お知らせ:新しいコラム(ドイツ語勉強法)を掲載しました

工藤教授執筆の新しいコラムを掲載しました。「私のドイツ語勉強法」と題し、工藤教授自身がドイツ語を身につけた方法について紹介しています。ドイツ語の勉強法は様々あり、個人個人に合った方法を見つけるのが習得への近道です。ぜひ参考にしてみてください。

コラム:私のドイツ語勉強法1:語彙・作文

ドイツ語を学んでいる学生のみなさんの中には、ドイツ語の学習を苦行と感じている人がいるかもしれない。何でこんなに難しいんだ、対して教員は何でも知っているみたいで、その圧倒的な力の差に、自分とは違う人間なんだろうと思うかもしれない。しかし学生と教員の間に量的な差はあれ、質的な差はない。同じ人間である。このことを、私がドイツ語学習で歩んできた道のりをたどることで示したい。

ドイツ語を学ぼうと思ったきっかけは何ですかとよく聞かれる。それに対しては何の美談もない。ドイツ文学やドイツサッカーに魅せられたということもなく、消去法の末にドイツ語が残ったようなものである。大学で何を学ぶかに関して、高校時代の私は純粋、言い換えれば能天気だったかもしれない。まわりでは法学部や経済学部を目指す人も多かった。彼らは将来を見つめ、就職に有利な学部を迷うことなく選んでいたのだと思う。私はといえば、大学では好きなことを学ぶ、くらいの意識しかなかった。

英語は得意科目だったが、未知の言語を知りたいという気持ちが勝っていた。NHKの語学講座はよく見ていたが、お目当ては歌のほうだった。ドイツ語講座の歌には正直共感を覚えず、フランス語講座のシャンソンとロシア語講座のロシア民謡を楽しみにしていた。言語に関しては(未知の)ヨーロッパ言語への憧れがあった。歌はともかく、英語になんとなく似ていて、ローマ字読みに近いドイツ語に多少魅かれていたのは確かである。高校の担任が独文出身の英語教師だったことも、多少影響したかもしれない。

以下いくつかに分けて、私が学部生および大学院生時代に行った勉強方法を述べていきたい。

【語彙力】

①単語カードの活用

1年次に過去時制を習った時点で、教科書の後ろにある不規則動詞変化表を見ながら、不定詞を単語カードのおもてに書き、うらに過去基本形と過去分詞を書き込んだ。当時自炊をしていたので、冷蔵庫の上に単語カードを置き(最近の冷蔵庫は背が高いから上に置けないか)、食事を作りながらgeben-gab-gegeben、helfen-half-geholfenと大きな声で唱えていた。一巡したらまた初めに戻る。2~3ヶ月したら動詞の3基本形はすべて覚えてしまった。過去分詞を知っていると、完了形や受動態の文を簡単に作れるようになる。こういう勉強は「ながら勉強」でないと続かない。私はまな板で野菜を切りながら覚えた。机に向かって「さあ、単語を覚えるぞ」と頑張ってみても眠くなるだけである。なお、カードの利用は作文力をつけるのにも有効で、これについては後述する。

②市販の単語集の利用

『ドイツ語単語1000』といった名前の薄い単語集を買ってきて、ページの右の部分を隠し、左のドイツ語を見て意味がわかるかを試す。わからなければ右の日本語を見て確認する。わかった場合は、そのドイツ語と日本語を黒サインペンで塗りつぶす。最後までいったら初めに戻る。何度も循環するうちに、塗りつぶした部分が増えていき、最後にすべてが黒くなったことを確認して、その単語集を捨てた。昔の人は辞書を1ページずつ覚えていき、覚えたページは破って食べたという伝説をよく聞いたが、私はそれほど頑健な胃袋を持ち合わせていないので、それはできなかった。単語集を使った勉強は家の縁側にすわって行った。30分もやっていたら嫌になってしまうので、せいぜい10分くらいで切り上げていた。続けることが大事である。

ところで、こうやって勉強していることを当時の独文の先生に話すと、それは邪道だと言う。ドイツ語の語彙なんか、文学作品を数多く読んでいれば自然に覚えるものだと。しかし別の先生は、文学作品には日常生活で使わないような語彙が多く、語彙を覚えるには効率が悪いと言う。邪道かもしれないが、頻度の高い語彙を集めた単語集を使って、泥臭く覚えたのはよかったと思っている。

