関西大学千里山キャンパスについて

関西大学は1866年に大阪市内で関西法律学校として創立し、当初は寺院に間借りして授業を行なっていました。大阪市内で何度か移転し、施設の充実をはかってきましたが、一層の施設の充実を図るため、千里山への移転を決め、1922年、予科校舎が完成し、同年、関西大学は大学への昇格を果たしました。
戦後、新制大学へ転換し、大学院の充実を図ることになりました。そこでキャンパスの設計者として登場するのが村野藤吾です。1955年には創立70周年記念事業として第1学舎の整備を手がけました。今回ARでよみがえる第1学舎1号館は、2008年に現・1号館に建て替えられ、跡地はあすかの庭として整備されています。
千里山への移転以来、キャンパスは徐々に広くなり、たゆまず施設の充実も図られてきました。千里山キャンパス創設期以来、キャンパス中央にグラウンドがあり、多くのアスリートを育て、自然の地形をいかした観客席は‘だんだん畑’と呼ばれ、学生たちの憩いの場でもありました。そこには1985年に100周年記念事業として総合図書館が完成し、2000年には尚文館も建ち、現在は緑と水の静けさのある広場に整備されています。2016年にはイノベーション創生センター、そして2018年3月には東体育館が竣工します。