お知らせ:新しいコラム(ドイツ語勉強法)を掲載しました

工藤教授執筆の新しいコラムを掲載しました。「私のドイツ語勉強法」と題し、工藤教授自身がドイツ語を身につけた方法について紹介しています。ドイツ語の勉強法は様々あり、個人個人に合った方法を見つけるのが習得への近道です。ぜひ参考にしてみてください。

コラム:私のドイツ語勉強法1:語彙・作文

ドイツ語を学んでいる学生のみなさんの中には、ドイツ語の学習を苦行と感じている人がいるかもしれない。何でこんなに難しいんだ、対して教員は何でも知っているみたいで、その圧倒的な力の差に、自分とは違う人間なんだろうと思うかもしれない。しかし学生と教員の間に量的な差はあれ、質的な差はない。同じ人間である。このことを、私がドイツ語学習で歩んできた道のりをたどることで示したい。

ドイツ語を学ぼうと思ったきっかけは何ですかとよく聞かれる。それに対しては何の美談もない。ドイツ文学やドイツサッカーに魅せられたということもなく、消去法の末にドイツ語が残ったようなものである。大学で何を学ぶかに関して、高校時代の私は純粋、言い換えれば能天気だったかもしれない。まわりでは法学部や経済学部を目指す人も多かった。彼らは将来を見つめ、就職に有利な学部を迷うことなく選んでいたのだと思う。私はといえば、大学では好きなことを学ぶ、くらいの意識しかなかった。

英語は得意科目だったが、未知の言語を知りたいという気持ちが勝っていた。NHKの語学講座はよく見ていたが、お目当ては歌のほうだった。ドイツ語講座の歌には正直共感を覚えず、フランス語講座のシャンソンとロシア語講座のロシア民謡を楽しみにしていた。言語に関しては(未知の)ヨーロッパ言語への憧れがあった。歌はともかく、英語になんとなく似ていて、ローマ字読みに近いドイツ語に多少魅かれていたのは確かである。高校の担任が独文出身の英語教師だったことも、多少影響したかもしれない。

以下いくつかに分けて、私が学部生および大学院生時代に行った勉強方法を述べていきたい。

【語彙力】

①単語カードの活用

1年次に過去時制を習った時点で、教科書の後ろにある不規則動詞変化表を見ながら、不定詞を単語カードのおもてに書き、うらに過去基本形と過去分詞を書き込んだ。当時自炊をしていたので、冷蔵庫の上に単語カードを置き(最近の冷蔵庫は背が高いから上に置けないか)、食事を作りながらgeben-gab-gegeben、helfen-half-geholfenと大きな声で唱えていた。一巡したらまた初めに戻る。2~3ヶ月したら動詞の3基本形はすべて覚えてしまった。過去分詞を知っていると、完了形や受動態の文を簡単に作れるようになる。こういう勉強は「ながら勉強」でないと続かない。私はまな板で野菜を切りながら覚えた。机に向かって「さあ、単語を覚えるぞ」と頑張ってみても眠くなるだけである。なお、カードの利用は作文力をつけるのにも有効で、これについては後述する。

②市販の単語集の利用

『ドイツ語単語1000』といった名前の薄い単語集を買ってきて、ページの右の部分を隠し、左のドイツ語を見て意味がわかるかを試す。わからなければ右の日本語を見て確認する。わかった場合は、そのドイツ語と日本語を黒サインペンで塗りつぶす。最後までいったら初めに戻る。何度も循環するうちに、塗りつぶした部分が増えていき、最後にすべてが黒くなったことを確認して、その単語集を捨てた。昔の人は辞書を1ページずつ覚えていき、覚えたページは破って食べたという伝説をよく聞いたが、私はそれほど頑健な胃袋を持ち合わせていないので、それはできなかった。単語集を使った勉強は家の縁側にすわって行った。30分もやっていたら嫌になってしまうので、せいぜい10分くらいで切り上げていた。続けることが大事である。

ところで、こうやって勉強していることを当時の独文の先生に話すと、それは邪道だと言う。ドイツ語の語彙なんか、文学作品を数多く読んでいれば自然に覚えるものだと。しかし別の先生は、文学作品には日常生活で使わないような語彙が多く、語彙を覚えるには効率が悪いと言う。邪道かもしれないが、頻度の高い語彙を集めた単語集を使って、泥臭く覚えたのはよかったと思っている。