【作文力(表現力)】

①単語カードの利用 

動詞の3基本形を覚えたあと、同じように単語カードを利用して作文力を磨いた。市販の独作文の本を買ってくる。問題文を解いて答え合わせをするという方法はとらず、最初から単語カードのおもてに問題文を書き、うらに解答を書き写す。あとは先に述べたように冷蔵庫の上に置き、日本語を見てドイツ語で言えるかを試す。同じ文を数回声に出して唱え、次の文に移る。最後までいったらまた初めに戻り、何度も循環させる。本を買うとき、中身を見てできるだけやさしい文を扱ったものを選ぶ。日常生活でも使ってみたいと思うようなやさしい文がいい。たとえば「私は昨日映画館へ行きました」、「日曜日に家族と動物園に行きます」といった簡単な文である。

動詞の3基本形に始まり、簡単な文を書き込んだ単語カードは、大学を卒業するころには箱一杯になったので、卒業時に後輩たちへの置き土産にした。その後、大学院に入ってからも作文の作業は続き、その頃のカードはまた箱一杯になって、今研究室にある。

② その他

ほんの一時期であるが、学部の3年生ごろ、毎週決まった曜日の決まった時間に、ドイツ人の研究室を訪れ、ドイツ語で自由作文したものを添削してもらっていた。エッセーのように日常生活の出来事を書いていた。
関口存男『新ドイツ語文法教程』(三省堂)(現在品切)を使って作文の問題を解いて答え合わせをしていたノートが残っている。関口は戦前から戦後にかけて活躍した人で、日本語も古いので、労多くして益は少ないかも。この人の本だったと思うのだが、「ヤミ米は食べましたか」「MP(進駐軍の憲兵)が……」といった文もあったような。

大学院時代から大学で教え始めたころまで、オーストリア人の友人とかなり文通をし、当時の往復書簡がたくさん残っている。いわば自由作文であり、解答もないが、ドイツ語を書く鍛練にはなったと思う。

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執筆者:工藤康弘

コラム:私のドイツ語勉強法2:読解

50年前のドイツ語の授業は週2回、「文法」と「講読」があったが、現在関西大学がとっているような2人の教員が連携して行うタンデム授業ではなく、まったく別個に行なわれていた。「講読」の教科書は文法の説明が少なく、読むためのテキストが多くを占めていた。「文法」の授業はそれなりにゆっくりと進むのだが、「講読」はそれにはおかまいなく進む。自動車学校にたとえるなら、学科の勉強も校内での運転練習もすっとばして、いきなり路上に出るような感じであった。ドイツ語教師の多くはドイツ文学の研究者であり、文法を教えるのは早々に切り上げ、好きな文学作品を読みたかったのだろう。当時はドイツ文学の作品を抜粋した講読用の教科書がたくさんあった。1年次の終わりごろからこうした教科書を使い、本格的な文学作品を「読まされた」。シュニッツラー『隣の女』、ハウプトマン『ビーバーの毛皮』、クライスト『決闘』(超難解なテキスト)など。これではドイツ語嫌いが増えても仕方がない。

専門教育でもこうした授業は続き、覚えているものでは以下のような作品を読んだ:
トーマス・マン『トニオ・クレーガー』(2年後期)、ムージル『トンカ』、ネストロイ『楽しき哉憂さ晴らし』、グリルパルツァー『哀れな辻音楽師』、ニーチェ『悲劇の誕生』、ゲーテ『ファウスト第一部』。特にファウスト第一部は2年間くらいかけてすべて読んだ。当時使ったテキストが今でもあるが、日付を見ると、レクラム文庫で1回に3~4ページ読んでいた。今、授業でこんな読み方をしたら学生は悲鳴を上げる、というより授業に出てこなくなるだろう。

勉強方法で私が実践したことを挙げれば以下のとおり:

①辞書の調べかた

文法を習っている時期は、練習問題をノートに書き写し、行間をたっぷりとって語の意味を書き込むこともあるが、テキストを読むようになってからは、さすがにテキストをすべてノートに書き写すわけにはいかないので、0.3mmのペンシルを使ってテキストの余白にびっしりメモを書き込む。語の意味だけを書く人がいるが、もっと大事なのは文法の情報を書き込むことである。特に動詞の場合、たとえばkamがあれば< kommenのようにもとの不定詞を書き、他動詞・自動詞の別を書く(私の場合はvt・viと書く)。意味はそのあとに書く。熟語の場合はその用法も書く。たとえば「auf jn. warten~を待つ」「mit et. zufrieden sein~に満足する」。

