昨今、学生にイベントへの参加を促すと、予定を見てみますと言ってすぐ予定表を見る。ビジネスマンではあるまいし、何をそんなにすることがあるんだと思う。学費や生活費の足しにアルバイトをすることはあるだろうが、それにしてもそんなに忙しいかな。翻って私の学生時代はどうだったろうか。なにしろ50年くらい前のことなので、遠い記憶のかなたになってしまっているが、思い起こしてみようと思う。
地元の山形大学人文学部に入った私は、最初の1年半を「教養部」で過ごした。当時は教養課程と専門課程がはっきり分かれていて、1年半の教養課程を終えたあと、2年次の後期から専門教育を受けることになっていた。教養課程には人文・社会・自然、外国語、保健体育の科目があった。
外国語は英語と第二外国語がそれぞれ週2回あったと思うが、毎日のように語学の予習をしていた印象がある。とはいえ、教養部時代はまだ余裕があった。週1回ギターを習いにいっていたほか、週1回家庭教師をしていた(こちらは4年間続く)。必修である英語のクラスが高校までのクラスと同じような機能を果たしていて、その英語の先生がクラス担任のようになっていた。クラスで野球をしたり、学級新聞を作ったりもした。
20歳を過ぎればコンパで鯨飲した(これもクラス単位)。学内に畳敷きのきたない、つまり酒の不始末でいくら汚してもいい部屋があり、そこがコンパの会場であった。余談だが、今でこそ「合コン」というと男女の出会いを目的とした集まりになっているが、当時は大学の1年2組と2年2組の「合同コンパ」を行う、のように使われていた。
閑話休題、コンパの酒とつまみは業者に注文したか、自分たちで持ち寄っていたか定かでない。ただ当時、日本酒は特級酒、一級酒、二級酒に分かれていて、学生は貧乏なので調達するのは二級酒である。どうせ酔っぱらってしまえば、一級酒も二級酒もわからない。宴が進めば車座になって卑猥な替え歌をさんざん歌った。
締めは「若者たち」か「今日の日はさようなら」を肩組んで歌ったような気がするが、この辺は記憶に自信がない(あまりにも青春っぽいし)。宴が終わると街へ繰り出し、旭銀座の喫茶「白馬」で二次会……年寄りの昔話、しかもローカルな話になってきたので、いったん筆を置きたい。
執筆者:工藤康弘