【作文力(表現力)】

①単語カードの利用 

動詞の3基本形を覚えたあと、同じように単語カードを利用して作文力を磨いた。市販の独作文の本を買ってくる。問題文を解いて答え合わせをするという方法はとらず、最初から単語カードのおもてに問題文を書き、うらに解答を書き写す。あとは先に述べたように冷蔵庫の上に置き、日本語を見てドイツ語で言えるかを試す。同じ文を数回声に出して唱え、次の文に移る。最後までいったらまた初めに戻り、何度も循環させる。本を買うとき、中身を見てできるだけやさしい文を扱ったものを選ぶ。日常生活でも使ってみたいと思うようなやさしい文がいい。たとえば「私は昨日映画館へ行きました」、「日曜日に家族と動物園に行きます」といった簡単な文である。

動詞の3基本形に始まり、簡単な文を書き込んだ単語カードは、大学を卒業するころには箱一杯になったので、卒業時に後輩たちへの置き土産にした。その後、大学院に入ってからも作文の作業は続き、その頃のカードはまた箱一杯になって、今研究室にある。

② その他

ほんの一時期であるが、学部の3年生ごろ、毎週決まった曜日の決まった時間に、ドイツ人の研究室を訪れ、ドイツ語で自由作文したものを添削してもらっていた。エッセーのように日常生活の出来事を書いていた。
関口存男『新ドイツ語文法教程』(三省堂)(現在品切)を使って作文の問題を解いて答え合わせをしていたノートが残っている。関口は戦前から戦後にかけて活躍した人で、日本語も古いので、労多くして益は少ないかも。この人の本だったと思うのだが、「ヤミ米は食べましたか」「MP(進駐軍の憲兵)が……」といった文もあったような。

大学院時代から大学で教え始めたころまで、オーストリア人の友人とかなり文通をし、当時の往復書簡がたくさん残っている。いわば自由作文であり、解答もないが、ドイツ語を書く鍛練にはなったと思う。

読解編はこちら

性と格・会話編はこちら

執筆者:工藤康弘

コラム:私のドイツ語勉強法2:読解

50年前のドイツ語の授業は週2回、「文法」と「講読」があったが、現在関西大学がとっているような2人の教員が連携して行うタンデム授業ではなく、まったく別個に行なわれていた。「講読」の教科書は文法の説明が少なく、読むためのテキストが多くを占めていた。「文法」の授業はそれなりにゆっくりと進むのだが、「講読」はそれにはおかまいなく進む。自動車学校にたとえるなら、学科の勉強も校内での運転練習もすっとばして、いきなり路上に出るような感じであった。ドイツ語教師の多くはドイツ文学の研究者であり、文法を教えるのは早々に切り上げ、好きな文学作品を読みたかったのだろう。当時はドイツ文学の作品を抜粋した講読用の教科書がたくさんあった。1年次の終わりごろからこうした教科書を使い、本格的な文学作品を「読まされた」。シュニッツラー『隣の女』、ハウプトマン『ビーバーの毛皮』、クライスト『決闘』(超難解なテキスト)など。これではドイツ語嫌いが増えても仕方がない。

専門教育でもこうした授業は続き、覚えているものでは以下のような作品を読んだ:
トーマス・マン『トニオ・クレーガー』(2年後期)、ムージル『トンカ』、ネストロイ『楽しき哉憂さ晴らし』、グリルパルツァー『哀れな辻音楽師』、ニーチェ『悲劇の誕生』、ゲーテ『ファウスト第一部』。特にファウスト第一部は2年間くらいかけてすべて読んだ。当時使ったテキストが今でもあるが、日付を見ると、レクラム文庫で1回に3~4ページ読んでいた。今、授業でこんな読み方をしたら学生は悲鳴を上げる、というより授業に出てこなくなるだろう。

勉強方法で私が実践したことを挙げれば以下のとおり:

①辞書の調べかた

文法を習っている時期は、練習問題をノートに書き写し、行間をたっぷりとって語の意味を書き込むこともあるが、テキストを読むようになってからは、さすがにテキストをすべてノートに書き写すわけにはいかないので、0.3mmのペンシルを使ってテキストの余白にびっしりメモを書き込む。語の意味だけを書く人がいるが、もっと大事なのは文法の情報を書き込むことである。特に動詞の場合、たとえばkamがあれば< kommenのようにもとの不定詞を書き、他動詞・自動詞の別を書く(私の場合はvt・viと書く)。意味はそのあとに書く。熟語の場合はその用法も書く。たとえば「auf jn. warten~を待つ」「mit et. zufrieden sein~に満足する」。

