新入生へのひとこと
品川 哲彦 [専門分野] 倫理学・応用倫理学・現象学・現代哲学
最近、スマホ等の影響からか、本が読めない、文章が書けないひとが増えています。「このひとは『考える』ということに一生縁がないのでは」という印象さえ受けることもあります。それでは、哲学どころの騒ぎではありません。
若いときに読まないと、なかなかそれ以後は手にとることのできない本があります。たとえば、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や『罪と罰』、フランツ・カフカ『城』や『審判』、トーマス・マンの『魔の山』などはそうでしょう。大学生のうちに読んでおくことを勧めます。子どもの本にも、哲学的思索に誘う本があります、「なぜ、こうであって、これ以外であってはいけないのですか」(トーベ・ヤンソンの『ムーミンパパの思い出』)。読んでみてください。
自己紹介
神奈川県川崎市に生まれました。首都圏ですから、通常、そのまま東京の大学に進み、東京で就職するのですが、そういう生き方に違和感を抱き、京都大学に進学。学生時代にはよく京都や奈良の寺社を散歩しました。研究の出発点はフッサールの現象学。大学院生時代に、1980年代から日本に盛んに紹介された生命倫理学・環境倫理学の研究に関わるようになり、和歌山県立医科大学に講師として赴任(1989-93)。その後、広島大学に新たに設けられた生命倫理学を担当する助教授として着任し、この時期(1993-99)に応用倫理学から倫理学全般へと研究領域を広げました。河合塾編『別冊宝島322号 学問の鉄人 大学教授ランキング』(1997年)で日本全国のなかから若手3人のひとりに選ばれたあたりから、倫理学者として認知されるようになったようです。1999年に関西大学に赴任。研究分野や研究業績、経歴、エッセイ等をウェブサイトに紹介しています。Facebookもやっていますが、海外の少数の読者のために英語で書くことが多く、いわゆる「友人」を(指導する学生から希望があれば断りませんが)積極的に増やしてはおりません。
学長補佐(2003-06)や高大連携センター長・地域連携センター長(2016-)といった研究・教育以外の任務や、また諸学会の委員や評議員や編集委員を命じられることが多く、一行でも多く本を読みたい学者として時間のやりくりに苦労しています。研究室を訪ねる場合には、事前にメールでアポイントをとってください。
そんななか、気分転換をするには、とくにピアノ、チェンバロ、オーボエ、チェロ、フルートによるクラシックの楽曲を聴いています。絵も好きで、描かれた景色のなかに風が吹いているような、たとえば(ドイツの美術館にはある)August Mackeのような、透明感のある絵が好みですが、実際には美術館に行く時間がなかなかとれないために、流れる雲や木々を眺めたり、野生の小鳥の声を聴いたりして気持ちを癒しています。
二回生以降に展開される授業内容
多くの年度、担当している【哲学倫理学専修ゼミII】では、倫理学の文献を素材にして、哲学書を読むときには一つ一つの語をどのように注意し、どのようにして論理を読みとっていくのかを伝えたいと考えています。この授業は、あえて「君たちを鍛える場」をめざしています。というのも、結局は、君たちひとりひとりが読む能力を身に着けていかないといけないからです。
【哲学倫理学専修研究I】【同II】では、他の教員とともに哲学・倫理学の重要な思想や理論を教えます。
【倫理学概論a】【倫理学概論b】では、重要な倫理理論を私の能力のおよぶかぎり受講生にとってわかりやすく展開したいと心がけています。【倫理学概論a】では、重要な倫理理論のいくつか(自己利益にもとづく倫理観、他者への共感にもとづく倫理観、義務倫理学、功利主義)を紹介しています。【倫理学概論b】では、1970年以降の倫理学の流れにしたがって、自由主義(リベラリズム)と共同体主義(コミュニタリアニズム)の対立を軸にしてとりあげてきました。(この二つの講義は1年次でも履修できますが、難しく感じるなら、2年次以降に履修してそれで充分です)。
【哲学倫理学専修研究IV】では、「生命はどのような場合でも尊重すべきか」「働くとはどういうことか」「結婚するのはトクか(とくに女性にとって)」「科学技術の倫理的問題」「国家は何のためにあるか」等、倫理学に関連する具体的な問題をとりあげ、私自身の書いてきた論文を素材にしつつ論じております。
