第30回 「全国保育士養成セミナー」 保育時代における保育者養成: 子どもと保育者、共に豊かな時を生きるために

 岐阜で開かれた「全国保育士養成セミナー」に参加してきた。特に興味を覚えたのは特別講演としておこなわれた松沢哲郎先生のお話。松沢先生の肩書きは「京都大学高等研究院・特別教授」 「京都大学霊長類研究所・兼任教授」となっている。

 そこで、昨年の教育哲学会で霊長類研究所の山極教授が登壇されたシンポジウムに参加したことを思い出す。その時のテーマは「人間とは何か」。講演内容がとても面白く、先生の著書『オトコの進化論』等を購入して読んだのは記憶に新しい。本日の松沢先生も広く捉えれば山極先生と同じ関心をお持ちで、遺伝子配列が人間と限りなく近い類人猿の研究を通して、人間とは何かを理解しようと試みている。今日の話は道具を使うチンパンジーの話からはじまったが、テーマは「想像するちから: チンパンジーが教えてくれた人間の心」。先生のお話によると、どこのチンパンジーでも道具を使う訳ではないらしい。つまりそれは文化である。ある種のチンパンジーは石器を使ってアブラヤシの固い種を叩き割る。文化創造は生活形態に強い影響を受ける。

 講演は進化の話に移行する。祖先を同じくするヒトやサルが、進化の過程でどのような身体的違いを得たのか。そしてその身体的な違い(例えば人間の特徴は「足」をもつことや、未成熟であること、そして母親から離れて仰向け姿勢で安定していられること!)から、どのような機能的な違いを得たのか。その機能的な違いは、デカルトによって身体と分けられた精神にまで及ぶ。つまり、一般に人間に特有だと思われている想像力が、進化論的にいかにつくられてきたのかを説明しつつ、類人猿と人間との同一性と差異を明らかにしていくのだ。

 たとえば、人間の赤ちゃんは母親から離れて仰向け姿勢で安定していられる。他の霊長類だとそうはいかない。なぜなら木の上で、常に母親にしがみついていなければならないからだ。したがって人間とは違い、母親にぶら下がっていられるほどには成熟していなければならないし、いつも母親の近くにいるので夜泣きをする必要もない。そこで松沢先生は次のように言う。仰向けの姿勢が人間を進化させたのだ、と。仰向けになって母親と離れることで、たとえば顔を合わせたコミュニケーションを取ることができるようになる。それで赤ちゃんは「微笑む」という機能を得ることになる。

 もちろん反対に、チンパンジーにはできるが人間にはできない課題もある。講演を聴く人にとってはこれが面白いらしく(人間を通してチンパンジーを見るからだろう)、それを知っている松沢先生は、数字を使った実験の様子をいくつかのバリエーションで紹介された。人間は瞬間記憶を失った替わりに、互いに分かち合うための言語を発達させた、ということを示すためだ。そしてまた、人間に特有の生活形態として共同体と家族をもつことを示され、その中で暮らすために「想像する力」が発達した(チンパンジーにないわけではないが、人間はその時間的・空間的幅が広い)、というシナリオを紹介された。

 会場の受けはとても良かったように思うが、この講演が保育者養成にとってどのような意義があったかを見いだすのは私には難しかった。「人間とは何か=想像する力を持つものである」は保育士養成者にとって新しい知見ではないだろう。確かに幅広い人間理解は、保育の意味を把握する際に奥行きをもたらすだろうが、話のレベルは「お茶の間」に合わせられていたように思う。その意味で興味深かった。