英国に来て三ヶ月が経った。
振り返ると、この一ヶ月は病院との付き合いだったように思う。
教育制度や研究文化の違いは、ある程度予想していた。しかし医療制度は、自分や家族が実際に病気や怪我をしなければ、その国の実態がなかなか見えてこない。
今回は英国の医療制度と、その中で家族が経験した二つの出来事について記しておきたい。
英国の医療制度の中心にあるのは、NHS(National Health Service)である。
NHSは1948年に創設された公的医療制度であり、「必要に応じて医療を受けられること」を理念としてきた。日本のように医療機関で保険証を提示し、自己負担分を支払う仕組みとは異なる。地域のかかりつけ医であるGP(General Practitioner)への登録を基盤として、必要に応じて専門医療や病院へつながっていく。
もっとも、外国から来た人間にとって、NHSは「登録すればすべて無料で使える」という単純な制度ではない。滞在資格や居住状況、医療の種類によって扱いは異なる。そのため英国で暮らすには、自分たちがどの医療に、どのような条件でアクセスできるのかをひとつずつ確認していく必要がある。
我が家も渡英後、NHS番号の確認、GP登録、必要書類の提出などを進めていった。
住宅探し、大学の登録、各種契約の合間を縫って行った手続きだったが、今となっては早めに済ませておいて本当に良かったと思う。そう思う理由は、二度にわたって救急的な医療サービスを利用することになったからである。
最初は次男の高熱だった。
ある日の午前、次男が二度嘔吐した。午後には落ち着いたように見えたが、翌日から発熱し、夕方には40度を超えた。
異国での子どもの高熱は、日本にいる時以上に不安になる。病院の仕組みも完全には理解していない。言葉の問題もある。親として冷静でありたいと思いながらも、体温計の数字を見るたびに気持ちはざわついた。
決定打になったのは呼吸だった。
一分間に60回近く呼吸している。
妻と相談し、受診を決めた。
その際に利用したのがNHS 111である。これは命に関わる緊急事態ではないものの、医療的な判断が必要だと思われる時に利用する相談窓口である。
電話は妻がしてくれた。
呼吸の様子、水分が取れているか、意識ははっきりしているか、発疹はあるか。こちらとしては「熱が高い」という一点に気持ちが集中してしまうが、医療者の側は危険な兆候があるかどうかを順に見極めていく。
結果として診療につながり、日曜日の夜にもかかわらず検査と処置を受けることができた。
初めは高熱のため十分な検査が難しいとのことで、解熱剤を二度投与された。その後の状態を確認し、大きな問題はなさそうだということで帰宅となった。
家を出たのが18時頃、帰宅したのは21時過ぎだった。
子どもにとっては長く辛い時間だったと思うが、英国の医療事情を聞いていた身からすると、比較的迅速な対応だったのではないかと思う。
幸い、大きな問題はなく、家族に感染することもなく数日で回復した。
二度目の受診も、やはり次男だった。
転んでキッチンの鉄製の引き出しの取手に顔をぶつけ、前歯を折ってしまったのである。
口酸っぱく「キッチンには入らない」と言っていたにもかかわらず、案の定事故は起きた。
目の前で血を流す息子を見るのは本当に辛い。
幸い、怪我にはそれなりに慣れているので応急処置は落ち着いて行うことができた。しかし、この状況では専門家の診断が不可欠だった。
「親切だったけど、もう行きたくはないね」
と妻と話していた救急に、数日後に再訪することになった。
二度目の111への電話も妻が担当してくれた。
私は横で止血をしながら、状況を整理し、必要な英語表現を調べて伝えていた。振り返ると、なかなか良いチームワークだったと思う。
ここでも確認されたのは歯そのものだけではなかった。
出血は止まっているか。
頭を打っていないか。
嘔吐や意識の変化はないか。
口の中の他の場所を傷つけていないか。
歯科的な問題であると同時に、子どもの全身状態を見る。そのことがこちらでは非常に重視されているように感じた。
後から聞くと、顔面や頭部の外傷がある場合、まずそうした確認が必要なのだという。
この日も19時頃に家を出て、21時頃には帰宅できた。
乳歯の場合、永久歯への影響を考慮して対応が決まる。私たちの場合も翌日に歯科を受診し、全身麻酔での抜歯を提案された。後日行った小児歯科も同様の見解だった。半分に割れた歯はかなり動揺しており、自然に抜けたり折れたりする可能性が高いとのことだった。感染症のリスクも考えると、私たちもやむを得ないだろうと思っていた。
私たちの心配をよそに、事故の翌日には次男は驚くほど普段通りに遊び始めた。
折れた歯を見るたびに親の胸は痛むが、本人が気にするのは食事の時くらいである。三日目には、むしろいつも以上に食べているのではないかと思うほどだった。
もともとその週末にはスコットランドのエディンバラへ旅行する予定だった。
キャンセルを前提に医師へ相談すると、
“I think you can go.”