辞書を引いている段階で、テキストにおける語の意味を特定できない場合、可能な限り辞書の意味をあるだけ書いておく。たとえばauflösen ①溶かす ②ほどく ③(問題を)解く ④(契約を)解消する。そして改めてテキストを読んでみて、「解消する」で意味が通ると判断したら④の丸の部分を鉛筆で強くなぞり、強調しておく。一つの意味、しかも辞書の最初に出てくる意味しか書かない人がいるが、もし訳が間違った場合、どこで間違ったかを検証できない。またEr steht um 8 Uhr auf.で、「彼は8時に立っている」と誤訳した場合、< stehenと書いてあれば、分離動詞であることを見逃したということがわかる(正しくは < aufstehen)。ドイツ語を読むということは、もとの形を割り出して書いておく作業にほかならない。

授業をしていると、すごいスピードで訳を読み上げる学生がたまにいる。私はテキストのドイツ語を一生懸命目で追っているので、まったく追いつかない。二人の呼吸がまったく合わないのである。テキストのドイツ語について尋ねると、今度は学生があたふたとする。ドイツ語を見ていないので当然だ。ドイツ語の勉強も2年目以降になれば、長いテキストを読むようになるので、訳を逐一ノートに書いている余裕はない。テキストの余白に書き込んだメモを頼りに、ドイツ語を見ながら訳すのである。外国語の書物を読むというのはそういうスタイルになる。これを続けて、語彙力がついていくのに反比例して、余白に書き込む量は減っていく。最近は翻訳機能を使う人もいると聞くので、上に挙げたような辞書の引き方をしているかどうかを確かめる意味でも、ドイツ語を見ながら訳すように言わなければと思っている。早いスピードで訳す人がいたら要注意だ。

②復習

予習をし、授業を終えると、もう次回の予習をしたがるものだが、復習もしたほうがいい。予習では辞書を引くのに精いっぱいで、テキストの意味を把握する余裕がない。苦痛だけがあとに残る。授業を終えたあと、意味もわかっている状態で声を出しながらテキストを読む。ドイツ語がすらすら読めるような気がして気持ちがいい。辞書引きでふうふういっているときよりも、このように意味がわかったうえで声に出して読んでいるときに、語学力がつくような気がする。

③参考書の利用

授業とは別に、自分で参考書を買ってきて勉強することもあった。大きな本屋の語学コーナーで「独文解釈」といった名のついた本を実際手にとって好きになれそうなものを買えばよい。私は小栗浩『独文解釈の演習』(郁文堂)(たぶん絶版)を使った。いつ勉強したかさだかでないが、授業期間中ではなく、夏休みや春休みに集中的にやったのかもしれない。学生時代は夏休みに劣らず、春休みはたっぷり時間があったので、いろいろ勉強できた。大学の教員になると、春休みはないに等しい。この参考書、4年生になってからもう一度持ち出して、大学院の受験勉強用に使った。

1年次に使うドイツ語教科書は説明が少ないので、一人で勉強する際は心もとない。座右に置いて参照するものとして、私は常木実『標準ドイツ語』(郁文堂)を使った。ときどき参照するだけでなく、上で述べたように長期休暇を利用して、最初からずっと読んでいき、読解の練習問題を解いていたようである。

作品に語注と訳がついた対訳書というのもある。郁文堂、大学書林、白水社などから出ている。私はゲーテ作、星野慎一訳注『対訳若きヴェルテルの悩み』(第三書房)(たぶん絶版)を試みたことがある。自分で訳し、そのあと注と訳を見ながら検証する。ヴェルターはかなり難しかった。ただ最近、授業で新しい本、林久博編著『対訳 ドイツ語で読む「若きヴェルターの悩み」』(白水社)を使ったら、思いのほかよく理解できた。この本の解説もよかったが、最初にヴェルターを読んでから40年は経っており、私自身成長したのかもしれない。モチベーションも大事である。私は16世紀のドイツ語をよく読んでいるが、現代ドイツ語への道筋をたどるという意味で、18世紀のドイツ語も見てみたい、読んでみたいという好奇心がある。学生のみなさんに、同じようなモチベーションを持てというのは無理かもしれないが、ドイツ語の勉強を苦行と思わず、何らかの意義や目標をもって臨むことも必要かと想う。