辞書を引いている段階で、テキストにおける語の意味を特定できない場合、可能な限り辞書の意味をあるだけ書いておく。たとえばauflösen ①溶かす ②ほどく ③(問題を)解く ④(契約を)解消する。そして改めてテキストを読んでみて、「解消する」で意味が通ると判断したら④の丸の部分を鉛筆で強くなぞり、強調しておく。一つの意味、しかも辞書の最初に出てくる意味しか書かない人がいるが、もし訳が間違った場合、どこで間違ったかを検証できない。またEr steht um 8 Uhr auf.で、「彼は8時に立っている」と誤訳した場合、< stehenと書いてあれば、分離動詞であることを見逃したということがわかる(正しくは < aufstehen)。ドイツ語を読むということは、もとの形を割り出して書いておく作業にほかならない。

授業をしていると、すごいスピードで訳を読み上げる学生がたまにいる。私はテキストのドイツ語を一生懸命目で追っているので、まったく追いつかない。二人の呼吸がまったく合わないのである。テキストのドイツ語について尋ねると、今度は学生があたふたとする。ドイツ語を見ていないので当然だ。ドイツ語の勉強も2年目以降になれば、長いテキストを読むようになるので、訳を逐一ノートに書いている余裕はない。テキストの余白に書き込んだメモを頼りに、ドイツ語を見ながら訳すのである。外国語の書物を読むというのはそういうスタイルになる。これを続けて、語彙力がついていくのに反比例して、余白に書き込む量は減っていく。最近は翻訳機能を使う人もいると聞くので、上に挙げたような辞書の引き方をしているかどうかを確かめる意味でも、ドイツ語を見ながら訳すように言わなければと思っている。早いスピードで訳す人がいたら要注意だ。

②復習

予習をし、授業を終えると、もう次回の予習をしたがるものだが、復習もしたほうがいい。予習では辞書を引くのに精いっぱいで、テキストの意味を把握する余裕がない。苦痛だけがあとに残る。授業を終えたあと、意味もわかっている状態で声を出しながらテキストを読む。ドイツ語がすらすら読めるような気がして気持ちがいい。辞書引きでふうふういっているときよりも、このように意味がわかったうえで声に出して読んでいるときに、語学力がつくような気がする。

③参考書の利用

授業とは別に、自分で参考書を買ってきて勉強することもあった。大きな本屋の語学コーナーで「独文解釈」といった名のついた本を実際手にとって好きになれそうなものを買えばよい。私は小栗浩『独文解釈の演習』(郁文堂)(たぶん絶版)を使った。いつ勉強したかさだかでないが、授業期間中ではなく、夏休みや春休みに集中的にやったのかもしれない。学生時代は夏休みに劣らず、春休みはたっぷり時間があったので、いろいろ勉強できた。大学の教員になると、春休みはないに等しい。この参考書、4年生になってからもう一度持ち出して、大学院の受験勉強用に使った。

1年次に使うドイツ語教科書は説明が少ないので、一人で勉強する際は心もとない。座右に置いて参照するものとして、私は常木実『標準ドイツ語』(郁文堂)を使った。ときどき参照するだけでなく、上で述べたように長期休暇を利用して、最初からずっと読んでいき、読解の練習問題を解いていたようである。

作品に語注と訳がついた対訳書というのもある。郁文堂、大学書林、白水社などから出ている。私はゲーテ作、星野慎一訳注『対訳若きヴェルテルの悩み』(第三書房)(たぶん絶版)を試みたことがある。自分で訳し、そのあと注と訳を見ながら検証する。ヴェルターはかなり難しかった。ただ最近、授業で新しい本、林久博編著『対訳 ドイツ語で読む「若きヴェルターの悩み」』(白水社)を使ったら、思いのほかよく理解できた。この本の解説もよかったが、最初にヴェルターを読んでから40年は経っており、私自身成長したのかもしれない。モチベーションも大事である。私は16世紀のドイツ語をよく読んでいるが、現代ドイツ語への道筋をたどるという意味で、18世紀のドイツ語も見てみたい、読んでみたいという好奇心がある。学生のみなさんに、同じようなモチベーションを持てというのは無理かもしれないが、ドイツ語の勉強を苦行と思わず、何らかの意義や目標をもって臨むことも必要かと想う。

