必要単位をすべて取り終え、1年半の教養課程を修了して初めて専門課程に上がる。「私の学生生活1、2」で述べた教養部時代は、その後の専門課程とのコントラストが著しく、一言で言えば明るかった。かといって専門課程は暗かったわけではなく、別の世界であった。

 今の関西大学文学部では先輩と後輩が授業で出会うことが少ない。私の学生時代は先輩と後輩が同じ授業を受けていた記憶だけが強く残っている。たぶん専門課程に入ったばかりの2年後期の体験が強烈すぎたからかもしれない。2年生と3年生の差はあまりにも大きかった。「私のドイツ語勉強法(4)」でも触れたように、1年次の終わりから2年前期にかけてすでに、外国語科目でドイツ文学のテキストを読んではいたのだが、2年後期はなぜかしんどかった。この時期、トーマス・マンの『トニオ・クレーガー』を読んだことだけは覚えている。1回にどのくらい進んだかわからないが、予習がつらかった。3年生の先輩は涼しい顔をしているのだが、私はついていくのがやっとだった。もはやギターを習っている場合ではなかった。

 日々の生活は予習と授業一色になった。「私のドイツ語勉強法(4)」で述べたが、ゲーテの『ファウスト第一部』は毎回レクラム文庫で3~4ページ読んでいた。今も残るテキストは余白に鉛筆書きで予習のあとがびっしりと書き込まれている。しかし勉強がしんどいと思っていたのは2年後期の半年で、その後は落ち着いていったようだ。大量の書き込みは、徐々にまばらになっていった。

 先輩との付き合いは濃密であった。独文科の2年生は私一人で、3年生は2人。いつも3人でつるんでいた。その日の授業が終われば、大学生協で100円のコーヒーでずっとおしゃべりをし、店が閉まるというのでカップを返したあとも、テーブルにすわって暗くなるまでしゃべっていた(子供の遊びか)。男3人で何をそんなにしゃべることがあったのか。ここから先は日本独文学会『ドイツ文学』170号の編集後記に書いた内容と一部重複する。

 先輩2人はそれぞれトーマス・マンとブレヒトに入れ込んでいた。下宿を訪れたときも彼らは両作家を熱く語ってやまない様子。そうこうするうちに別の部屋から哲学を勉強しているらしい下宿生が乱入してきて、「現象学なくして世の中はわからないぞ」と一席ぶつ。それぞれがいっぱしの学者気取りで夜中までしゃべり尽くしていた。今でいう「推し」の作家を指針にして、自分の人生いかに生きるべきかを真剣に考えていたとすら言える。文学について、辞書について、勉強の仕方について、私は先輩たちから教えてもらった。

 私が3年後期になると、新しく独文に入ってきた後輩3人を引き連れて歩くようになった。同じように大学生協で飽きもせず話し込んでいた。私自身は文学おたくではないので、いったい何をそんなにしゃべっていたのだろう。ともあれ3人の後輩はずっと付き合ってくれていたので、私は先輩としての役割は果たしていたのだろう。

 昨今の学生はよく授業を休む。学生時代の私についてはもう覚えていないが、欠席が少なかったことは、当時のS教授とのエピソードからわかる。一度授業を欠席したことがあった。その後1ヶ月くらいずっとS教授の嫌味を聞かされた。「工藤、おまえあのときいなかったからな」「あのとき欠席したからわからないんだ」と何度も言われた。これでは休めない。

 当時は父親が秋田に転勤になり、母親はそちらにいったので、私は弟と自宅で自炊生活をしていた。子供を置き去りにしてと思うだろうが、大正生まれの父親は典型的な亭主関白で、家では縦のものを横にもしない人なので(怠け者という意味ではない、男子厨房に入らずである)、いたしかたなかったのだろう。弟は洗濯と風呂沸かし、私は食事作りと分担して粛々と生活していた。

 詳しくは覚えていないが、単調な生活をしていたと思う。午前で授業が終われば、公園などで寄り道し、ぼんやり遠くを眺めながら来し方行く末を考えていた。これは大学院以降顕著になり、何かといえば田んぼを眺めて物思いにふけっていた。すっきりしたところでまた家に帰り、ドイツ語と向き合う。週1回、夜に家庭教師に行っていたが、それ以外は授業に出るか、独文の仲間と語らうか、沈思黙考するか、ドイツ語と格闘するかである。

 たまに山形へ戻ってくる母親からは「お金をやるから、旅行にでも行ってきたらどうだ」と言われても断っていた。「私のドイツ語勉強法」で述べたように、語彙やドイツ語文の暗記をするなど、根を詰めているように見えたのかもしれない。

 ここでこのコラムの冒頭に戻るが、昨今の学生はなぜか忙しそうに見える。学生時代の私は基本暇であった。勉強は忙しかったが、精神は自由に飛翔していた。だから、何日の何時に集まれと教授に言われれば、予定表など見ることはない。即座にわかりましたとなる。大学生である。勉強以外、何をすることがあるだろうか。

執筆者:工藤康弘