第1学舎(法文学舎)エリアの充実

(1952年頃)

1932(昭和7)年、大学本館北側に、昭和御大礼の響宴場の一部を下賜され、威徳館(武道場兼講堂)が建設されました。また、1934年には焼失した予科校舎にかわり、1936年、当時最先端のモダニズム風建築で新予科校舎が完成され、戦後長く、商学部・経済学部の学舎として使用されました。

戦後、新制大学へ転換し、大学院の充実を図ることになりました。そこでキャンパスの設計者として登場するのが村野藤吾(1891年〜1984年)です。新制大学旧予科校舎の跡地に、大学院学舎(1949年)、大学ホール、研究室、そして扇形の階段教室(1952年)等が建設されました。

1952年頃