との返事だった。
そのため一日だけ予定をずらし、無事に旅行へ出かけることができた。旅行から帰って家族全員風邪を引いて、それはそれで大変だった。しかし本番はその後だった。
事故からちょうど二週間後、手術日程がなかなか決まらないので病院へ電話したところ、執刀医の診察を受けることになったのである。
診察が始まると、医師は次男の様子を見て少し驚いたようだった。
口を開けるように言われれば開ける。
歯を見せるように言われれば見せる。
嫌がらない。
泣かない。
そして医師は言った。
「この子なら、今日この場で処置できるかもしれません。」
その場にいた妻もかなり驚いたとのことだった。
なにしろ家では怪獣なのである。
思い通りにならなければ怒るし、兄と喧嘩もする。こちらが説明しても全く聞いていないことも珍しくない。この日もモニターに殴りかかって目の横を切ったばかりだったし、その前の日にはカーテンにぶら下がってレールごと壊したばかりだった。
ところが病院では完全に別人だった。
妻の膝の上に座り、局所麻酔を受ける。
泣かない。
器具が口に入る。
泣かない。
ペンチのような器具で歯を抜く。
それでも泣かない。
抜歯後の処置まで含めて、最後まで落ち着いていた。
周りの看護師たちは終始褒め通しだったという。
外面が良いというべきか、空気を読むというべきか。
家では本当にモンスターなのに、なぜ病院ではこうも物分かりが良いのか。
親というものは勝手なもので、「かわいそうだ」と思う一方で、「すごいな」とも思ってしまう。
もう一つ考えさせられたことがある。
子どもは親が知っている以上に、多様な顔を持っている。
家で見せる姿だけが、その子の全てではない。
ナーサリーでもそうだが、子どもは親の知らない場所で、親の知らない自分を生きている。
教育学では発達を能力や段階として語ることが多い。しかし実際には、「誰と」「どのような関係の中にいるか」によって、人は驚くほど異なる姿を見せる。
頭では知っている。
しかし、自分の子どもを通してそれを突きつけられると、やはり複雑だ。
そういえば、この家には禁止事項が多い。
下階や近隣の部屋への配慮から室内を走ってはいけない。飛び跳ねてもいけない。キッチンへの侵入は禁止。カーテンによじ登るのは当然、包まるも禁止である。鼻にティッシュを詰めてもいけない(また取れなくなるぞ!)。
あれをするな。
これをするな。
あれをしろ。
これをしろ。
一日の終わりに数えてみると、自分でも驚くほど多くの指示を出している。
普段は学生に向かって、「信頼して、任せて、支えることが大切です」などと偉そうに語っている。「自己活動の統御」を超えて、子どもと大人が他者や環境とともに新たな世界をつくり出していく過程にこそ教育の本質があるのだ、と。
ところが現実はどうだろう。
「走らないよ!」
「登らないよ!」
「叩くな!」
「鼻にティッシュを入れないで…!」(また取れなくなるぞ!!)