④オリジナルの作品を自分で読む

洋書専門店からドイツの小説を買い、自分で読むこともできる。大学4年のとき、Hermann HesseのPeter Camenzind(邦訳:郷愁)を買い、春休みなどを利用して読んだ。1日に1~2ページ。かたわらに日本語訳も置き、わからなければ参照した。どうしても文法的にわからない文には印をつけたが、あまりこだわらず先に進んだ。最後まで読んだ。大学院1年のとき、また読みたくなって、同じようにしてもう一度読んだ。その後、改めて日本語訳を読んだが、なぜか内容が難しい。原文の場合は一字一句確かめながら読むので、頭に入っていたのかもしれない。その後同じHesseのGertrud(邦訳:春の嵐)を読んだ。この頃になると、辞書を使ったか、それともわからない語は無視してでもどんどん読み進めたか、記憶が定かでない。

大学院3年次以降、同じHesseのDemian(邦訳:デミアン)を通学列車の中で読んだ。電車の中でドイツ語の本を読むことで、ちょっと格好つけたかったということもある。当然辞書は使わないので大雑把な読み方である。内容は難しかった。あとでわかったのだが、Hesseはこの作品あたりから内容が暗く、難しくなっていくらしい。選択を誤ったか。

語彙・作文編はこちら

性と格・会話編はこちら

執筆者:工藤康弘

コラム:私のドイツ語勉強法3:性と格・会話

【性と格】

 ドイツ語の勉強で一番ネックになっているのが格変化であろう。正確には性、数、格が一体となった名詞の変化である。実際この格変化を担っているのは冠詞である。ドイツ語学習者はder, des, dem, den / die, der, der, die……と口ずさんで覚える。ばかばかしいと思うかもしれないが、最初はこれも必要である。格変化が身につくのはテキストを読んでいるときである。das Haus, der Tischといった語形に何度も出会ううちに、特に性がわかってくる。

性は冠詞+名詞で覚える。「家は中性」「机は男性」と覚えるのではない。英語で性がなくなったのは、英語を解さない移民が増えて、der / die / dasのような形式上の区別が曖昧になったからと何かの本で読んだ。逆に言うと冠詞の区別が性(さらには数、格)の区別を維持しているのである。かといって、der Tisch, der Tisch, der Tisch……と口ずさんでも量に限りがあり、効率が悪い。テキストを読みながら、der Tisch, auf dem Tisch, aus dem Haus, in die Schuleといった表現を何度も目にすることで覚えるのである。

当然、頻度の高い語から覚えていく。あまり出てこない語はいつまでたっても覚えられない。私自身、ほうれんそうはSpinatというところまでは覚えているが、性(男性)はなかなか覚えられない。よく使う(よくテキストで目にする)語から身につき、使わない語はなかなか覚えない。自然にまかせればよい。性に続いて格もそのようにして身につく。性、数、格それだけを訓練して覚えた記憶はない。テキストを読む中で覚えたのである。長々と書いてきたが、性、数、格を覚えるには、ドイツ語のテキストを数多く読むことである。しかも声に出して。先に「復習」の箇所でも述べたが、自分の口の中でドイツ語がころころころがる心地よさに酔いしれながら、テキストを読むのである。日本人の自分がドイツ語をしゃべっている。苦痛ではなく快感である。

【会話力】

会話力については自慢できるものはなく、したがってこうすればできると教えられるものはない。「話す」に関しては、先に述べた作文のトレーニングがある程度有効である。「私は昨日映画館へ行きました」のような簡単な文を大量に暗記することで、暗記した文そのものだけでなく、「私は昨日動物園へ行きました」のような似たパターンの文も表出できる。ある授業でこのトレーニングを取り入れており、私が日本語を言い、それに対応したドイツ語を即座に言う練習をしているが、受講生は2つに分かれる。すぐドイツ語で言える人と、「う~ん、う~ん」とうなるだけで、何も口から出てこない人である。本人は歯がゆい、くやしい、恥ずかしい思いが入り交じった表情をしているが、これは語学の才能がないのではなく、単に家で練習してこなかっただけである。俳優がセリフの練習をするように、大きな声で同じ文を何度も唱えるという愚直な練習を繰り返す以外、ドイツ語を話せるようにはならないと思う。才能の問題ではない。

