英国滞在記 No.6 チームをつくるという仕事


前回は、「名前の与えられていない仕事」について書いた。

住居を探す。病院へ行く。子どもの学校を探す。税金の手続きをする。荷物を受け取る。子供が鼻に詰めたというティッシュの有無を確認する。こうして並べると、いったい私は英国に研究に来たのか、生活を組み立てに来たのか、少し分からなくなる。

ただ、そのような文章を書きながらも、もう一方で思っていることがある。

やはり研究は進めなければならない。
このような恵まれた環境を生かさなければ申し訳がない。

「家族4人で英国に来て、生活だけでいっぱいいっぱいだった」という話は、それはそれで本当である。しかし、それだけで一年が終わってしまうと、帰国後の自分はやはりどこかで苦しくなるだろう。生活を成立させることは大事だ。しかし、生活を成立させるだけでは、研究者としての私は立ちゆかない。

では、どうすればよいのか。

そのことを考えるたびに、「チームをつくる」という言葉が頭に浮かぶ。

7月から、所属がランカスター大学に移った。ありがたいことにオフィスもいただいた。

[7月から使わせていただくことになったランカスター大学のオフィス]

まだ何も置かれていない机。白い棚。窓の外の緑。いかにも研究が進みそうな部屋である。こういう部屋をいただくと、急に自分がちゃんとした研究者になったような気がする。まあ、気がするだけである。机に座ったからといって論文が自然に書き上がるわけではない。

研究は一人でするものだと思われがちである。

実際、論文を書く最後の局面は、かなり孤独な作業である。読んで、考えて、書いて、消して、また書く。その地味な反復から逃げることはできない。

しかし、それ以前の段階で、研究はすでに多くの人の手を借りている。

研究課題を見つけること。調査地に入ること。資料にアクセスすること。共同研究者と議論すること。発表の機会を得ること。学生や院生と読み合うこと。研究費を申請すること。研究成果を社会に届けること。

どれ一つとして、完全に一人で完結するものではない。

そう考えると、研究者にとって本当に重要なのは、「一人で頑張る力」だけではなく、「一人で頑張らなくてよい構造をつくる力」なのかもしれない。

先日、大学から「育児・介護休業法改正に伴う本学の対応について」というメールをいただいた。

こうした組織的な取り組みは、率直にありがたいと思う。日本の大学教員という職業は、授業、研究、論文執筆、学会活動、外部資金の獲得、学生指導、入試業務をはじめとした様々な学務等々が互いに絡まり合っている。勤務時間内と勤務時間外の区別も曖昧になりやすい。論文を読むことは仕事なのか。学生からの相談に夜返信することは仕事なのか。授業のアイデアを風呂の中で思いつくことは仕事なのか。

研究者の暮らしは、案外こういう問いでできている。

この点は、近年議論されている学校教員の働き方とも重なる。専門性や使命感に支えられているからこそ、業務の範囲が個人の裁量や責任感に委ねられやすい。柔軟であることは、この仕事の魅力である。しかし柔軟であることは、同時に、どこまでも仕事が生活へ染み出していくことでもある。

子育てをしていると、この染み出し方はさらに具体的になる。

子どもが寝た後に論文を読む。子どもが起きる前にメールを書く。昼間は公園へ行き、毎日大量の食器を洗いながら英語のシャドーイングをする。FIFAワールドカップを息子と観ながら、片手でPCを開く。

[息子と観戦するFIFAワールドカップ2026]

画面の中では、選手たちが美しいパスワークを見せている。画面の外では、子どもが膝に乗り、飲み物をこぼし、私はメールの返事を途中まで書いている。サッカーも研究も、スペースをどう作るかが大事だというが、我が家の場合、未だ物理的なスペースがない。

そんな中で、この記事を書いている7月5日に、落合陽一氏が「大学教員というのは零細企業のやりくりをしながら同人誌を書いている間に生涯を終える職業という面もあるとは思う」とXに書いているのを目にした。