④オリジナルの作品を自分で読む

洋書専門店からドイツの小説を買い、自分で読むこともできる。大学4年のとき、Hermann HesseのPeter Camenzind(邦訳:郷愁)を買い、春休みなどを利用して読んだ。1日に1~2ページ。かたわらに日本語訳も置き、わからなければ参照した。どうしても文法的にわからない文には印をつけたが、あまりこだわらず先に進んだ。最後まで読んだ。大学院1年のとき、また読みたくなって、同じようにしてもう一度読んだ。その後、改めて日本語訳を読んだが、なぜか内容が難しい。原文の場合は一字一句確かめながら読むので、頭に入っていたのかもしれない。その後同じHesseのGertrud(邦訳:春の嵐)を読んだ。この頃になると、辞書を使ったか、それともわからない語は無視してでもどんどん読み進めたか、記憶が定かでない。

大学院3年次以降、同じHesseのDemian(邦訳:デミアン)を通学列車の中で読んだ。電車の中でドイツ語の本を読むことで、ちょっと格好つけたかったということもある。当然辞書は使わないので大雑把な読み方である。内容は難しかった。あとでわかったのだが、Hesseはこの作品あたりから内容が暗く、難しくなっていくらしい。選択を誤ったか。

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執筆者:工藤康弘

コラム:私のドイツ語勉強法3:性と格・会話

【性と格】

 ドイツ語の勉強で一番ネックになっているのが格変化であろう。正確には性、数、格が一体となった名詞の変化である。実際この格変化を担っているのは冠詞である。ドイツ語学習者はder, des, dem, den / die, der, der, die……と口ずさんで覚える。ばかばかしいと思うかもしれないが、最初はこれも必要である。格変化が身につくのはテキストを読んでいるときである。das Haus, der Tischといった語形に何度も出会ううちに、特に性がわかってくる。

性は冠詞+名詞で覚える。「家は中性」「机は男性」と覚えるのではない。英語で性がなくなったのは、英語を解さない移民が増えて、der / die / dasのような形式上の区別が曖昧になったからと何かの本で読んだ。逆に言うと冠詞の区別が性(さらには数、格)の区別を維持しているのである。かといって、der Tisch, der Tisch, der Tisch……と口ずさんでも量に限りがあり、効率が悪い。テキストを読みながら、der Tisch, auf dem Tisch, aus dem Haus, in die Schuleといった表現を何度も目にすることで覚えるのである。

当然、頻度の高い語から覚えていく。あまり出てこない語はいつまでたっても覚えられない。私自身、ほうれんそうはSpinatというところまでは覚えているが、性(男性)はなかなか覚えられない。よく使う(よくテキストで目にする)語から身につき、使わない語はなかなか覚えない。自然にまかせればよい。性に続いて格もそのようにして身につく。性、数、格それだけを訓練して覚えた記憶はない。テキストを読む中で覚えたのである。長々と書いてきたが、性、数、格を覚えるには、ドイツ語のテキストを数多く読むことである。しかも声に出して。先に「復習」の箇所でも述べたが、自分の口の中でドイツ語がころころころがる心地よさに酔いしれながら、テキストを読むのである。日本人の自分がドイツ語をしゃべっている。苦痛ではなく快感である。

【会話力】

会話力については自慢できるものはなく、したがってこうすればできると教えられるものはない。「話す」に関しては、先に述べた作文のトレーニングがある程度有効である。「私は昨日映画館へ行きました」のような簡単な文を大量に暗記することで、暗記した文そのものだけでなく、「私は昨日動物園へ行きました」のような似たパターンの文も表出できる。ある授業でこのトレーニングを取り入れており、私が日本語を言い、それに対応したドイツ語を即座に言う練習をしているが、受講生は2つに分かれる。すぐドイツ語で言える人と、「う~ん、う~ん」とうなるだけで、何も口から出てこない人である。本人は歯がゆい、くやしい、恥ずかしい思いが入り交じった表情をしているが、これは語学の才能がないのではなく、単に家で練習してこなかっただけである。俳優がセリフの練習をするように、大きな声で同じ文を何度も唱えるという愚直な練習を繰り返す以外、ドイツ語を話せるようにはならないと思う。才能の問題ではない。

