学部生の時、野村芳兵衛の思想と実践に出会い、以来牛歩のごとく続けて来た「書くこと」に関する研究。いつか国語の専門家たちに公の場で批判をいただきたいと思っていたけど、ようやく発表することができた。

「国語科作文教育における訓育的教授の探求-芦田恵之助の綴方教育を手がかりに-」。精緻な研究発表が続く中、尊大な問題設定をしてしまったなあと思っていたけれど、多くの方に評価していただいて勇気をもらった。司会者の先生には次のようなコメントをいただいた。
「芦田は非常に日本的だ」「芦田を研究することは、近代という時代において教育をいかに構想するかを考えることだ」
「日本的だ」の意味を聴きそびれてしまった。が、それは自分で考えるべきことなのだろう。ポストモダンを経た時代の研究者であるはずの僕ですら、近代という時代と対峙しなければならないということを痛感した1日だった。つまり、〈排除された知の可能性〉を教育学において掘り起こし、未来の教育のために加工して再提示しなければならない。そういう課題を明確に意識させられた学会だった。