零細企業のやりくりとは研究室運営、同人誌とは論文執筆のことだろう。的を射ていると思った。

大学教員は、しばしば研究者であり、教師であり、事務担当者であり、営業担当者であり、編集者であり、時には経営者でもある。研究室を維持するためには、資金を獲得しなければならない。資金を取るためには、申請書を書かなければならない。しかし申請書を書いていると、研究をする時間がなくなる。

これは冗談のようで、なかなか深刻な問題である。

かつての国立大学のように(経験したことはないので聞き齧った不確かな話だが)、一つの研究室に教授、准教授、助手がいて、多数の大学院生を抱え、研究室全体でプロジェクトを進めるというあり方は、少なくとも私のような私立大学の教員には簡単には望めない。もちろん、それぞれの大学にはそれぞれの豊かさがある。しかし、持続的に研究を進めるためには、個人の努力や献身だけでは足りない。

チームが必要なのである。

では、そのチームはどうつくるのか。

一つの方向は、外部資金を獲得することである。科研費も、財団助成も、共同研究費も、研究を進めるためには不可欠である。ただし、外部資金は申請しても必ず採択されるわけではない。採択されても期間が終われば終了する。人を雇い、仕組みを維持し、研究を継続的に発展させるには、もう少し別の循環も必要になる。

そこでかねてより考えているのは、研究を社会に活かし、その過程で生まれた資金を再び研究に戻す仕組みである。

関西大学では先日、新設された「寄付型共創研究制度」の適用第1号として、「パブリック・イノベーション研究センター」が総合情報学部に設立されることが発表された(◆新設の「寄付型共創研究制度」の適用第1号を決定◆ 関西大学が「パブリック・イノベーション研究センター」設立へ ~企業寄付を活用 産学連携の新研究モデル~)。

企業寄付を活用した産学連携の新しい研究モデルとして、2026年4月1日から3年間、公共分野における社会課題解決に資する研究を進めるという。招へい教授6人と学内研究者を合わせた9人体制で始まり、代表には竹中平蔵客員教授が就任する。

この制度の要点は、学部等の裁量と方針のもと、企業等からの寄付によって研究室を立ち上げ、必要に応じて企業等から研究者を迎え入れることも想定している点にある。企業の事業としてはすぐに展開しにくい長期的テーマや社会的課題に、大学の知見、人材、設備を活用して取り組む。

大学の研究は、短期的な利益だけでは動かない。だからこそ価値がある。

しかし、価値があるからといって、資金が不要になるわけではない。長期的な研究を続けるためには、長期的に支える仕組みがいる。理念は大事だが、理念だけで机は買えない。いや、机どころか、最近の円安では椅子すらなかなか買えない。

私自身が構想しているのは、少し別の方向である。

産業界の人を外部から呼んでくるというよりも、自分自身の研究をベースに社会的な事業を立ち上げ、その収益の一部を研究へ戻していく仕組みをつくれないかと考えている。

その試みの一つが、学術・高等教育専用の電子テキストプラットフォーム「トリアーデ」である。以前もブログに書いたが、興味のある方は次のエッセイを参照してほしい(「令和の学術出版革命: トリアーデによる芦田恵之助史料の継承」)。

トリアーデは、2022年に立ち上げた。年額6,000円+税で著者登録ができ、PDFファイルをアップロードすることで、販売・購入・閲覧を可能にする仕組みである。販売価格からプラットフォーム手数料と決済手数料を除いた額が著者に還元される。たとえば1,000円の書籍がクレジットカードで購入された場合、プラットフォーム手数料10%と決済手数料3.6%を差し引いた864円が著者の口座に振り込まれる。

これは、単に「電子書籍を売るサイト」を作りたいという話ではない。

私が問題にしているのは、日本の学術出版、とりわけ人文系の学術書、翻訳書、史料翻刻の持続可能性である。もっと言えば、研究者の自律の話だ。大学をパトロンとするのはもう限界なのである。研究を主たる活動にしながら生活を営む方法の模索である。

従来の学術出版では、出版社、取次、書店、著者のあいだで売上が配分される。出版社が担ってきた役割は大きいし、私自身も学術出版社に育てられてきた。しかし、売上が見込みにくい学術書や史料の場合、印税を下げたり、著者が制作費を負担したりしなければ刊行できないことがある。人文系では、博士論文を書籍化するために多額の自己負担をすることが、時に美談のように語られる。

