新入生へのひとこと

山本 幾生  [専門分野] 哲学、生の哲学、解釈学

大学生であることを楽しんでください。
それには大学でしかできない自分自身の研究テーマを見つけることです。どの専修に所属するにしても自分が一番やりたいテーマを見つけてください。これは!というテーマにのめりこむと楽しいものです。これは大学でないと味わえない楽しみです。
いつも見慣れた町でも、通る道や見る位置を変えると異なった町
が現れてきます。この驚きと不思議、そして楽しみが哲学です。

 

自己紹介

長野県生まれ。山に囲まれた景色に親しみ、冬の遊びはスキーをするくらいしかなく、海を見たのは小学生のころでした。思わず「海は広いな♫大きいな♫」(笑)。
高校を卒業して関西大学文学部の哲学科に入学、長野は関東文化圏なので、クラスメイトはほとんどが関東圏へ、関西圏へはクラスに一人いるかいないかでした。関西弁と猛暑、そして冬に雪がなく、馴染めませんでした。今でもそうです。京阪神では六甲山と瀬戸内海に挟まれた神戸の街が好きです。ただ、郷里に帰って友人と話しているとき、ふと関西弁らしきものが出てくる自分に、なんでやねん(笑)。
大学学部そして大学院のときは、友人とよく酒を飲み、下宿にこもってよく本を読みました。学部のときは小説などが多く、大学院では哲学の専門書がほとんどでした。しかしもちろん、今でも、分からないことだらけです。そうした時は、ジャズかクラシック、音楽を聴くのを楽しみの一つにしています。

二回生以降に展開される授業内容

一回生向けの授業から四回生の卒論指導までしています。科目としては以下の通りです。

「学問とは何か」

一回生向け内容の総合人文学科目ですが、2回生以降の上位学年の履修者も多いです。授業では、学問が古代ギリシアで興ってから日本に幕末から明治期に伝えられるまでの学問の歴史、方法、そして対象という、三つの観点から話します。

「哲学概論a・b(春・秋)」

2回生配当の文学部専門科目であると同時に教職科目です。a(春)では古代から近世まで歴史的変遷を追いながら、b(秋)では現代の哲学をテーマ別哲学者別にお話しします。

「哲学倫理学専修研究Ⅰ・Ⅱ(2回生)・Ⅲ・Ⅳ(3回生)」

哲学倫理学専修に所属の2・3回生の必修科目です。哲倫スタッフによるリレー講義です。私はⅠ・Ⅱではデカルトに始まる近世哲学からカントからドイツ観念論に至る時期について、Ⅲでは現代哲学の存在・世界・自己をテーマにして話題や問題を話します。

「哲学倫理学専修ゼミⅢ・Ⅳ(春・秋)」

哲倫専修に所属の3回生向け必修科目です。「ゼミ」なので、私が講義をするのではなく、受講生が哲学の諸問題や自身のテーマなどについて発表やディスカッションをしながら、4回生の卒業論文作成に備えます。

「哲学倫理学専修ゼミⅤ・Ⅵ(春・秋)」

この授業をペースメーカーにして卒業論文を作成します。別名「卒論ゼミ」。受講生自身が卒業論文のテーマに関して発表を行い、お互いにディスカッションを通して議論を深めます。私は文献や論文構成などのアドヴァイザー役です。

専門分野の紹介

分野

おもに近現代の哲学、なかでも19世紀後半から20世紀にかけてのドイツ哲学が専門にしている分野になります。そのなかでも哲学者を挙げれば、「ディルタイ」と「ハイデガー」、そしてディルタイの衣鉢を継いでハイデガーを徹底的に批判した「ミッシュ」などです。分野名としては広くはドイツの「生の哲学」、いくらか狭めれば「解釈学」になります。
ただし、解釈学というと、哲学の専門領域では、ディルタイに始まりハイデガーそしてガダマーを経て、ドイツではペゲラーなど、フランスではリクールなどへ展開していった路線が考えられています。これに対して私自身が現在、関心があり論文等に著しているのは、これとは「別の路線」として、「ディルタイからミッシュへの路線、そしてケーニヒ、リップス」です。フッサールそしてハイデガーがフライブルク大学を拠点にしていたのに対して、ミッシュ、ケーニヒ、リップスはゲッティンゲン大学を拠点にしていたので、ゲッティンゲン学派とも言われることがあります。ちなみに、ミッシュは「ゲオルク・ミッシュ」、ケーニヒは「ヨゼフ・ケーニヒ」、そしてリップスは、心理学者で感情移入説の「テオドール・リップス」ではなく、「ハンス・リップス」です。ほとんど知られていない、ごくマイナーな分野ですが、私が関心のあるテーマからした時、いま、一番、惹かれている分野です。

テーマ

テーマとしては、存在、生、自己、死、無、など。そして広くは「現実」や「実在」をテーマにして、どのようにして現実は形成され、みずからの生にリアリティ(実在性)を感じたり感じなかったりするのか、といったことなどについて考えています。そしてこの観点から、哲学者としては上記以外に19世紀前半の「ショーペンハウアー」も取り上げることが多いです。