「聞く」については、私自身もっとも苦手とする領域であり、役立つ情報は提供できない。若い頃、リンガフォンという教材があり、テキストの部分だけ何度も聞いてはいた。またカセットテープに入ったドイツのニュースが定期的に送られてくる教材があり、車を運転しながらよく聞いていた。しかしこれらのトレーニングで耳が鍛えられることはなかった。今はもっといいリスニングの教材があると思う。しかし教材云々よりも、日本人一般にありがちな内向きのシャイな気持ちが自分の中にあり、それがドイツ語母語話者との間に心理的な壁を作ってしまい、リスニングにマイナスの作用をしているのではないかと思うことがある。胸襟を開いてぶつかっていけばいいのかもしれないが、こればかりは性格に関わることでもあり、「話す」のところで否定したはずの、生まれつきの才能のせいにしたくなる。

「聞く」場面には二種類あると考えている。ドイツ語母語話者が複数の人に対して話す場合、自分だけ聞き取れず、みんながどっと笑うのに、自分は笑えないということがよくある。自分だけ輪に入れない悔しさ、みじめさといったらない。対してドイツ語母語話者と一対一で話す場合は状況が違う。聞き取れない場合、相手はもう一度繰り返してくれたり、別の表現で言い換えてくれたりする。話題も二人共通のものなので、高い関心を保ったまま会話の中にいられる。ドイツでの日常生活でもそういう場面が多く、そこでは普通に用がたせ、生活を楽しめる。その意味では、リスニングに難があっても、どうしようもないほど悲観する必要はないと思う。

以上、ドイツ語教師も悪戦苦闘、七転八倒の連続であることがわかっていただけたかと思う。ここではドイツ語勉強法としてかなり具体的な、ハウツー的なことを縷々(るる)述べてきた。他方、学生時代はどんな生活をしていたのかということについては、稿を改めて話したい。最近、若い人たちは長い文章を読みたがらないと聞くので、ここまで読んでいただいたかたには感謝したい。

語彙・作文編はこちら

読解編はこちら

執筆者:工藤康弘

コラム:こっちのみーずは あーまいぜ

タイトルに挙げたのは童謡「ほたるこい」の一部だが、正確には「こっちの水は甘いぞ」である。甘いものを好むと言えばホタルよりはアリだろう。ドイツ語でアリはAmeiseと言い、「あーまいぜ」と発音する。この語はどこから来たのか。古くはameizenという動詞があったようだ(zは現代語のßに相当)。a-は離脱を表す接頭辞で、Ohnmacht「失神、気絶」(力を失う?)のOhn-に残っているという。意味から言ってabやohneと関係があるかと思ったが、別系統のようである。

さてameizenのmeizenは現代語にはないが、meißeln(のみで彫る)、Meißel(のみ)に名残がある。meizenは「切る」という意味で、ameizenは「切り取る」といったニュアンスになろうか。そこでアリであるが、体は昆虫らしく3つにくびれている。つまり3つにameizenされているのでAmeiseという名前になった。それではどの昆虫もAmeiseになってしまうが、そこは深く考えないことにしよう。ドイツ語で昆虫はInsektという。ラテン語のinsectumに由来する。これは動詞insecare(切り刻む、裂く)の過去分詞なので、こちらもまさに「(3つに)区切られたもの」である。

ハイデルベルク大学のR先生は授業でこの話題を取り上げた。アリ(Ameise)はameizenから来ているとし、さらに2つの説を挙げた。一つは上で述べた「体が区切られた」という解釈。もう一つはアリがえさをむしゃむしゃ食べている(かみ切っている)様子から来たという解釈。後者は「当て馬」「不正解選択肢」として先生が勝手に考えたものなのか、本当にそういう説があるのかわからない。ともあれ「体が区切られた」のほうが自分にはnachvollziehbar(追体験できる、言われて納得できる)とおっしゃっていた。

執筆:工藤康弘

コラム:Pizza Hut

コラム「二日酔い」で民間語源に触れた。いわゆる勘違いや言い間違いによって言葉が変わる、あるいは解釈が変わる現象は数多くあり、その話題だけで90分の授業になるだろう。ドイツ語でよく取り上げられるのは、ノアの箱舟で有名なSintflut(大洪水)である。Sintのtはわたり音として意味もなくくっついてきた音で(jemand, niemand, Axt, Obst, Palast, Dutzentなども参照)、sinは「絶え間ない」「強大な」といった意味を持つ接頭辞であった。したがって文字どおり「大洪水」なのであるが、sint-となった時点で、Sünde(罪)への類推が働いた。人類が犯した罪に対して神が起こした洪水と解釈され、近代に至るまでSündflutとも表記されていた。

