二日酔い

ドイツ語にIch habe einen Kater.「私は二日酔いである」という表現がある。直訳すると「私は雄ネコを持っている」となる。どの言語にも動物を使った諺や慣用句があるとは思うが、ネコとなると日本語に多いと思っていた。「ネコに小判」「ネコの手も借りたい」「ネコの額ほどの土地」などがすぐに思いつく。西洋人はそんなにネコを使うかな? 二日酔いの慣用句を見るたびに疑問がわいて、あれこれ語源辞典などを調べてみる。果せるかなたいていの辞典では見出し語がKater1とKater2に分かれている。そしてKater2は鼻かぜ、気分の悪さ、頭痛を意味するKatarrhに由来するという。鼻カタル,大腸カタルなどのカタルである。そして二日酔いの慣用句はこれに由来する。やはりネコではなかった。我が意を得たりというところだが、このKater2がネコのイメージと結びつくようになった過程はいささか複雑なようである。ざっくり言えばKaterという同音異義語になった時点で、日本語の「麻姑の手」が「孫の手」になり、「一所懸命」が「一生懸命」になったのと同じように、民間語源的にネコと結びついたのだろう。また二日酔いを表す名詞として先にKatzenjammer(直訳するとネコの嘆き)があり、この影響もあっただろう。ルッツ・レーリッヒ(Lutz Röhrich)の『慣用句辞典』(Das große Lexikon der sprichwörterlichen Redensarten)によると,Katzenjammerは19世紀初め,ハイデルベルクの大学関係者の間で二日酔いの意味で現れ,ゲレス,ブレンターノ,アイヒェンドルフといった同時代のロマン主義者たちがこの表現を作品に取り入れたとのこと。ネコは日本人だけのものではなかった。ルッツ・レーリッヒの慣用句辞典やグリムの辞典を見ると,ネコを使った言い回しが数多く載っている。die Katze im Sack kaufen(袋に入ったネコを買う=よく吟味せずに買う)は16世紀のテキストにもあった。私などはネコが酔っぱらって浮かれているのを想像すると楽しくなり,つい鳥獣戯画で大騒ぎしているウサギやカエルを連想してしまう。しかし酩酊はネコとだけ結びついているわけではない。独和辞典でAffe(サル)を引くと,einen Affen haben(サルを持っている = 酔っている),sich3 einen Affen kaufen(サルを買う = 酔っぱらう),mit einem Affen nach Hause kommen(サルを連れて帰宅する = 酒に酔って帰宅する)が載っている。何だか複雑になってきた。酔っぱらうのはサルよりネコのほうが似合っているような気がするが。執筆:工藤康弘...
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お化け屋敷

 ディズニーランドでおなじみのお化け屋敷、その英語名Haunted Mansionは昔から気になっていた。hauntedとは何ぞやということである。過去分詞は他動詞の場合は受動的な意味になり(die zerstörte Stadt破壊された町)、自動詞の場合は能動的な意味になる(das vergangene Jahr過ぎ去った年 = 昨年)。「あつものに懲りてなますを吹く」に対応する英語a burnt child dreads the fireを高校で習ったとき、英語の先生は「一度焼かれた子供は火を恐れる」と教えてくれた。ちょっと怖いが、受動的な意味を持つ過去分詞ということがよくわかる表現である。 さてhauntであるが、オックスフォード英単語由来大辞典によると、もともと「(ある場所へ)よく行く」という意味であった。ちょっと珍しい用法である。中英語(1100~1500年)では「(幽霊、霊魂などが)よく現れる、出没する」のように、主語が限定されてくる。そんなわけでHaunted Mansionは「お化けに出られた家」ということになる。 片やドイツ語で幽霊といえば、es spukt「幽霊がでる」という非人称表現が思い浮かぶ。他動詞ではないので無理かなと思いつつ、ドイツ人にein gespuktes Hausと言えるかと聞いたところ、お化け屋敷はSpukhausだと言う。そうきたか。過去分詞を話題にしようと思っていたのだが、うまく逃げられたような。spukenは名詞のSpukともども低地ドイツ(ドイツ北部)から広まったようである。英語にもspookがあるが、広く使われているのかどうか。 hauntに戻ると、語源的にはhomeとも関係しているという。そこで思い出すのがドイツ語のheimsuchenである。この語にはあまりいいイメージがない。グリムの辞典によると、「ある人の家を訪ねる」、「神が恩寵をもって訪れる」「神が罰するために訪れる」に続いて「災いが訪れる」、「不意に襲う、急襲する」と来る。この最後の2つの意味が現代語の辞書には載っている。ただhauntと違って幽霊を主語にはとらないようだ。ein heimgesuchtes Hausはお化け屋敷にはならない。 余談になるが、授業で18~19世紀のドイツ語を読むというテーマを掲げ、いくつかのテキストを読んだ。そのうちの二つが怪奇的なものであった。一つはE.T.A.ホフマンの「幽霊の話」(Eine Spukgeschichte)。『ゼラピオン同人集』という短編集に収められている。もう一つはハインリヒ・フォン・.クライストの「ロカルノの女乞食」(Das Bettelweib von Locarno)。二つとも短編ながら、ぞくぞくする筋の展開である。邦訳もあると思うので、読んでみてはいかが。執筆:工藤康弘...
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「あなたの希望を聞いているんだ」

