東大紛争があったのは私が小学6年のころで、安田講堂をめぐる攻防をテレビで見ていたような気がする。全国へ波及し、そして沈静化した大学紛争だが、私が大学へ入ったときもその余波が続いていた。私は大学紛争を語るには世代的に少し若すぎて、また50年近く前のことなので記憶違いもあるかもしれないが、自分が体験した当時の熱気を伝えたいと思う。

 大学紛争はいくつかのグループ(セクト)に分かれて展開されていた。自分のまわりでは中核派の活動が活発だったと思う。また学生自治会というのがあって、入学したてのころ、自治会費を払ってほしいとよく勧誘され、最初は迷っていたが払った。公的な組織かと思っていたが、これも一つのセクトだったかもしれない。

 歌声サークルといった名前のグループがあった。今でいう大学のサークル活動だと思っていたが、これも学生運動のなれの果てだと近くにいた人が教えてくれたが本当だろうか。大学の校門をくぐるたびにたくさんのビラ(アジビラ)を渡された。歩いていくうちに持ちきれないほどになる。「日本帝国主義打倒!」「~内閣打倒!」といった勇ましい言葉が並んでいる。あの自治会費はこういうものに使われていたのだろうか。
 
 さて、学生運動の強烈な体験をしたのはもっぱら教養部時代であった。キャンパスではヘルメットをかぶり、タオルで口を覆った人たちが掛け声をあげながら行進している。いわゆるゲバ棒(武器としての棒)も持っていたと思う。私にはわっしょい、わっしょいと祭りの神輿をかついで歩く練習をしているような、あるいは子供が列になって電車ごっこをしているように見えた。これ自体は何ということのない風景に見えるのだが、それが一変するのは……。

 授業中、どどどどという足音がして、運動家たちがドアを蹴破って(壊してはいないが)乱入してくる。まずは演説をさせろと教官に迫る(国立大なので教員ではなく教官と言っていた)。たいていは演説をするのだが、運動家たちも学生を味方にしないと思うように動けない。たまに私たち学生が「帰れ、帰れ!」と叫ぶと、すごすごと退散していくことがあった。

 演説は当然左翼的な内容で、武闘派らしい言葉が並ぶ。彼らの1人称の呼称は「われわれ」である。しゃべり始めは必ず独特な抑揚で「われわれはー」と枕詞のように言ってから言葉を継いでいく。ひとしきり演説をぶったあとは教官を取り囲んでつるしあげが始まる。学生は先ほどのように抵抗することもあるが、たいていは眺めている。おじけづいて傍観しているというわけでもなく、大学へ入学して、激しく動いている世の中を知り、見極め、判断したいという気持ちがあったと思う。私自身、わけもわからず『共産党宣言』を読んだりもした。読まねばならないような雰囲気だった。
 
 さて、つるしあげられる教員の反応はさまざまである。泣きべそをかく教員もいた(顔を真っ赤にして黙っているので、そう見えただけかもしれない)。「貴様、それでもマルクス経済学者かあ」(運動家たちの2人称の呼称は「貴様」が多かったのかな)と荒ぶる運動家に対して顔色ひとつ変えず「マルクス経済学者ではない、マルクス主義経済学者だ」と返す経済学の先生。生物学の先生だったかは「それはですね、ホメオスタシスの原理で言えばですね ……」とはぐらかす。いらいらした運動家は「われわれはー(怒るならすぐ怒ればいいのに、この枕詞がないと始まらないらしい)そんなことをー、聞いているのではないー!」とやり返すのだが、話がかみあわない。東北大学から非常勤で来ていた先生は「君ね、この、この」と言いながら肘鉄をくらわしながら相手を押し返す。運動家はたじたじになって後退する。さすが旧帝大は学生運動が激しいので、こういうのに慣れているのか、教官もパワーアップしている。

 冬、雪の積もった朝だったと思う。大学へ着くと建物の入口に机やら椅子やらが高く積み上げられていて中に入れない。これがバリケードというものか。授業が受けられないのを残念がるふりをしながら、内心今日は休みだと喜びながら家路についた。

 一学年上の先輩が話してくれた話で私は見ていないのだが、とうとう大学が機動隊の出動を要請したらしい。軍用車のようなものが到着して、パカッと開いて(サンダーバード2号か)隊員たちがパラパラっと出てくる。激しい大立ち回りがあり、哲学の先生(のちに学部長となり、私がラテン語を習った)などはもみくちゃにされていたという。ことほどさように、あのころは熱気に包まれた疾風怒濤の日々であった。

 時が経ち、私は同じような地方国立大の教員になっていた。すでに大学は平和になっていた。ただ一度、授業をしていると廊下が少し騒がしかったので、出て見ると複数の学生たちが座り込みをしている。確か事務職員が困ったような顔をしながら付き添っていた。一人が中に入ってきて時間をくれと言う。なつかしい光景だ。私もつるしあげられる立場になったか。授業を中断して教室の脇で見ていると、彼は何やら訴えていた。

 ひとしきりしゃべったあと、教室から出ていこうとするので、私はあわてて「おいおい、演説のあとは教官をつるしあげるんじゃないのか」と呼び止めると彼はむっとした様子で、「本当はそうしたいところなんですけど、今日はこのへんで」と言って去っていってしまった。なんとまあ、かわいい「学生運動家」たちだ。あのころの熱気がなつかしく、こわいもの見たさでちょっと期待したのだが、もうそういう時代ではなくなっていた。

執筆者:工藤康弘