【哲学倫理学専修ゼミV】【同VI】では、卒業論文の指導をしますが、どんな題目の卒業論文を指導してきたかは、上の「自己紹介」にURLを記したウェブサイトのなかの「講義」のページで紹介しています。
専門分野の紹介
私の現在手がけている研究主題は、およそ、次のとおりです。
(1)倫理の基礎づけ
倫理が倫理として成り立つ根拠は何なのか。いいかえれば、いかなる根拠から、私(たち)は倫理的であるべきなのか。これは倫理学の中心問題のひとつです。
近代以降の倫理理論の正統(たとえば、社会契約論、カントの義務倫理学、功利主義がその例です)は正義や権利を基礎にすえる傾向があります。これらの規範は基本的には対等な関係を前提としています。
ところが、現実の社会では、社会の構成員はたがいに対等であるばかりではありません。子ども、病人、障碍者、高齢者などなど他者の援助を必要とするひとたちはいます。私たちみなが生まれてすぐには他者による全面的な援助によって生きながらえてきたのであり、いつでも病人や障碍者になる可能性をもち、健康に生き続けてもいずれは高齢者になります。したがって、力の不均衡な関係に対応する規範が必要です。責任やケアはそれであり、これらの規範を基礎とする責任原理やケアの倫理という倫理理論があります。
私は、これら異なるタイプの倫理理論の対立的で、場合によっては、相互補完的な関係の解明を研究テーマのひとつにしています。
(2)応用倫理学
生命倫理学、環境倫理学の研究については、具体的な問題というよりも、むしろ、(1)の一般的な研究の方向にしたがって、「人間の尊厳」や「人格」といった基礎概念や「人間中心主義」「非人間中心主義」といった倫理理論のタイプに重点をおいていますが、依然として続けています。
(3)現象学
私のそもそもの出発点だった現象学では、相互主観性や生活世界が研究主題でした。
(4)Hans Jonas研究
上の(1)(2)(3)すべてに関わっている哲学者に、ドイツ生まれのユダヤ人Hans Jonas(1903-93)がいます。私はここ数年当初の予定以上にこの哲学者の研究に深入りしました。若いころにはけっして扱うことがないだろうと思っていた神や形而上学の問題にも視野を広げております。なにぶん、Jonasは、この世界を創造した愚劣な神とこの世界を超越している至高神との対立を説くグノーシス思想の研究者として出発し、紆余曲折に富んだその哲学的経歴の晩年には、彼の母もそこで殺されたと思われるアウシュヴィッツを経験した人間に、いかなる神を考えることができるのか、という問題にとりくんだ人なのですから。
その分野を知るためのおすすめの図書
(1)品川哲彦、『倫理学の話』、ナカニシヤ出版、2015年。
*倫理学概論の教科書に指定しています。発売した年に、大阪大学の大学院生・学生諸君が「学生選書」(学生がお勧めする本)に選んでくださいました。(p1,l32)
品川哲彦、『正義と境を接するもの 責任という原理とケアの倫理』、ナカニシヤ出版、2007年。
リチャード・ノーマン、『道徳の哲学者たち』2版、山内友三郎・樫則章監訳、ナカニシヤ出版、2001年。
アラスデア・マッキンタイア、『西洋倫理思想史』上下、菅豊彦他訳、九州大学出版会、1985年。
J.L. マッキー、『倫理学 道徳を創造する』、加藤尚武訳、晢書房、1990年。
D.D. ラファエル、『道徳哲学』、野田又夫・伊藤邦武訳、紀伊国屋書店、1984年。
(2)ロバート・M・ヴィーチ、『生命倫理学の基礎』、品川哲彦監訳、メディカ出版、2003年。
*生命倫理学の全体を見渡す書ですが、第一章は倫理学入門として適切。
加藤尚武、『応用倫理学のすすめ』、丸善、1993年、同、『環境倫理学のすすめ』、丸善、1990年。
(3)エドムント・フッサール、『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』、細谷貞夫・木田元訳、中公文庫、1995年。
『デカルト的省察』、浜渦辰二訳、岩波文庫、2001年。
木田元、『現象学』、岩波新書、1991年。
(4)ハンス・ヨーナス、『アウシュヴィッツ以後の神』、品川哲彦訳、法政大学出版局、2009年。
*朝日新聞の書評欄(2009年12月27日)で、小説家の高村薫氏が「今年の3冊」の筆頭に選んでくださいました。
講義のテーマと内容(「古 典 と 私」)