さて、庶民が勝手に語源を解釈する民間語源は、言語変化を引き起こす場合もあれば、単に人々の意識の中に潜在的にとどまる場合もある。ドイツでなじみのスーパーマーケットにSPARがある。オランダ発祥で、かつては日本にも展開していたことがある。ロゴマークには緑色の木が描かれている。オランダ語でsparはモミの木、トウヒを意味する。一方、sparenという動詞がドイツ語にもオランダ語にもあり、「節約する」「蓄える」を意味する。ドイツで、ある人にスーパーSPARの名前がどこから来たと思うかと尋ねると、「ここで買い物をすると、お金の節約になるのだろう」という答が返ってきた。やっぱりね。ドイツ人にとってはsparenへの類推が働いてしまう。

もう一つまぎらわしいものにピザハット(Pizza Hut)がある。hutは小屋、山小屋だが、あのロゴマークは小屋というよりは帽子に見える。そして日本語ではhutもhatも同じ「ハット」になってしまう。というわけで、日本人の多くがピザハットを小屋よりは帽子と結びつけてもおかしくない。他方、ドイツ語でHutは帽子である。尋ねたことはないが、これだけ条件がそろえば、ドイツ人はPizza-Hutを帽子と結びつけているのではないだろうか。ちなみにドイツ語で小屋はHütteである。これがフランス語hutteを経て英語hutに受け継がれたようだ。

執筆:工藤康弘

コラム:二日酔い

ドイツ語にIch habe einen Kater.「私は二日酔いである」という表現がある。直訳すると「私は雄ネコを持っている」となる。どの言語にも動物を使った諺や慣用句があるとは思うが、ネコとなると日本語に多いと思っていた。「ネコに小判」「ネコの手も借りたい」「ネコの額ほどの土地」などがすぐに思いつく。西洋人はそんなにネコを使うかな? 二日酔いの慣用句を見るたびに疑問がわいて、あれこれ語源辞典などを調べてみる。

果せるかなたいていの辞典では見出し語がKater1とKater2に分かれている。そしてKater2は鼻かぜ、気分の悪さ、頭痛を意味するKatarrhに由来するという。鼻カタル,大腸カタルなどのカタルである。そして二日酔いの慣用句はこれに由来する。やはりネコではなかった。我が意を得たりというところだが、このKater2がネコのイメージと結びつくようになった過程はいささか複雑なようである。ざっくり言えばKaterという同音異義語になった時点で、日本語の「麻姑の手」が「孫の手」になり、「一所懸命」が「一生懸命」になったのと同じように、民間語源的にネコと結びついたのだろう。

また二日酔いを表す名詞として先にKatzenjammer(直訳するとネコの嘆き)があり、この影響もあっただろう。ルッツ・レーリッヒ(Lutz Röhrich)の『慣用句辞典』(Das große Lexikon der sprichwörterlichen Redensarten)によると,Katzenjammerは19世紀初め,ハイデルベルクの大学関係者の間で二日酔いの意味で現れ,ゲレス,ブレンターノ,アイヒェンドルフといった同時代のロマン主義者たちがこの表現を作品に取り入れたとのこと。

ネコは日本人だけのものではなかった。ルッツ・レーリッヒの慣用句辞典やグリムの辞典を見ると,ネコを使った言い回しが数多く載っている。die Katze im Sack kaufen(袋に入ったネコを買う=よく吟味せずに買う)は16世紀のテキストにもあった。私などはネコが酔っぱらって浮かれているのを想像すると楽しくなり,つい鳥獣戯画で大騒ぎしているウサギやカエルを連想してしまう。しかし酩酊はネコとだけ結びついているわけではない。

独和辞典でAffe(サル)を引くと,einen Affen haben(サルを持っている = 酔っている),sich3 einen Affen kaufen(サルを買う = 酔っぱらう),mit einem Affen nach Hause kommen(サルを連れて帰宅する = 酒に酔って帰宅する)が載っている。何だか複雑になってきた。酔っぱらうのはサルよりネコのほうが似合っているような気がするが。

執筆:工藤康弘

コラム:お化け屋敷

ディズニーランドでおなじみのお化け屋敷、その英語名Haunted Mansionは昔から気になっていた。hauntedとは何ぞやということである。過去分詞は他動詞の場合は受動的な意味になり(die zerstörte Stadt破壊された町)、自動詞の場合は能動的な意味になる(das vergangene Jahr過ぎ去った年 = 昨年)。「あつものに懲りてなますを吹く」に対応する英語a burnt child dreads the fireを高校で習ったとき、英語の先生は「一度焼かれた子供は火を恐れる」と教えてくれた。ちょっと怖いが、受動的な意味を持つ過去分詞ということがよくわかる表現である。