しかし、それを美談にしてよいのだろうか。

奨学金という名の借金を抱え、研究職に就けるかどうかも分からない若い研究者が、業績を積むためにさらに出版費用を背負う。これは、個人の熱意だけで支えるにはあまりに重い。

もちろん、トリアーデは既存の出版社を置き換えるものではない。置き換えられるとも思っていない。

出版社が担ってきた編集、デザイン、流通、広報、書評依頼、校正には、それぞれ専門性がある。ただし、現在はAIやオンラインツール、決済システム、電子配信の技術が発達している。著者自身が一部の作業を担うことで、これまで社内稟議が通らなかったであろうニッチな学術書や史料、翻訳を、低コストで届ける可能性が開ける。

検索できる。

海外からも読める。

更新もできる。

価格を抑えられる。

著者にも一定の収益が戻る。

この仕組みを、研究成果の社会実装として育てたい。

現在、私は『芦田恵之助全集』の編集プロジェクトを進めている。

芦田恵之助は、読方教授や綴方教授の革新を通じて、日本の国語教育に大きな影響を与えた人物である。私の研究の出発点でもある。明治図書から刊行された『芦田恵之助国語教育全集』全25巻は、現在入手困難であり、販売価格も高額である。大学院生や若手研究者が気軽に手に取れるものではない。

私自身、大学院生時代にこの全集を古本で購入した。留学の際には、辞典のように重い巻を選びに選んで三冊だけドイツへ持って行った。ところが、必要になったのは日本に置いてきた巻だった。

あの時ほど、電子化されていないことを恨んだことはない。

この経験も、トリアーデの構想に生きている。

『芦田恵之助全集』は、明治篇・大正篇・昭和篇の三巻本として、電子版で刊行する構想で進めている。各巻2,500円、合計7,500円程度で提供できれば、若手研究者や教育現場の先生方にとっても手の届くものになるはずだ。もちろん、編集作業は膨大である。しかし、OCR技術やAIによる作業補助によって、かつてとは比べものにならない効率で進められるようになっている。

これは私にとって、単なる復刻事業ではない。

教育史の知を、閉じた書庫から、現代の教育現場へと戻す試みである。

芦田の史料の一部は、現在「芦田恵之助コレクション」として関西大学文学部の山田研究室で保管し、問い合わせに応じる形で公開している。今後は全集に収録することで、随時データとしても公開していきたいと考えている。

研究成果を社会に実装するというと、どこか派手な響きがある。

新しい技術、特許、スタートアップ、大型資金、社会変革。

そういう言葉が並ぶと、教育学、とりわけ教育史の研究は少し遠くに感じられるかもしれない。

しかし、私はそうは思っていない。

過去の教育実践を読み直すこと。

忘れられた史料にアクセスできるようにすること。

若い研究者が高額な本を買わなくても研究を始められるようにすること。

現場の教師が、過去の教育思想に触れられるようにすること。

これらもまた、十分に社会実装である。

落合陽一氏らが筑波大学で試みてきた仕組みも、この点で興味深い。大学の研究室とスタートアップの関係を整理し、研究成果の社会実装と大学への還元を結びつけようとする試みである。大学で自由に基礎研究を行い、社会実装できそうな成果を企業側へ移し、その対価が大学側にも戻る。細部の制度設計は異なるとしても、大学の知が社会へ出ていき、社会からまた大学へ資源が戻るという発想は重要だと思う。

もっとも、私が取り組みたいのは、最先端技術の社会実装そのものではない。

私の専門は教育学である。

教育学の成果は、製品としては見えにくい。特許にもなりにくい。論文を読んだ瞬間に誰かの腰痛が治るわけでもない。残念ながら、私の論文に即効性のある湿布のような効能はない。