シリーズ1《古典と私》: 自己と他者
講義では話しませんが前置き:
哲学とは、あたりまえと思われていることを根底に立ち返って考えなおす知的営みです。哲学という日本語は、ギリシア語のphilosophiaを語源とする西洋の概念を幕末から明治にかけて活躍した西周がそう訳したのですが、もともとは「希哲学」といいました。ギリシア語のphiloは「愛する」「求める」「あこがれる」「望む」という意味で、sophiaは「知」です。「希」は「望」に通じ、「哲」は「ものごとがあきらかになること、そのさま。かしこいこと」ですから、「希哲学」のほうが正しいのです。しかし、いつのまにか「希」が落ちて、「哲学」――賢い学という意味不明の学問になってしまいました。
「知を求める」のですから、まだ知は手に入っていません。逆に、「自分は知恵があるのだ」と思うなら、そのひとの「哲学」――知を求める営み――は、もう終わっているのです。
で、デカルトの話をします:
哲学がそういう営みだとくっきりと私に印象づけたのは、デカルトの懐疑でした。学校生活を終えた若きデカルトはこう考えます。
――学校で学んだ学問は魅力があったが、しかし、ほんとうに真理なのかどうか疑わしく思える。絶対に疑うことのできない真理はあるだろうか。それを見出すためには、ほんとうらしく思われることを漠然と信じていてはいけない。一生に一度はすべてを疑って、そうしてどうしても疑うことができないことが、あるのか否か、考えるべきだ。
旅をして世間をみたあとで、デカルトはいよいよ「一生に一度はすべてを疑う」作業にとりくみます。
私は感覚を通じて知識の大半を得ている。ところが、感覚には錯覚がつきものだ。もし、私がけっして疑い得ない真理を入手しようと思うなら、一度でも私を欺いた感覚を頼りにすることはできない。しかし、感覚が誤りであるならば、私が目の前にしているこの机、紙、窓の外の景色もほんとうは存在していないのかもしれない。ひいては世界全体が存在していることすら疑わしくなるではないか。いやそれどころか、この私が存在していることすらも疑わしい――。
この続きは、授業で。
さて、20世紀初頭、フッサールがふたたびデカルト的懐疑をみずから遂行します。そこでは、「我」である点では私と同等でありながら、私とは異なる「我」である存在、つまり他者の存在が問われたのでした。時間の余裕があれば、哲学的思考にとって〈他者〉の占める位置について、フッサール、サルトル、レヴィナス、デリダの現象学的他者論を紹介しながら若干お話しいたします。
きょうの講義でおさえてほしいポイント:
(1)デカルトはどのような課題にとりくむために「他者」の問題に行き着いたのか。
(2)デカルトにおける「他者」とはどのようなものか。
(3)フッサールの提示した間主観性(相互主観性)とはどのような意味か。
リレー講義の参考文献(「古 典 と 私」)
デカルト、『省察』: たくさんの訳がある。
井上庄七訳、中公クラシックス(『情念論』を併録)。
山田弘明訳、ちくま学芸文庫(ここに挙げたなかで最も新しい訳)。
三木清訳、岩波文庫(今の若者にとっては文体が古風か)。
デカルト、『方法序説』: 山田弘明訳、ちくま学芸文庫(ここに挙げたなかで最も新しい訳)。
谷川多佳子訳、岩波文庫(同じ著者の『デカルト『方法序説』を読む』も岩波現代文庫に収録されている)。
野田又夫訳、中公文庫(『情念論』を併録)、野田又夫訳、中公クラシックス。
小場瀬卓三訳、角川ソフィア文庫。
野田又夫、『デカルト』、岩波新書: デカルトの思想と経歴を知るのに簡便。
フッサール、『デカルト的省察』: 浜渦辰二訳、岩波文庫(船橋訳よりは新しい訳)。
船橋弘訳、中公クラシックス。
サルトル、『存在と無』: 松浪信三郎訳、ちくま学芸文庫から3巻本で出ている。
レヴィナス、『全体性と無限』: 熊野純彦訳、岩波文庫。
合田正人訳、国文社。
デリダ、『歓待について』: 廣瀬浩司訳、ちくま学芸文庫。
講義のテーマと内容(「現 代 と 私」)
シリーズ2《現代と私》: 倫理学は、今、何を問題としているか
講義では話しませんが前置き:
1980年代の後半、現象学の研究から出発した私が大学院生のころ、日本には、社会のなかの具体的な倫理的問題に対処する応用倫理学が急速に導入されつつありました。私も若手研究者のひとりとして、そのなかの一部門である生命倫理学や環境倫理学に関わりました。
