「この人を見よ」from東京大学・学習院大学

 浪人生の時、『ターゲット1900』という英単語帳を使っていた。奥付に「先生の頭の中を割って中を見てみたい」というような言葉が書かれていたのが印象的で、大学の先生ってそんなに物知りなのかという素朴な感想を抱いたことを覚えている。同時に、そんな人たちに出会える大学という場に憧れを覚えた。恋愛などで青春時代を謳歌できるという意味ではなく、知的な意味で大学という場に憧れたのはその時が初めてだったかもしれない。

 あれから10年が過ぎ、数多くの出会いを経て大学教員として働くようになった。大学という場は、浪人生の時の自分が思っていたよりもずっと多様な声をもつ人が存在しており、先生に求められる資質も多様だった。大学で教壇に立つ人は、「先生」や「教員」、「教授」、それに「研究者」と多様に呼ばれる。

 今回の旅で僕は、やはり大学で教壇に立つ人間は、圧倒的な知識に基づいた研究力が必要だと思い知らされた。「この人を見よ!」と叫びたくなった。本物に触れた気がした。

 「今回の旅」は、世界教育学会・日本教育学会に参加するための旅だった。東京大学の安田講堂に初めて入った。

 登壇したラウンドテーブルは学習院大学で開催された。誰も僕を見てはいなかった。白熱したラウンドテーブルだった。

 最も白熱したのは、学会後のレストランでの議論だった。3時間があっという間に過ぎた。僕はたくさんのことを感じていたのだけれど、感動してしまって、ほとんど言葉を発することができなかった。