さてhauntであるが、オックスフォード英単語由来大辞典によると、もともと「(ある場所へ)よく行く」という意味であった。ちょっと珍しい用法である。中英語(1100~1500年)では「(幽霊、霊魂などが)よく現れる、出没する」のように、主語が限定されてくる。そんなわけでHaunted Mansionは「お化けに出られた家」ということになる。

片やドイツ語で幽霊といえば、es spukt「幽霊がでる」という非人称表現が思い浮かぶ。他動詞ではないので無理かなと思いつつ、ドイツ人にein gespuktes Hausと言えるかと聞いたところ、お化け屋敷はSpukhausだと言う。そうきたか。過去分詞を話題にしようと思っていたのだが、うまく逃げられたような。spukenは名詞のSpukともども低地ドイツ(ドイツ北部)から広まったようである。英語にもspookがあるが、広く使われているのかどうか。

hauntに戻ると、語源的にはhomeとも関係しているという。そこで思い出すのがドイツ語のheimsuchenである。この語にはあまりいいイメージがない。グリムの辞典によると、「ある人の家を訪ねる」、「神が恩寵をもって訪れる」「神が罰するために訪れる」に続いて「災いが訪れる」、「不意に襲う、急襲する」と来る。この最後の2つの意味が現代語の辞書には載っている。ただhauntと違って幽霊を主語にはとらないようだ。ein heimgesuchtes Hausはお化け屋敷にはならない。

余談になるが、授業で18~19世紀のドイツ語を読むというテーマを掲げ、いくつかのテキストを読んだ。そのうちの二つが怪奇的なものであった。一つはE.T.A.ホフマンの「幽霊の話」(Eine Spukgeschichte)。『ゼラピオン同人集』という短編集に収められている。もう一つはハインリヒ・フォン・クライストの「ロカルノの女乞食」(Das Bettelweib von Locarno)。二つとも短編ながら、ぞくぞくする筋の展開である。邦訳もあると思うので、読んでみてはいかが。

執筆:工藤康弘

コラム:「あなたの希望を聞いているんだ」

日本人の「悪い」特性として自分の意見を言わないとよく言われる。ドイツで下宿の大家さんと何かを決めるときも、私は「どうしましょうか」と言う。すると大家さんは決まって「あなたの希望を聞いているんだ」と不満そうに言う。いつもこのパターンである。

フライブルクの語学学校「ゲーテインスティトゥート」にいたとき、同級生のイギリス人Kさんが、今度彼の奥さんがやってくると言う。それは楽しみですねと私が言うと、そうでもないんだとKさん。奥さんといっしょにいると、あれこれ議論になるので憂鬱だと言う。夫婦仲が悪いわけではない。夫婦であろうと自分の意見をぶつけあい、徹底して話し合う。それが疲れると言う。お互いに歩み寄って、どこかで妥協点を見つければいいでしょうと私が言うと、それができないんだと彼は言う。譲らないでとことん話すらしい。確かに疲れる。

欧米人の特性を示す例はいくらでもある。ドイツのテレビドラマを見ていると、口論の場面も多い。お互い顔をくっつけんばかりにして怒鳴り合っている。オーストリアの友人宅に泊まったとき、彼とお母さんが政治のことで議論していた。日本では母親と息子が政治のことでかんかんがくがく議論するといった場面は考えられない。フライブルクで下宿していたときは、大家さんが87歳と85歳のご夫婦であった。奥様は目が不自由ということもあり、ラジオの国会中継を聴くのが楽しみであった。彼女はときおり「そうだ、私もそう思う!」と声をあげて反応していた。日本のおばあさんが国会中継に熱中し、「そうだ、私もそう思う!」と声を張り上げる、というのはちょっと想像できない。

国際学会へは3~4回参加した。発表者が批判される場面もあったが、お祭りみたいな要素もあるので、総じて和気あいあいとしていた。知人で日本人の研究者は、国際学会ではなくドメスティックな、つまりドイツ国内の学会ではもっと激しく相手を批判していたと言う。心優しい彼は、そうした雰囲気が好きになれなかったようである。