「倫理学を学ぶ」や「倫理学概論」でも説明していますが、倫理学は、規範倫理学(「……すべきだ/してもよい/してはならない」「……(すること)はよい/悪いことだ」という倫理規範にたいして、「なぜ、……すべき/してもよい/してはならないのか」と問い、その根拠を明らかにする)、倫理思想史ないしは記述倫理学(ある特定の時代や地域ではどのような倫理思想が支配的だったのか。また、ある特定の哲学者の倫理理論の内容を研究する)、メタ倫理学(倫理的判断に用いられることばの意味の分析)から成り立ちます。
20世紀前半のとくに英語圏では、科学は命題(真か偽かが決定できる事態)だけから成り立ち、真偽が決定できるのは観察や経験や論理によってのみであるとする論理実証主義の真理観を受けて、メタ倫理学が倫理学の中心であると考える傾向が強くありました。これにたいして、1960年代ごろからこの実証主義的真理観に疑問が呈され、その結果、メタ倫理学と比べてやや背景に退いていた規範倫理学への注目が復活します。
ちょうどそのころ、人工呼吸器の普及によって永久に意識を回復しない患者についてそのような状態を維持することに意味があるのか等々の医療の問題がいくつも問われており、さらには、地球規模で進みつつある環境問題も深刻化していました。こうした社会のなかに現れたさまざまな具体的な問題にとりくむ倫理学を総称して応用倫理学と呼びます。ただし、応用といっても、すでに考えられている倫理理論を具体的な問題にあてはめるという意味ではありません。問題はこれまでなかった新しいものです。とはいえ、人間社会に起きている問題ですから、それまで考えられてきた倫理規範にもとづいて考えていきます。と同時に、問題の新しさからこれまで考えられてきた倫理規範が変容したり、あるいは、新たな倫理規範が派生したりすることもあります。
で、応用倫理学の話をします:
1960年代以降に登場した応用倫理学が扱う諸問題をお話しします。脳死と臓器移植、安楽死などを論じる生命倫理学が、どのような意味でどれほど斬新な倫理的問題に直面したのか。地球規模での環境危機に対処する環境倫理学が、どのような意味でどれほど新奇な倫理的問題に直面したのか。コンピュータの発達とインターネットの普及によってどのような新しい問題が生まれ、それに対応するために情報倫理学という分野が生まれてきたのか。さらには、21世紀が9.11の衝撃から始まったために、あらためて戦争倫理学という分野が生まれた経緯。グローバルな市場経済の広がりと格差の拡大。これらの新たな問題にたいして、倫理学は昔から蓄積してきた倫理理論によって応答を試みるわけですが、授業では時間のゆるすかぎり、これらの問題について、今、倫理学は何を問うているのかをお話ししたいと思っています。
きょうの講義でおさえてほしいポイント:
(1)倫理学がいかに現代の生活のなかの問題に関わっているかを知る。
(2)倫理学が考えるべき問題はいかに身近にあるかを知る。
リレー講義の参考文献(「現 代 と 私」)
加藤尚武、『応用倫理学のすすめ』、丸善: 応用倫理学の諸分野を日本に導入するけん引役を務めた加藤尚武氏の入門書。
加藤尚武の本には、ほかに、『脳死・クローン・遺伝子治療 バイオエシックスの練習問題』、PHP新書、
『新・環境倫理学のすすめ』、丸善、『戦争倫理学』、ちくま新書などがある。
シンガー、ピーター、『私たちはどう生きるべきか』、ちくま学芸文庫:
世界的に影響力をもつと同時に論的も多い応用倫理学者シンガーの著作には、このほか、『実践の倫理』、昭和堂、『グローバリゼーションの倫理学』、昭和堂などがある。
加藤尚武・加茂直樹編、『生命倫理学を学ぶ人のために』、世界思想社: そろそろ絶版なので図書館で。
香川知晶・樫則章編、『生命倫理の基本概念』、丸善:
市川浩・小島基・佐藤高晴・品川哲彦編、『科学技術と環境』、培風館: 品川による生命倫理学、環境倫理学に関する3つの章を収録
水谷雅彦・越智貢編、『情報倫理の構築』、新世社: インターネットに関わる倫理的問題を扱う情報倫理学の入門書。
斉藤了文・坂下浩司編、『はじめての工学倫理』、昭和堂: エンジニアリング・エシックス(工学倫理)の入門書。
塩原俊彦、『ビジネス・エシックス』、講談社: 企業で働く者の立場から論じた経営倫理学。
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