第1学舎1号館と村野藤吾

第1学舎のエリアは、千里山キャンパス創設当初から校舎などが建設された、一番歴史ある部分です。現在あすかの庭となっている部分には大学本館などの大学の主要な建物が建っていました。簡文館の東側部分は、1928年に図書館として建てられたもので、千里山キャンパス初の鉄筋コンクリート造建築でした。

(簡文館)

1950年頃から千里山キャンパスの設計を担ったのが建築家・村野藤吾です。19XX年に完成した大学院学舎や大学ホールをはじめとし、以後約30年間、千里山キャンパスの設計に携わり、40棟ほどの建物の設計を担当、現在の千里山キャンパスの骨格を形作りました。
1955年、創立70周年記念事業として、村野藤吾によって第1学舎の整備がおこなわれました。大学本館や威徳館を解体し、モダニズムを基調とした第1学舎1号館としました。水平線が強調された正面は東西に長く、2号館へ続く通りを跨いでいました。入口のピロティにはスロープが設けられ、ピロティを抜けると中庭がありました。現在の簡文館の円形部分は、1928年に建設された図書館に増築されたもので、1号館とともに設計された村野藤吾の代表作です。旧1号館は20XX年に解体され、第1学舎の風景は大きく変わりましたが、簡文館は変わらず千里山キャンパスを見守り続け、20XX年に登録有形文化財に、2018年3月に大阪府指定文化財となりました。