 日本人の「悪い」特性として自分の意見を言わないとよく言われる。ドイツで下宿の大家さんと何かを決めるときも、私は「どうしましょうか」と言う。すると大家さんは決まって「あなたの希望を聞いているんだ」と不満そうに言う。いつもこのパターンである。 フライブルクの語学学校「ゲーテインスティトゥート」にいたとき、同級生のイギリス人Kさんが、今度彼の奥さんがやってくると言う。それは楽しみですねと私が言うと、そうでもないんだとKさん。奥さんといっしょにいると、あれこれ議論になるので憂鬱だと言う。夫婦仲が悪いわけではない。夫婦であろうと自分の意見をぶつけあい、徹底して話し合う。それが疲れると言う。お互いに歩み寄って、どこかで妥協点を見つければいいでしょうと私が言うと、それができないんだと彼は言う。譲らないでとことん話すらしい。確かに疲れる。 欧米人の特性を示す例はいくらでもある。ドイツのテレビドラマを見ていると、口論の場面も多い。お互い顔をくっつけんばかりにして怒鳴り合っている。オーストリアの友人宅に泊まったとき、彼とお母さんが政治のことで議論していた。日本では母親と息子が政治のことでかんかんがくがく議論するといった場面は考えられない。フライブルクで下宿していたときは、大家さんが87歳と85歳のご夫婦であった。奥様は目が不自由ということもあり、ラジオの国会中継を聴くのが楽しみであった。彼女はときおり「そうだ、私もそう思う!」と声をあげて反応していた。日本のおばあさんが国会中継に熱中し、「そうだ、私もそう思う!」と声を張り上げる、というのはちょっと想像できない。 国際学会へは3~4回参加した。発表者が批判される場面もあったが、お祭りみたいな要素もあるので、総じて和気あいあいとしていた。知人で日本人の研究者は、国際学会ではなくドメスティックな、つまりドイツ国内の学会ではもっと激しく相手を批判していたと言う。心優しい彼は、そうした雰囲気が好きになれなかったようである。 ドイツに住んでしばらくすると、私自身も多少ドイツ化する。大家さんに「あなたの希望を言ってくれ」と強く言われ、私はAだと断定的に答えた。大家さんは少し面食らったように「そうか」と答えた。たぶんBを期待していたのかもしれない。しかしAと断言した手前、撤回するわけにはいかない。そういうことを避けるために、多少相手に寄り添って「どうしましょうかねえ」とゆっくり妥協点を見つけていこうとしたくなるのだが、欧米ではそうしないのだろう。あるとき、順番をめぐってトラブルになったことがあった。私は頑として譲らず、声を荒げて自分が先だと主張し続けた。相手が折れた。心の中で「やった、言い負かしたぞ、ざまあみろ」と思った。なぜかむなしい。こんな殺伐とした人間関係の中で生活しなければならないのか。日本へ帰国するころには、常に拳を握りしめ、けんか腰で自分の意見を主張するようになっていた。日本に帰ってしばらくすると、また「どうしましょうかねえ」に戻っていた。 突然話は変わるようだが、同じ話題である。近年、中動態にまつわる話をよく聞くようになった。中動態とは形は受動態だが、意味は能動という言語形式である。古典ギリシャ語などにはある。その後中動態は衰退し、再帰表現として残っている場合もあれば、それすらない言語もある。普通の他動詞表現であれば、対格(4格)目的語をコントロール下に置き、「私はそれを~する」という表現になる。俺が俺がという表現である。これに対して中動態の場合は外からの刺激や影響を受けて、何となくそう思われる、自然とそうなるといったものらしい。すべての中動態がそのような主体性のない行動と言い切れるのかは疑問であるが、「脱力系」「ゆる」「ほんわか」といった言葉が似あう行動なのかもしれない。中世のドイツ語には非人称的で、属格(2格)が使われるような構文がけっこうあるが、これらも人間が主格(1格)で物が対格(4格)であるような文に比べると「ゆる系」と言えるかもしれない。こうした非人称構文や中動態がそういうものと考えるならば、そしてそれが改めて見直されようとしているのであれば、日本人の「悪い」特性も、あながち捨てたものではないかも。 執筆:工藤康弘...
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Stuhlはいかがですか