「聞く」については、私自身もっとも苦手とする領域であり、役立つ情報は提供できない。若い頃、リンガフォンという教材があり、テキストの部分だけ何度も聞いてはいた。またカセットテープに入ったドイツのニュースが定期的に送られてくる教材があり、車を運転しながらよく聞いていた。しかしこれらのトレーニングで耳が鍛えられることはなかった。今はもっといいリスニングの教材があると思う。しかし教材云々よりも、日本人一般にありがちな内向きのシャイな気持ちが自分の中にあり、それがドイツ語母語話者との間に心理的な壁を作ってしまい、リスニングにマイナスの作用をしているのではないかと思うことがある。胸襟を開いてぶつかっていけばいいのかもしれないが、こればかりは性格に関わることでもあり、「話す」のところで否定したはずの、生まれつきの才能のせいにしたくなる。

「聞く」場面には二種類あると考えている。ドイツ語母語話者が複数の人に対して話す場合、自分だけ聞き取れず、みんながどっと笑うのに、自分は笑えないということがよくある。自分だけ輪に入れない悔しさ、みじめさといったらない。対してドイツ語母語話者と一対一で話す場合は状況が違う。聞き取れない場合、相手はもう一度繰り返してくれたり、別の表現で言い換えてくれたりする。話題も二人共通のものなので、高い関心を保ったまま会話の中にいられる。ドイツでの日常生活でもそういう場面が多く、そこでは普通に用がたせ、生活を楽しめる。その意味では、リスニングに難があっても、どうしようもないほど悲観する必要はないと思う。

以上、ドイツ語教師も悪戦苦闘、七転八倒の連続であることがわかっていただけたかと思う。ここではドイツ語勉強法としてかなり具体的な、ハウツー的なことを縷々(るる)述べてきた。他方、学生時代はどんな生活をしていたのかということについては、稿を改めて話したい。最近、若い人たちは長い文章を読みたがらないと聞くので、ここまで読んでいただいたかたには感謝したい。

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執筆者:工藤康弘

コラム:サッカーで決闘?

コラム:サッカーで決闘?

ドイツ滞在中の2009年、ドイツ女子サッカー選手のLira Bajramajに注目していた。日本の「野人」岡野に似て、超人的なスピードでコートを走り回る姿に惚れ惚れしていた。どこかで読んだ彼女の記事に、Zweikampfでけがをしたとあった。試合中、取っ組み合いのけんかにでもなったのかと思っていたが、私のサッカーの知識がなさすぎた。Duell(英語duel)と同じく、1対1の攻防のことを言うらしく、けんかをしたわけではなかった。  

もう一つ、とんでもない勘違いがあった。Torschützeをゴールキーパーと思い込んでいた(ゴールキーパーはTorwart)。schützen(守る)への誤った類推である。Schützeは古いゲルマン語の造語法によってschießen(英語shoot)から作られたもので「撃つ人、射手」を意味する。星座の射手座もSchützeである。そんなわけでTorschützeはストライカー、点取り屋のような意味で使われている。それにしても辞書ではSchützeのすぐ次にschützenがあり、まぎらわしいことこのうえない。    
 
もう少しSchützeにこだわり、語源辞典(Etymologisches Wörterbuch des Deutschen, Akademie Verlag)やグリムの辞典を見てみる。すると射手から武装した見張り役(Wächter)の意味が派生し、Flurschütz(畑や放牧地の監視員、中高ドイツ語vluorschütze)などに残っているという。ただこうなると意識としてはschützen(守る)と関連づけてしまうらしい。ということは、私がTorschützeをゴールキーパーと勘違いしたことは、あながちとんでもない間違いではないかもしれない。こんなことで意地を張ってどうする!

