったよりもすんなりと空港に着くことができました。InDriveについては、また稿を改めて説明できればします。
学会のためのモロッコ滞在だったのでモロッコの美しい観光都市、例えばフェズなどに行きたいと思いつつ、結局1週間ラバトから外に出ることはできませんでした。しかし、ラバトのきれいなところもみられ、楽しく有意義な時を過ごすことができました。