ドイツの薬局に行き、下痢止めの薬を買おうとした。店員は私にStuhlはいかがですかと尋ねる。私はそばにあった椅子を指して、椅子がどうかしたのですかと逆に尋ねた。その若い女性薬剤師は困ったような顔をして、それ以上何も言わなかった。ともあれ薬は買った。後日、Stuhlには便通の意味があるということがわかった。正確にはStuhlgangと言うらしい。この経験を別のドイツ人に話すと、「Stuhlにもいろいろあるさ」と言われた。またあるとき、医者からStuhlprobeをすると言われ、一瞬何のことかわからなかった。検便のことだった。あれこれ辞典を調べると、古くからトイレの意味で使われていたようだ。オックスフォード英単語由来大辞典(柊風社)でstoolを引くと、「大便」を指すようになったのは、「腰掛式便器」からであると記してある。ヴェルサイユ宮殿でそうしたものが使われていたというのは聞いたことがある。みなさん、Stuhlにはご注意あれ。 執筆:工藤康弘...
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砂糖の山?

2018年、ドイツに滞在していた折、ニュースで話題になっていたのだが、見出し語に「砂糖の山」と書かれている。トラックが横転して、積んでいた砂糖が道路に散乱したのかと思っていたが、どうもそうではないらしい。「砂糖の山」は人名だった。私はSNSにはまったく疎いので、このニュースの内容がわからなかったのだが、Facebookのユーザーデータが不正使用され、CEOのZuckerbergが謝罪したというニュースである。これは英語名なので「ツッカーベルク」ではなく「ザッカーバーグ」と発音する。英語母語話者はこの名前を見て砂糖の山を連想するだろうか。 執筆:工藤康弘...
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ganz ohne, bitte!

ドイツのカフェーかレストランでコーヒーを注文した。「ブラックで飲む」をドイツ語でどう言うのかよくわからない。砂糖もミルクもいらないと言ったら、ウェートレスさんがOh purと言っていた。いわゆるピュアであろう。またあるドイツ人はIch trinke schwarzと言っていた。そうも言うのか。あるときohne Zucker, ohne Milchと言うのが面倒くさくてganz ohne, bitteと言ったら、ウェートレスさんがぷっと吹き出した。何で笑ったのかわからなかったが、ともあれ砂糖もミルクもなしで飲んだ。後日、別のドイツ人にこのことを話すと、ganz ohneは「素っ裸」という意味だという。確かトップレスのことをoben ohneと言うので、さもありなん。 執筆:工藤康弘...
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