調査歴

  • 老松場古墳群第2・3次調査の概要

     第2・3次調査では、1・2号墳の発掘調査と4・5・6号墳の測量調査をおこないました。

    〈1号墳の発掘調査〉 1号墳では後円部、くびれ部、前方部のそれぞれにトレンチ(調査区)を設定し、葺石の状況を確認しました。葺石は後円部とくびれ部において、遺存状態が良好な状態で検出しました。葺石には、主に15~20㎝ほどの川原石が使われたことがわかりました。また、周濠は第3次調査において墳丘北側から東側にかけて、その存在を確認しました。1号墳の築造時期については、出土遺物が少なく確定することができませんでしたが、墳丘プランからみて、1号墳は南信地方において最も古い前方後円墳である可能性が高いといえます。

    〈2号墳の発掘調査〉 2号墳は、伊那谷によくみられる低墳丘の古墳です。これまで伊那市内ではこのような古墳の発掘調査はおこなわれておらず、本調査がはじめての発掘例となります。調査では北側に設定したトレンチにおいて、墳丘斜面から葺石(20~30㎝ほどの川原石)が検出されたことから、1号墳と同様に築造当時は葺石を施していたことがわかりました。また、2号墳周囲は旧地表面よりも深く掘削されていたことから、周囲の土を墳丘の盛土として利用した可能性を考えることができます。

    〈4・5・6号墳の測量調査〉測量調査の結果、4号墳は直径約13m、5号墳は約11m、6号墳は約10.5mの円墳であることがわかりました。それぞれの高さについては、4号墳が約0.95m、5号墳は約0.52m、6号墳は約0.4mであることがわかりました。

    今後の調査では、1・2号墳ともに墳丘調査の精査と埋葬施設の構造について調査をおこなう予定です。

  • 老松場古墳群

    老松場(ろうしょうば)古墳群は、長野県伊那市東春近中組に所在する古墳群です。『伊那市史』によると、古墳群は7基の古墳からなり、6世紀半ばから8世紀初頭頃にかけて営まれたとされています。
     このうち1号墳は双円墳であるという見方もされていましたが、伊那市教育委員会指導のもと、平成27 年に行われた東春近小学校の生徒たちによる測量調査によって、前方後円墳もしくは前方後方墳である可能性が確認されました。
     以上のような経緯を受けて平成29年度の第1次調査では、1号墳と7号墳、および周辺地形の測量調査を行いました。
     昨年度の調査で、1号墳は全長約30メートルの前方後円墳、7号墳は短径が約20メートル、長径が約22メートルの円墳である可能性を確認しました。1号墳の築造年代については、これまで6世紀半ば以降とされていましたが、墳丘測量図を検討した結果、5世紀初頭まで遡さかのぼることは確実となりました。また、7号墳は伊那市域における円墳の中では最大級のものです。
     1・7号墳の周辺地形の測量調査を行うなかで、2・3号墳についてもその位置や墳形、規模を確認することができました。その結果、2号墳は直径約15メートル、3号墳は直径約10メートル規模の円墳であることがわかりました。
     今年度以降の調査では、1・7号墳の詳細な墳形や規模、構造を確認するために発掘調査を行うとともに、残り3基(4・5・6号墳)の正確な墳形及び規模を確認するための測量調査も行う予定です。

  • 円満寺山古墳

    円満寺山古墳は、岐阜県海津市南濃町に所在する前方後円墳です。
    関西大学では1967年に同古墳の発掘調査を行いました(1次調査)。2010年からは、史跡整備に向けての発掘調査を行いました(第2次調査~第6次調査)。
    同古墳は縦に長い後円部を有した全長53mの前方後円墳で、川原石を用いた竪穴式石室と木棺直葬の計2基の埋葬施設が認められること、竪穴式石室には三角縁神獣鏡などの古墳時代前期を代表する器物が副葬されていたことなどが、これまでの調査の成果から明らかになっています。

  • 都塚古墳

    都塚古墳は、奈良県高市郡明日香村大字阪田に所在する古墳です。 関西大学考古学研究室では、1967年に主に石室内部の調査を、2014年に明日香村教育委員会と共同で墳丘の形態や規模を確認するための調査を行いました。
    2014年の調査では、都塚古墳は一辺約40mの方墳で、6段以上の段をもつ階段状の墳丘であることが分かりました。階段状の垂直の面に石を積み、テラス面には石材を充填させた上に化粧土を施すという、珍しい形態の古墳です。