しかし、教育学には別の強みがある。

人がどのように学ぶのか。

共同体がどのように変わるのか。

教師がどのように専門性を形成するのか。

子どもや学生がどのような環境で主体性を発揮するのか。

過去の教育実践が、現在の教育をどう照らし返すのか。

こうした問いは、学校だけでなく、企業、地域、行政、NPO、家庭にも関わる。教育学は、狭い意味での学校教育を超えて、人と組織の変化を考える知である。

そうであるならば、教育学にも社会実装の回路はあるはずだ。

研修、教材、電子テキスト、共同研究、実践支援、組織開発、コミュニティ形成、史料公開。

これらを単発の仕事としてではなく、研究へ還流する仕組みとして設計できないか。

私がつくりたいのは、そういう小さな循環である。

とはいえ、実際の生活は相変わらず泥臭い。


船便の荷物がようやく届いた。

[約3ヶ月の旅を経た荷物たち]

段ボールとスーツケースが積み上がった姿を見た時、ほっとしたのと同時に、少し笑ってしまった。研究の国際化とか、知の循環とか言っているが、まず目の前にあるのは荷ほどきである。何がどこに入っているのか分からない。欲しい本は見つからず、なぜか今使わないものばかり出てくる。国際的研究拠点の構築は、ガムテープを剥がすところから始まる。

自宅には懸垂バーも設置した。

[340kgにも耐える懸垂バー]

これも、研究環境の一部である。

などと言うと大げさだが、身体が壊れれば研究はできない。私は10代の時にスポーツを通じた怪我を患っており、度重なる膝の手術によって腰痛に苦しんでいる。ひどくなると睡眠も乱れ、机に向かう時間が細切れになる。研究とは精神だけでするものではないことがよく分かる。研究者には、論文を書く頭だけでなく、生活を支える身体が必要なのだ。
4月に、サバティカルの目的を3つに絞った。その一つが股割りができるようになることで、これはひいては丈夫で柔軟な身体作りを指す。これによって、現在はかなり腰痛が改善された。渡英前はコルセットが必須だったが、今はその必要もない。

身体を維持する仕組みもまた、チームづくりの一部なのだと思う。

家族がいて、受け入れ教員がいて、所属大学の支援があり、共同研究者がいて、編集や出版をともに考える仲間がいる。さらに、まだ十分には形になっていないが、研究を支える事業や制度がある。

チームとは、必ずしも同じ部屋に集まる人々のことではない。

時には、遠く離れた大学の同僚であり、時には家族であり、時にはよく行く公園であり、時にはまだ開封していない船便の箱である。


Quay Meadowには、相変わらずお世話になっている。

[Quay Meadowの緑の小径を走る子どもたち]

木々のトンネルのような道を、子どもたちが走っていく。

この道を歩くたびに思う。

研究も、子育ても、組織づくりも、自分の思い通りに子どもや人を動かすことではないのだろう。必要なのは、進みたくなる道をつくることなのかもしれない。無論脱線してもいい。

前から引っ張るのではなく、後ろから眺める。

転びそうになったら手を出す。

見えなくなる少し手前まで、任せる。

そういう距離感を、私はまだうまくつかめていない。

研究室にも、家庭にも、大学にも、社会にも、通じる部分はありそうである。

人は一人で走っているようで、実はいつも何かに支えられている。道があり、木陰があり、待っている人がいて、帰る場所がある。

チームをつくるとは、誰かを自分の目的のために動員することではない。

それぞれが、自分の足で進めるような環境を、少しずつ整えていくことなのだと思う。

英国に来て、私はまだ大きな研究成果を出したわけではない。

けれど、日々いろいろな発見があるし、その発見を書き留めておく余裕がある。これもその一つ。

成果は一人の名前で発表されることが多い。

しかし、その背後には、いつも名前のないチームがある。

そのチームをどうつくるか。

その問いに答えられなければ、これからの大学で研究を続けていくことは難しいのではないか。

空っぽのオフィスに、まだ私の本はほとんどない。

机の上も、棚の上も、これからである。

しかし、何もない部屋というのは、少し不安で、少し楽しい。

ここに何を置くか。

誰と語るか。どんな問いを育てるか。

新しい研究は、おそらくそこから始まる。