その分野を知るためのおすすめの図書

○拙著(単著)として、実在・現実をテーマにしてショーペンハウアー、ディルタイ、ミッシュ、ハイデガーを扱った書:
・『実在と現実 リアリティの消尽点へ向けて』関西大学出版部、2005年。
・『現実と落着 無のリアリティへ向けて』関西大学出版部、2014年。
・『落着と実在 リアリティの創出点』関西大学出版部、2018年。

○哲学者の名前を冠した参考書として、私自身も分担して執筆・翻訳している書:
・齋藤ほか編『ショーペンハウアー読本』法政大学出版局、2007年。
・西村ほか編『ディルタイと現代』、法政大学出版局、2001年。
・W.ビーメル(茅野監訳)『ハイデガー』理想社、1986年。

○関連する哲学者の翻訳書:
・『ハイデッガー全集』創文社。
・『ディルタイ全集』法政大学出版局。
・『ショーペンハウアー全集』白水社。

○とくに解釈学に関する参考書:
・新田義弘『現象学と解釈学』ちくま学芸文庫、2006年。
(ただし現象学から見た、ハイデガー中心の解釈学)
・塚本正明『現代の解釈学的哲学』世界思想社、1995年。
(ハイデガーやガダマーだけでなく、ディルタイ解釈学およびそれを受け継いだミッシュ、そしてリップスにも言及)
・O.ペゲラー編『解釈学の根本問題』晃洋書房、1977年。
(ディルタイとそれ以降の解釈学の展開を、主要論文によって鳥瞰している書)

講義のテーマと内容(「古典と私」)

 

《シリーズ1》古典と私  講義テーマ:「自己の死」

1.問い

「誰でも必ず死ぬ。自分も例外ではない」。これは誰にとっても明らかでしょう。まさか私は例外だと思っている人はいないでしょう。
それでは、どうして、未来のいつ来るとも知れない自分の死について、「自分も必ず死ぬのだ」と分かっているのでしょうか。これが問いです。この、なんとも奇妙な問いに対して答えを見出すことができるのが、ハイデガーの『存在と時間』です。〈私〉が学部生のときに出会った〈現代哲学の古典〉です。
授業では、私が古典と出会った学部生時代の思い出話から、まず、〈出会い〉そして〈問いと答え〉ということについて考えてみます。そして、ハイデガー『存在と時間』の内容を参考にして、「自己の死」について考えてみます。

2.出会い

友達との出会い、あるいは本との出会い、様々な出会いがあります。では、その出会いは、偶然だったのでしょうか。それとも出会うべくして出会ったのでしょうか。偶然とか必然ということについて考えてみます。とくに、偶然と必然は、まったく別の事柄でしょうか。例えば、白と黒はまったく別ですが、現実の中に白と黒を別々に見出すことはできるでしょうか。偶然と必然はどうでしょうか。考えてみましょう。

3.問いと答え

哲学の問いは答えのない問いだ、とよく言われるかもしれません。しかしそんなことはありません。答えは必ずあります。大切なのは、時代によって答えが変わる、という点です。他の授業でも学ぶように、人間の死とは何か、という問いに対して、異なる時代や異なる文化を通して、すべて同じ答えでしょうか。近年の日本の中ですら心臓死から脳死へ変わっています。答えは時代と文化に応じて異なります。この意味で普遍的な答えはないともいえます。では、時代と文化が特定され、その中で問いが立つと、答えはもう必然的に得られるのでしょうか。「1+1=」という問いが立つと、もう必然的に、答えがえられるように。考えてみましょう。

4.ハイデガー『存在と時間』の「自己の死」

どうして自分は死ぬことが自分で分かっているのか。ポイントは二つあります。
一つは、「分かっている」あるいは「分かる」という、自分自身の営みが自分でどのような営みか分かっているのか、という点。考えてみましょう。
もう一つは、自分の死というとき、未来のことを考えますが、ここで考えられている「時間」はどのようなものか、という点。時間とはまっすぐに先まで引かれた直線や道のごとくで、私たちはその線上を先へ先へ歩いているのでしょうか。考えてみましょう。
以上の二つをポイントにして考えてみると、どうして自分が死ぬことは自分で分かっているか、その答えは、もう必然的に、はっきりしてきます。自分という存在がそうなっているからだ、と??