ドイツに住んでしばらくすると、私自身も多少ドイツ化する。大家さんに「あなたの希望を言ってくれ」と強く言われ、私はAだと断定的に答えた。大家さんは少し面食らったように「そうか」と答えた。たぶんBを期待していたのかもしれない。しかしAと断言した手前、撤回するわけにはいかない。そういうことを避けるために、多少相手に寄り添って「どうしましょうかねえ」とゆっくり妥協点を見つけていこうとしたくなるのだが、欧米ではそうしないのだろう。あるとき、順番をめぐってトラブルになったことがあった。私は頑として譲らず、声を荒げて自分が先だと主張し続けた。相手が折れた。心の中で「やった、言い負かしたぞ、ざまあみろ」と思った。なぜかむなしい。こんな殺伐とした人間関係の中で生活しなければならないのか。日本へ帰国するころには、常に拳を握りしめ、けんか腰で自分の意見を主張するようになっていた。日本に帰ってしばらくすると、また「どうしましょうかねえ」に戻っていた。

突然話は変わるようだが、同じ話題である。近年、中動態にまつわる話をよく聞くようになった。中動態とは形は受動態だが、意味は能動という言語形式である。古典ギリシャ語などにはある。その後中動態は衰退し、再帰表現として残っている場合もあれば、それすらない言語もある。普通の他動詞表現であれば、対格(4格)目的語をコントロール下に置き、「私はそれを~する」という表現になる。俺が俺がという表現である。これに対して中動態の場合は外からの刺激や影響を受けて、何となくそう思われる、自然とそうなるといったものらしい。すべての中動態がそのような主体性のない行動と言い切れるのかは疑問であるが、「脱力系」「ゆる」「ほんわか」といった言葉が似あう行動なのかもしれない。

中世のドイツ語には非人称的で、属格(2格)が使われるような構文がけっこうあるが、これらも人間が主格(1格)で物が対格(4格)であるような文に比べると「ゆる系」と言えるかもしれない。こうした非人称構文や中動態がそういうものと考えるならば、そしてそれが改めて見直されようとしているのであれば、日本人の「悪い」特性も、あながち捨てたものではないかも。 

執筆:工藤康弘

Stuhlはいかがですか

ドイツの薬局に行き、下痢止めの薬を買おうとした。店員は私にStuhlはいかがですかと尋ねる。私はそばにあった椅子を指して、椅子がどうかしたのですかと逆に尋ねた。その若い女性薬剤師は困ったような顔をして、それ以上何も言わなかった。ともあれ薬は買った。後日、Stuhlには便通の意味があるということがわかった。正確にはStuhlgangと言うらしい。

この経験を別のドイツ人に話すと、「Stuhlにもいろいろあるさ」と言われた。またあるとき、医者からStuhlprobeをすると言われ、一瞬何のことかわからなかった。検便のことだった。あれこれ辞典を調べると、古くからトイレの意味で使われていたようだ。オックスフォード英単語由来大辞典(柊風社)でstoolを引くと、「大便」を指すようになったのは、「腰掛式便器」からであると記してある。ヴェルサイユ宮殿でそうしたものが使われていたというのは聞いたことがある。みなさん、Stuhlにはご注意あれ。

執筆:工藤康弘

砂糖の山?

2018年、ドイツに滞在していた折、ニュースで話題になっていたのだが、見出し語に「砂糖の山」と書かれている。トラックが横転して、積んでいた砂糖が道路に散乱したのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。

「砂糖の山」は人名だった。私はSNSにはまったく疎いので、このニュースの内容がわからなかったのだが、Facebookのユーザーデータが不正使用され、CEOのZuckerbergが謝罪したというニュースである。これは英語名なので「ツッカーベルク」ではなく「ザッカーバーグ」と発音する。英語母語話者はこの名前を見て砂糖の山を連想するだろうか。

執筆:工藤康弘

ganz ohne, bitte!

ドイツのカフェーかレストランでコーヒーを注文した。「ブラックで飲む」をドイツ語でどう言うのかよくわからない。砂糖もミルクもいらないと言ったら、ウェートレスさんがOh purと言っていた。いわゆるピュアであろう。またあるドイツ人はIch trinke schwarzと言っていた。そうも言うのか。

あるときohne Zucker, ohne Milchと言うのが面倒くさくてganz ohne, bitteと言ったら、ウェートレスさんがぷっと吹き出した。何で笑ったのかわからなかったが、ともあれ砂糖もミルクもなしで飲んだ。後日、別のドイツ人にこのことを話すと、ganz ohneは「素っ裸」という意味だという。確かトップレスのことをoben ohneと言うので、さもありなん。

執筆:工藤康弘