である。
夜な夜な眠りにつく前に、マリア・モンテッソーリや野村芳兵衛の亡霊が枕元に立つ。
「子どもに指示ばかりしていていいの?」
モンテッソーリは、おそらくこう言うだろう。
大人は、自分の指示に従う子どもを見て安心する。しかし実のところ、私たちは子どもを「指示されたことしかできない存在」にしてしまっているのではないか、と。
すると今度は、もう一人の私が反論する。
野村芳兵衛を思い出せ。
子どもは子猿だぞ。放任によって社会的な場であるはずの教室でさえめちゃくちゃになるなら、家なんて一瞬で崩壊する。
子供が親のいうことを聞いて、今日も無事に生きながらえることができ、親としてはその寝顔が見られればそれで十分じゃないか。
教育思想と現実の子育ては、なかなか折り合わない。
指示を減らすことが難しいなら、せめて環境を変えたい。
だからこの数ヶ月、私たちは環境づくりに悪戦苦闘してきた。
毎朝近所の原っぱへ連れて行く。
子ども部屋には絵や作品を貼る。
お気に入りの本を手の届くところへ置く。
空き箱や紙でおもちゃを作る。
家具の配置を変える。
教育学ではこうした工夫を「環境構成」と呼ぶ。
教師や保護者が直接子どもを動かすのではなく、環境そのものを通して活動を支える考え方である。


写真の子ども部屋も、その試行錯誤の途中経過だ。
イギリスのファームが描かれたベッドシーツ。
壁いっぱいに貼られた文字や絵。
街で見つけた絵本や玩具。
決して理想的な環境ではない(掲載するために撮った写真でもないし、初期の部屋なので本当に問題だらけ)。
それでも、部屋だけでなく、「ここが君たちの居場所だよ」というメッセージだけは伝わるようにしたいと思っている。
現実は理論ほど美しくない。
そんなことは学生の頃から知っている。
しかし、子育てをしていると、その事実を毎日新鮮な気持ちで思い知らされるのである。
今日はうまくいったと思ったら、翌日には兄弟喧嘩が始まる。
良かれと思って作った遊びに見向きもしない日もある。
毎日何かが足りない。
毎日いっぱいいっぱいである。
最近になって、そのこと自体を少し違う角度から見られるようになった。
昨年の夏頃から、私はあまりよく眠れていなかった。
三時間程度しか眠れないのに眠くならない。
夜中に目が覚め、そのままメールを確認してしまう。
研究のこと、論文のこと、将来のことを考え続ける。
そんな状態が続き、心理相談に通っていた。
おそらく私は、「サバティカル神話」に取り憑かれている。
英国で一年研究する。
そう聞くと、何本もの論文を書き、英語力が飛躍的に伸び、人生を変えるような成果を持ち帰る期間のように聞こえる。
実際、私自身もどこかでそう信じていた(実はまだ信じている)。
しかし現実には、
住居を探し、
病院へ行き、
学校を探し、
税金を払い、
家具を組み立て、
食事を作り、
部屋の掃除をして、
子どもを寝かしつけ、
家族四人の生活を成立させている。
これは研究ではないかもしれない。
しかし間違いなく仕事ではある。
しかもかなり大変な仕事だ。
ところが研究者は、こうした仕事を数えない。
論文を書いたか。
研究費を獲得したか。
発表したか。
そこだけを見てしまう。
以前このブログ(facebookかもしれない)で、「名前の与えられていない仕事」について書いたことがある。
今振り返ると、あの文章は未来の自分に向けたものだったのかもしれない、と思う。
家族四人で異国に暮らすこと。
病気になった子どもを抱えて病院へ向かうこと。
折れた前歯を前に夫婦で相談すること。
子どもの居場所を整えること。
そうした営みもまた、名前の与えられていない仕事なのだろう。
英国の医療制度について書くつもりが、最後はまた子どもと生活の話になってしまった。
しかし異文化の中で暮らすということは、案外こういうことなのかもしれない。
制度を学びに来たつもりが、人間を学ぶことになる。
研究者として英国に来たつもりだった。
けれども最近は、研究者、教師、父親、夫、息子、生活者という区別そのものが少し怪しく思えてきた。今日は書いていないけれど、実は「経営者」、「運営者」の自己がどんどん大きくなっている。
あと九ヶ月。
何本論文を書けるだろうか。
どんな研究成果を持ち帰れるだろうか。
不安は尽きない。
それでも帰国した時に、
「家族四人でよく生きたな」
と笑えたなら、それもまた立派な成果なのではないかと思い始めている。

食べやすいかな?と思って作り始めたプリン。見てくれは微妙だけど、息子より自分がハマって食べている。