村野藤吾と千里山キャンパス

戦後、関西大学が新制大学としてキャンパスを整えた時期、千里山キャンパスの設計を担ったのが建築家・村野藤吾(1891〜1984)です。村野は日本の近代を代表する建築家の一人で、世界平和記念聖堂(広島・1954年・重要文化財)や大阪新歌舞伎座(1958年・現存せず)など、特色ある建築を全国に残しています。関西大学千里山キャンパスでは、1949年に完成した大学院学舎や大学ホールをはじめとし、1980年までの約30年間、40棟ほどの建物の設計を担当し、現在のキャンパスの骨格を形作りました。

 

(簡文館前の村野藤吾)