執筆者:工藤康弘

コラム:私の方言遍歴(1)

かつて同学社の「ラテルネ」116号(2016)に寄稿した文を、許可を得て2回に分けて再録します。

旅行はあまりしない私だが、居住地という意味ではいろいろ歩いている。大学院へ入り、ふるさと山形を離れて茨城に住んだ。茨城弁は東北弁を軽くしたようなもので、東北弁の「~だべ」がここでは「~だっぺ」となる。だがその独特な抑揚によって、地元の人の話がまったくわからず往生したこともあった。

その後千葉へ移った。利根川を越えると言葉は無色透明になり、「千葉弁」というものを感ずることはなかった。もっとも住んでいた柏市が東京のベッドタウンで、古くからの住民が少なかったせいもあるかもしれない。

方言といっても音が微妙になまっているくらいなら通じるが、語彙が違うとまったく通じない。千葉県の学習塾でアルバイトをしてこの問題にぶつかった。私の場合通じない語が3つあった。

まず①と(1)を私は「いちまる」「いちかっこ」と言っていた。中学生ならちょっと首をかしげるくらいで済むが、小学生というものは小さなことをあげつらって笑いのたねにしたがる。「先生、『お』にまるを書いたらどう言うんですか」などと聞いてくる。しまいには「おまる先生」というあだ名までつけられた。仙台と秋田の人に聞いたらそういう言い方はしないらしい。してみると山形の特徴なのか。ともあれ口から出かかるのを押さえながら、一呼吸おいて「まるいち」「かっこいち」と言う努力をした。

次に「前から順番にかけていくぞ」と言ったときも、生徒たちは怪訝な顔をした。こちらでは「かける」ではなく「あてる」とか「さす」と言うらしい。

また作業が遅い生徒に「早くおわせ!」と言ったときも、「『おわす』というのは『いらっしゃる』ということですか」と聞かれた。これも通じないのか。今では「早く終えなさい」とか「早く終わらせなさい」と何ともじれったい言い方をしなければならない。

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執筆者:工藤康弘

コラム:私の方言遍歴(2)

家族の間でも食い違いがある。座布団のことを私は「ざふとん」と言うが、東京出身の家内は「ざぶとん」と言う。しかしこれは方言の問題ではないかもしれない。「ざふとん」はまったく分が悪く、他に聞かないのである。親の個人的な言い回しを私が受け継いでしまったのだろうか。「ざふとん」と言う私を娘までが大仰に反応して馬鹿にする。もう一つ、家内が「おたま」と言うので何だそれはと思って見てみると「しゃくし」のことだった。

さて最初の赴任地は山口である。学生が昼食の話をしていて、「お前何にする?」と言われた相手が「わしゃあラーメンじゃ」と答えていた。わざと年寄り言葉なんか使ってと思っていたら、こちらの言葉らしい。5年いた山口から三重へ移った頃は、私自身「何言うちょるんよ」といった山口弁がしばらく抜けなかった。

三重の言葉は関西弁を水でうんと薄めたようなものである。礼を言うときは「ありがとう」とだけ言う(「と」にアクセントがある)。なんと横柄な言い方だ、ありがとうございますと言えないのか、と常々思っていた。今にして思うと大阪も似たような状況かもしれない。桑名あたりを境に北へ行くと関西色がなくなり、名古屋圏である。「たわけ」と聞いたときは何をふざけているんだと思ったが、そちらの言葉だそうだ。時代劇では「このたわけ者めが」と殿様が叫んでいるが、まさか日常生活でそんな言葉を使っているとは思わなかった。

さていよいよ関西である。学生は私の言葉をもの珍しく感じているようだ。「きれいな方言ですね」などと言われ、笑いの対象にはされていないようだ。私が関西をいちばん異質なものと感じているのと同じく、こちらの人にとって東北人はあまりにも遠い存在で、もの珍しさのほうが先に立つのかもしれない。たぶん東京的な物言いに対してはライバル心をむき出しにするだろう。あるいはどこへ行っても関西弁を堂々としゃべる精神構造からして、言葉に関して他を軽蔑するような心性は持っていないのかもしれない(学会発表を関西弁でやるか標準語でやるか悩んでいる知人がいたが、東北弁で口頭発表する勇気は私にはない)。

かくのごとく関西との距離を測りかねている私をしり目に、小学生の息子は何のためらいもなく関西化し、私から遠ざかっていく。「ほんまや」という息子に「ほんとだ」と言いなさいと叱ると「なんでやねん」と返される。「何やってんねん」「行かへん」「ちゃう(=違う)でえ」「はよう(=早く)しいや」といった言葉を連発する息子を前に、言いようのないさびしさを感ずるのである。

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執筆者:工藤康弘