 

リレー講義の参考文献〔「古 典 と 私」〕

 

《シリーズ1》古典と私:授業中に紹介する古典です。

・ハイデガー 『存在と時間』 ちくま学芸文庫(ほかに岩波文庫など)
・フッサール 『現象学の理念』 みすず書房
・フッサール 『純粋現象学および現象学的哲学のための考案(イデーン)』 みすず書房
・ライプニッツ 『形而上学叙説』、所収『ライプニッツ』中公クラシックス
・九鬼周造 『偶然性の問題』岩波書店 (『九鬼周造全集』第2巻)

講 義 の テ ー マ と 内 容(「現 代 と 私」)

《シリーズ2》現代と私  講義テーマ:「VRを哲学する」

1.問い

「現実」は岩の如く立ちはだかり変えることはできない。そうでしょうか。現実は変わらないのでしょうか。そもそも、現実はどのように形成されているのでしょうか。しかも、現代の現実です。おそらく、百年前、一千年前、現実は同じだったでしょうか。やはり、現実は変わってきたのではないでしょうか。では、「現代の現実」は、どのように形成されているのでしょうか。これが問いです。

2.現代

「現代」を特徴づけるものに、VR(Virtual Reality仮想現実)やAR(Augmented Reality拡張現実)が挙げられます。これらは、1970年代からコンピュータ技術が飛躍的に進歩した現代を特徴づける装置の一つと言えるでしょう。
授業では、まず、VRやARがどのような装置なのかを紹介し、VR以外にも私たちにもっと身近な夢や小説や童話などの「仮想」や「虚構」について触れながら、現代という時代の現実の形成について考えてみます。

3.身近な仮想・虚構

夢や童話などは、仮想や虚構であり、現実ではなく、現実と関係もない、と思われています。しかし果たしてそうでしょうか。昨晩いやな夢を見て朝から気分がすぐれない、将来プロサッカー選手になる夢をもって早起きしてトレーニングを始める、童話を読んで気持ちがゆったりして喧嘩していた友達と仲直りした、などなど。仮想や虚構も、現実に影響を及ぼして、現実を変えることもできるのではないでしょうか。

4.VRと夢の違い、現代の現実

これに対してVRは、直接、私たちの五感(感覚:視覚や触覚)に作用して、そこに現実を作ります。それは「仮想」ではなく、現実の「代替」として「実質的」に現実と同様にその人に影響を及ぼします。ここが、現代のVRそしてARの違いです。現実がどんどん拡張され、過剰なほど現実にあふれているのが現代の現実だと言えるでしょう。

5.現実の形成

このように現実は岩のごとき変わらないものではなく、影響(作用)ということから活き活きと変わり、虚構もまた影響を及ぼし、私たちの現実を形成しています。特に現代はコンピュータをメディアにして、直接、感覚に作用して現実を作り出しています。典型的なのがネット世界などが挙げられるでしょう。

リ レ ー 講 義 の 参 考 文 献 〔「現 代 と 私」〕

《シリーズ2》現代と私:授業内容についての参考書です。

○このテーマについて私自身の考えを著したもの

山本幾生 『実在と現実  リアリティの消尽点へ向けて』 関西大学出版部、2005年。

また、ショーペンハウアー(1788-1860)という哲学者の文脈でごく簡単に纏めたものとして 「バーチャリティとリアリティ」『ショーペンハウアー研究』4号、1999。これは次のURLで読めます。http://www.schopenhauer.org/organ/beitraege.html

○このテーマを考えるきっかけとなった哲学者(ディルタイ)についての紹介書

西村皓ほか編 『ディルタイと現代』 法政大学出版局、2001年。

人間・社会の総体的な把握を試みたディルタイについて、世界的な「ディルタイ・ルネサンス」の機運に呼応し、哲学・文学・芸術学・教育学・倫理学・宗教学・歴史学・社会学・心理学等、広範な分野からその全体像を照らし出す。

○VRについての紹介書と哲学的な書

荒俣宏 『VR冒険記-バーチャル・リアリティは夢か悪夢か』ジャストシステム、1996年。

バーチャル・リアリティは、我々にいかなる未来をもたらすのか。今、様々な分野で注目されるバーチャル・リアリティについて、荒俣宏が3年を費して世界の最新動向を取材。可能性と危険性をつぶさにレポートする。

マイケル・ハイム 『仮想現実のメタフィジックス』田畑暁生訳、岩波書店、1995年。

「仮想現実」がもたらす電脳空間の中で,我々はいかに進化していくのか.ハイパーテキストからハイデッガー,ギブスンまで縦横無尽に駆けめぐり,新たな「知」と「哲学」の必要性を提起する,刺激的な現代文化論.

○哲学の分野での実在性の問題についての簡単な紹介

バートランド・ラッセル 『哲学入門』 ちくま学芸文庫、1993年。

「理性的な人なら誰にも疑えない、それほど確実な知識などあるのだろうか」。この書き出しで始まる本書は、近代哲学が繰りかえし取り組んできた諸問題を、これ以上なく明確に論じたものである。ここでは、分析的な態度を徹底しつつ、人間が直接認識しうる知識からそれを敷衍する手段を検討し、さらには哲学の限界やその価値までが語られていく。それはまさしく、20世紀哲学の主流をなす分析哲学の出発点でもあり、かつ、その将来を予見するものであったともいえよう。今日も読みつがれる哲学入門書の最高傑作。待望の新訳。

 

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