【性と格】

 ドイツ語の勉強で一番ネックになっているのが格変化であろう。正確には性、数、格が一体となった名詞の変化である。実際この格変化を担っているのは冠詞である。ドイツ語学習者はder, des, dem, den / die, der, der, die……と口ずさんで覚える。ばかばかしいと思うかもしれないが、最初はこれも必要である。格変化が身につくのはテキストを読んでいるときである。das Haus, der Tischといった語形に何度も出会ううちに、特に性がわかってくる。

性は冠詞+名詞で覚える。「家は中性」「机は男性」と覚えるのではない。英語で性がなくなったのは、英語を解さない移民が増えて、der / die / dasのような形式上の区別が曖昧になったからと何かの本で読んだ。逆に言うと冠詞の区別が性(さらには数、格)の区別を維持しているのである。かといって、der Tisch, der Tisch, der Tisch……と口ずさんでも量に限りがあり、効率が悪い。テキストを読みながら、der Tisch, auf dem Tisch, aus dem Haus, in die Schuleといった表現を何度も目にすることで覚えるのである。

当然、頻度の高い語から覚えていく。あまり出てこない語はいつまでたっても覚えられない。私自身、ほうれんそうはSpinatというところまでは覚えているが、性(男性)はなかなか覚えられない。よく使う(よくテキストで目にする)語から身につき、使わない語はなかなか覚えない。自然にまかせればよい。性に続いて格もそのようにして身につく。性、数、格それだけを訓練して覚えた記憶はない。テキストを読む中で覚えたのである。長々と書いてきたが、性、数、格を覚えるには、ドイツ語のテキストを数多く読むことである。しかも声に出して。先に「復習」の箇所でも述べたが、自分の口の中でドイツ語がころころころがる心地よさに酔いしれながら、テキストを読むのである。日本人の自分がドイツ語をしゃべっている。苦痛ではなく快感である。

【会話力】

会話力については自慢できるものはなく、したがってこうすればできると教えられるものはない。「話す」に関しては、先に述べた作文のトレーニングがある程度有効である。「私は昨日映画館へ行きました」のような簡単な文を大量に暗記することで、暗記した文そのものだけでなく、「私は昨日動物園へ行きました」のような似たパターンの文も表出できる。ある授業でこのトレーニングを取り入れており、私が日本語を言い、それに対応したドイツ語を即座に言う練習をしているが、受講生は2つに分かれる。すぐドイツ語で言える人と、「う~ん、う~ん」とうなるだけで、何も口から出てこない人である。本人は歯がゆい、くやしい、恥ずかしい思いが入り交じった表情をしているが、これは語学の才能がないのではなく、単に家で練習してこなかっただけである。俳優がセリフの練習をするように、大きな声で同じ文を何度も唱えるという愚直な練習を繰り返す以外、ドイツ語を話せるようにはならないと思う。才能の問題ではない。

「聞く」については、私自身もっとも苦手とする領域であり、役立つ情報は提供できない。若い頃、リンガフォンという教材があり、テキストの部分だけ何度も聞いてはいた。またカセットテープに入ったドイツのニュースが定期的に送られてくる教材があり、車を運転しながらよく聞いていた。しかしこれらのトレーニングで耳が鍛えられることはなかった。今はもっといいリスニングの教材があると思う。しかし教材云々よりも、日本人一般にありがちな内向きのシャイな気持ちが自分の中にあり、それがドイツ語母語話者との間に心理的な壁を作ってしまい、リスニングにマイナスの作用をしているのではないかと思うことがある。胸襟を開いてぶつかっていけばいいのかもしれないが、こればかりは性格に関わることでもあり、「話す」のところで否定したはずの、生まれつきの才能のせいにしたくなる。

「聞く」場面には二種類あると考えている。ドイツ語母語話者が複数の人に対して話す場合、自分だけ聞き取れず、みんながどっと笑うのに、自分は笑えないということがよくある。自分だけ輪に入れない悔しさ、みじめさといったらない。対してドイツ語母語話者と一対一で話す場合は状況が違う。聞き取れない場合、相手はもう一度繰り返してくれたり、別の表現で言い換えてくれたりする。話題も二人共通のものなので、高い関心を保ったまま会話の中にいられる。ドイツでの日常生活でもそういう場面が多く、そこでは普通に用がたせ、生活を楽しめる。その意味では、リスニングに難があっても、どうしようもないほど悲観する必要はないと思う。

以上、ドイツ語教師も悪戦苦闘、七転八倒の連続であることがわかっていただけたかと思う。ここではドイツ語勉強法としてかなり具体的な、ハウツー的なことを縷々(るる)述べてきた。他方、学生時代はどんな生活をしていたのかということについては、稿を改めて話したい。最近、若い人たちは長い文章を読みたがらないと聞くので、ここまで読んでいただいたかたには感謝したい。

語彙・作文編はこちら

読解編はこちら

執筆者:工藤康弘